▽血統徒然△

ポストカード印刷

ハルウララに関する稚拙な考察

2004年09月21日 | Weblog
サラブnetの記事に触発されてハルウララ騒動の顛末について、いろんなブログを読み、より深い考察をされている方もいらして、この騒動の本質について自分なりにもう少し考えてみたのですが、善とは何か?悪とは何か?という倫理的・哲学的な問題に行き着いてしまい、ワケが分からなくなってきました(笑)

混乱するのは倫理的には誰がハルウララから生じる利益を享受するのが正しいかという問題と、タダで馬主になった安西氏と6年間勝てないウララと苦楽をともにした厩舎関係者のどちらに倫理的にウララの行く末を決める権利があるのかという問題が複雑に絡み合っているからでしょうか。

いわゆる倫理と損得勘定というのは実に相性が悪い問題でして、損か得かという争いが、実に安っぽい道徳に押し出されてしまうことは、社会ではよくある話です。損得勘定の争いの中で「ウララのために」という安普請の道徳で全てを弁明しようとする安西氏に対して、ある種のいかがわしい匂いを感じた人がネット上では多数派であったようです。(私もそうです)

このいかがわしい匂いをかぎ分ける人というのは、社民党や朝日新聞の投稿欄を嫌悪する感覚と同等だと思うんですね。ただこの匂いをかぎ分けることが出来る能力自体は、別に大したことではないと思うのですけれども、私も含めてこの嗅覚に妙な自負心というか、そういうモノがあって、まぁこれも要するに一つの倫理なワケでして、この倫理がより高級な倫理であるという証拠はどこにもないです。というかそれが倫理というものの本質でもあるわけでして・・・ あぁだんだん難しくなって手に負えなくなってきましたw

こんなもんを美談にしてしまったマスメディアと大衆が情けないということで宜しいかと。安西氏だって生きていく以上金が欲しいでしょうし、金を欲する人間が同時に馬を愛してはいけないなんて理屈はないです。安西氏は自分の妄想を金にする才能で食っている人なので、こういう人間を倫理的に糾弾しても結論なんて出ないと思います。

駄馬が健気に一生懸命走るという事実だけでニュースバリューが発生し、利権が発生し、議論が百花繚乱になるって、まぁ日本は平和ですね。・・・ひどい結論(苦笑)

ハルウララに関する優れた考察

2004年09月21日 | Weblog
サラブnet 祭りは終わった ハルウララの移送を巡って

8歳の高齢で気難しい馬を、6年住み慣れたきゅう舎と、扱い慣れたきゅう務員の手から強引に引き離し、半日もかけて知らない土地に運ぶような人物の“愛馬心”の真贋(しんがん)は、賢明な読者各位には、説明の必要もあるまい。仮に高知に戻っても、緩めた馬体を元に戻すために強い調教をすれば、必ず体調に何らかの問題が起きるはず。だが、そうなれば責任は高知陣営にかぶせられる。すでにブームが去ったことは、4月以降の一連の出走レースの売り上げや、関連商品の売れ行きからも明らかである。もはや売り時は引退興行しかなく、今回のトラブルで武豊騎手の参戦も微妙になったのではないか。ここは意を決して、ハルウララと絶縁すべきであると思う。宗石調教師が同馬の預託契約を解除し、安西氏の(カネを生まない)単なるペットとすることで、すべては決着する。

いい文章というのは恣意的なもので「漠然と思っていたことを論理的に書かれてある文」に過ぎないわけですが、それでもこの記事はやはり騒動の本質を突いたプロのものであると思います。以前、安西氏に対する不快感をここで表明したとき、予想外に否定的な反響がありましたが、この記事を読んで私の安西氏に対する違和感は倫理的に正しかったと確信しました。