planetary days,

不惑とか嘘だよ。惑う惑う。ふらふらと。

キリギリスの国

2007年04月12日 | (ノ゜∀゜)ノ
数日前のソースだが、時短を謳うワークライフプランに尾身財務相がオブジェクションを呈していたという。
「尾身財務相は「働きたいのに残業時間を半減しなければとか、働かないことがいいことだという考え方は自由主義に反する。国家の方向として決めることは、わが国が衰退する原因になる」と主張。民間案の土台にある「ワークライフバランス」(仕事と家庭の両立)などの仕事観、家庭観に異議を表明した。
 これに対し、安倍晋三首相は「みんなキリギリスになったら大変だが、日本はそういう方向には向かない。長時間労働を前提に経済が成り立つのは間違っている。」

人それぞれに意見が出そうな議論だが、私はどちらかといえば財務相の意見に共感を覚える。
ゆとり教育の失敗を見るまでもなく、「意欲のある者も巻き添えにしてユルい方に目標を定める」という、こうした民間知識人のプランというのは、できる人間をスポイルし、いいかげんな人間に口実を提供するだけだ。

大体、時間を半分にしたところで働いている人の能力が倍になるわけじゃ無し、プロダクトが半分になるとか、リリースまでの時間が倍になるとか、結局企業の能力が半減してしまうだけじゃないか。
人を倍に増やすと単純に倍の事ができるかというと、個人の経験と知識というファクターがあるため、そんな事はないわけで。

競争力を国内だけで競っていた時代ならいざ知らず、グローバル経済とか言ってるこのご時勢に、国内生産力を一律で低下させるような提言には、無知か悪意が宿っているのではないかとすら思える。

もちろん、最適な労働時間は人により異なるものだし、長時間労働
が前提になるのが正しいわけではないが。
家庭を大事にするのは大切な事だが、そんなことは他人が指図する事ではなく、本人が裁量するべきことだろう。
言い換えるなら、労働時間という不適切な指標ではなく、労働者の自主裁量性という部分で目標を立てるべきだと思うのだ。

ぶっちゃけ、独身時代は組合協議による超勤時間制限がうとましかったし、結婚後はそこそこ残業したらとっとと帰りたくなっていたわけで。
まあ、一律目標ほどうっとうしいものはないと。
そういうことですな。
コメント
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