晩飯を食いながらニュースを見ていたら、外来語言い換え案が取り上げられていた。
すかさず「あなたがじれったがるニュースが・・・」と突っ込みを入れていたが、茶碗を放り投げそうになるのを自制するので手一杯(いやそんなに怒りモードじゃないが)。
この間の人名漢字といい、この間からの外来語言い換えといい、国の国語研究者というのは国語破壊を狙っているのか。まともなのもあるのだが、DVを配偶者間暴力ってのは子供や親に振るうのはドメスティックじゃないのか、とか、プレゼンス=存在感ってプレゼンスサーバの立場はどうなる、とか。
もっとも、日本語で十分な事をわざわざ外来語で言ってしたり顔のおっさんを見るともっと頭が痛いのだが。
嫁の好きな小ネタで、某シンクタンクの管理職が「いやいや、アフォーダブルなコモディティー化が重要なんだよ」と真顔で会話していたって話もある。経済系の研究機関の人は、外来語で言うことで含みを持たせた気になることが多いので、日常会話までそんなになってしまう、というのが読み筋。
実際、我々も新しい研究テーマを立ち上げる際に、かっちょええ名前として外来語で表現しようとするので、人のことは笑えないが。フレキシブルとか、セマンティックとか、ユビキタスとかね。ただ、やっぱりそこにはダブルミーニング(しまった外来語だ)や、日本語とは異なる概念があるわけで、機械的な言い換え規則を適用できるような話じゃないわけさ。翻訳が難しい単語って話を考えてみてほしい。
翻訳ではない、言い換え規則として制定しようというのが、如何にチープな発想であるのか、自覚して欲しいものだ。
すかさず「あなたがじれったがるニュースが・・・」と突っ込みを入れていたが、茶碗を放り投げそうになるのを自制するので手一杯(いやそんなに怒りモードじゃないが)。
この間の人名漢字といい、この間からの外来語言い換えといい、国の国語研究者というのは国語破壊を狙っているのか。まともなのもあるのだが、DVを配偶者間暴力ってのは子供や親に振るうのはドメスティックじゃないのか、とか、プレゼンス=存在感ってプレゼンスサーバの立場はどうなる、とか。
もっとも、日本語で十分な事をわざわざ外来語で言ってしたり顔のおっさんを見るともっと頭が痛いのだが。
嫁の好きな小ネタで、某シンクタンクの管理職が「いやいや、アフォーダブルなコモディティー化が重要なんだよ」と真顔で会話していたって話もある。経済系の研究機関の人は、外来語で言うことで含みを持たせた気になることが多いので、日常会話までそんなになってしまう、というのが読み筋。
実際、我々も新しい研究テーマを立ち上げる際に、かっちょええ名前として外来語で表現しようとするので、人のことは笑えないが。フレキシブルとか、セマンティックとか、ユビキタスとかね。ただ、やっぱりそこにはダブルミーニング(しまった外来語だ)や、日本語とは異なる概念があるわけで、機械的な言い換え規則を適用できるような話じゃないわけさ。翻訳が難しい単語って話を考えてみてほしい。
翻訳ではない、言い換え規則として制定しようというのが、如何にチープな発想であるのか、自覚して欲しいものだ。