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日本のいまを考える#51 頭山満と玄洋社 日本の正しい右翼と戦後



祝日は国旗を掲揚しましょう。


★精神学協会「日本のいまを考える」から転載

『精神学協会』
http://www.godbrain.com/gb/letter/



■日本のいまを考える#51

●頭山満と玄洋社 日本の正しい右翼と戦後。


生まれた国や育んでくれた故郷を大切に思うのは、誰にとっても自然なことです。
祖国や故郷、日々暮らす町を好きでいることは、ごく健全なことで、危険思想でも嫌悪されるようなことでもありません。

愛国、尊皇(=反共)というと、すぐさま「右翼」だと思い込まれる方も今は少なくないのかもしれませんが、言葉をきちんと捉えれば、「愛国」も「尊皇」も、ごく普通のことです。
特に、「愛国」は世界のほとんどの国で「当たり前」なことだと思います。

「愛国」といっただけで、何か変な空気が漂うとしたら、それは日本が左傾化している証です。

日本のように自由な国においては、人々は他の友好国に移住する道も閉ざされてはいません。
国歌斉唱を拒否し、国旗掲揚に嫌悪感を持ち、愛国心をもつ人にも抵抗し、それでも日本に執着する人たちが「国民」として存在することに違和感を感じます。日本以外ではありえないことだと思います。

日本は天皇陛下を中心として民がまとまるという国柄を二千年以上続けてきました。
戦国時代でも、武家中心の国家運営になっても、別格の存在として権威をおいてきています。
天皇を「おおみこころ」として絶対的権威をおくことによって、「天皇のおおみたから」としての国民の存在が守られました。
ひとつの民族が、ずっとひとつの国を維持してこられたという歴史は、稀有なことです。

「シラスクニ」の天皇を中心とした国づくりは、とても優れていて、他国と違って支配被支配の奴隷制度もなく、有史以来続いてきました。
この先も、文化と共に継承していくのが良いのではないかと、私は考えています。

おおみこころとしてのご存在、天皇陛下を大切に思う「尊皇」、それは、「反共」とも言い換えられます。
尊皇と容共は、相容れません。共産主義は皇室制度の廃止を意図した考え方です。

矛盾なく、各党の背景思想について基本精神と要綱などにある主張を突き詰めていくと、共産主義の考え方も、立憲民主党の皆さんの主義主張やバックボーンも、皇室制度に対して容認しないものであるはずだと思います。そうでなければ、どこかで整合性を失っているか、一時的に国民の支持を得るために折り合いをつけて見せている過程なのかもしれません。
共産主義を真剣に取り組めば、基本的に相容れないもののはずです。

#47「戦犯」として散ったおふたりから私たちへ・・・いまに響く言葉。で全文掲載させていただいた、東條英機元首相の遺書にみられるように、「赤化」する世の中に対する懸念は、戦前にさかのぼり、頭山満さんの活躍した時代にもありました。
当時、「右翼」の存在が必要であったというお話などを、頭山満翁のお孫さんで、呉竹会の代表である頭山興助さんのご講演で聞かせていただきました。

とてもわかりやすく、良いお話でした。

   はなみづき四十二回勉強会 頭山興助氏 平成二十九年十二月八日
   https://www.youtube.com/watch?v=eSTx3ZmnXlQ

頭山満さんは、Wikipediaによると、

  明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭。 
  玄洋社の総帥でもある。号は立雲。

とあります。
玄洋社の社則は「皇室を敬戴すべし」、「本国を愛重すべし」、「人民の権利を固守すべし」という三条項によって成るシンプルなものでした。
事実上の統帥だったと思いますが、社長職には就いておられません。

私は頭山満さんについては「右翼の大物」というくらいしか知りませんでしたし、孫文に思う存分騙された善良な日本魂の人々の、中心的な存在だったと思っていました。
頭山満さんは、政財界に知れ渡る大物であったにもかかわらず、ご著書は残されていません。今回、頭山興助さんのお話が興味深かったので、この際、頭山満翁のことを詳しく知りたいと思い、いくつかの本を取り寄せてみました。

周囲の方が集め残した講釈や講話記録はありますが四百ページ余り、周囲の方々から聞いて調べて綴られた「頭山満伝」は、みっちりの活字で六百ページを超える厚さです。
小林よしのりさんの厚みのある漫画でも三冊にわたり、いま読んでいますが、なかなか読み応えがあります。

そのなかに、薄い本が一冊あります。
今年のNHK大河ドラマは「西郷(せご)どん」ですが、西郷隆盛さんの言葉に、頭山満さんの講評を書き添えた本です。

   『大西郷遺訓 立雲頭山満先生講評』 
   『大西郷遺訓』出版委員会 編著  K&Kプレス 九百五十二円+税 
   
大西郷遺訓―立雲頭山満先生講評
クリエーター情報なし
(株)ケイアンドケイプレス


頭山興助さんは、「中国や韓国、北朝鮮は、日本から一番遠いとも言えると思う」とおっしゃっていました。
距離は近いですが、生活習慣やものの見方考え方、感覚の点で、この三カ国は精神的にはもっとも遠いところにあるのではないかと私も感じています。

主宰されている「呉竹会」の命名についてのお話もありました。
詳しくは動画のなかで、ご本人からご説明がありますが、下記の歌に由来しているそうです。

   呉竹の雪の重みに
   耐えかねて
   いと懐かしき
   今朝の面影
      (頭山夫人)

   【返句】
   呉竹の力試しや
   今朝の雪
      (頭山満翁)

また、呉竹会のHPには、以下のような言葉があります。 
----------------------------- 

  君は「頭山満」という
  サムライを知っているか?

  頭山満翁は「立雲」を号として、激動の日本史をまるで雲のように生きた巨人でした。
  終始、在野の立場から条約改正、自由民権運動に立ち上がるとともに、 
  金玉均、孫文、ビハリボーズ等のアジアの独立運動家を心から支援し、
  歴史的な業績を数多く残されました。
  尊敬してやまなかった西郷隆盛の
    「命もいらぬ名もいらぬ、官位も金もいらぬ者は始末に困る人なり」
  の言葉をそのままに生きた「サムライ」でした。

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私心なき頭山満翁は、まさに「始末に困る人」であったかもしれません。筋の通った生き方を貫かれた方です。
伊藤博文公は、顔を見るとそっぽを向き、会わないように隠れたともいわれています。

「保守」とは、伝統的な慣習・体制などを重視し、革命などの急進的な改革に反対する社会的・政治的な立場、傾向、思想などを指す用語です。守旧派とは少し異なります。
「保守」が良いかどうかは別ですが、世間では「保守」といえば「自民党」ということになっています。
しかし、いまの保守といわれる方々のなかにも、筋が通らないばかりか、国境をなくして他国のために働いているのではないかと思われるような方々がたくさんいて、なし崩し的に「お金を出してくれるところになびきがち」という行動もお見かけします。

自民党は国会両院における最大政党ですが、党内には様々な考え方をお持ちの方がいらして、実際は、かなりの幅があるようです。
自国の伝統的な文化を大切にするはずの「保守」という意味が、どのようになっているのか、わからなくなります。

希望の党の出現により、民進党(旧民主党)の再編が行われ、反対に見えるくらいに違う意見を持つ人たちが、はっきり割れたということには、希望の党の存在意味があったと思いますが、今月二十二日から召集される国会においては、再び統一会派をめぐって希望の党と民進党が物議をかもしています。

自民党はかつての民進党以上に立ち位置の異なる人たちが集まっているわけですので、もともと一枚岩ではありません。

立雲先生(頭山満翁)による講釈には、当時の政界についての苦言もたくさんあります。
今、生きておられたら、どれだけのどんな喝を入れられるか・・・と思います。

本来の政党の意味というものを考えなおす時期に来ているのかもしれません。


平成三十年一月十九日
阿部 幸子
協力 ツチダクミコ
協力 白澤 秀樹

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