―― 泰平の世の日本刀の精神性 ――
ふだん私たちが用いている言葉には、日本刀に関わるものが少なからずある。たとえば、「もとの鞘におさまる」といえば、別れた夫婦が旧縁を復する時などに用いる言葉だし、「鞘当て」は、二人の男が一人の女を目当てに争う時などに使われる言葉である(恋の鞘当て)。
気心の合わぬことを「反りが合わない」、激しく競い争うことを「鎬(しのぎ)を削る」、激戦を「鍔迫り合い」、それから「伝家の宝刀」「懐刀(ふところがたな)、押っ取り刀」(急いで駆けつけるさま)といった語もある。「抜き差しならぬ」(身動きができない)、[抜き打ち]「太刀打ちできない」「一刀両断」「大上段に振りかぶる」(居丈高な態度)といった用語もある。
このような刀にまつわる言葉が普及するようになったのは、五代将軍綱吉の治世の元禄年間(1688~1704)から八代将軍吉宗の享保年間(1716 ~36)にかけてのことで、これらは当時の文芸作品の造語だったようだ。そうした作品には、「刀の手前」「刀にかけて」「刀の名折れ」など、武士の名誉・勇気といった、武士道精神に説かれる美徳の象徴として、刀が用いられる台詞、地の文が散見される。
日本刀という武器は、武士にとって、泰平の世となってからかえってその精神性を高めていることを、こうした現象が物語っているかのようである。
一方、刀をめぐってのトラブル、血なまぐさい事件が続発したのも、この精神性を過剰に付与されたことと関わるものであろう。鞘と鞘とが当たる、文字どおりの「鞘当て」が喧嘩の因となって、斬り合いに及ぶ。わが佩刀に言葉の上で中傷を浴びせられ、これも斬り合いに及んだ、といった事件が、ひんぱんに起きてもいる。
まさに刀は武士の霊魂そのものであって、これを紛失したり、カネに替えたりした武士は、大いに辱められたし、場合によっては白死を余儀なくされることもあった。
霊魂そのものが刀であるという観念が定着すると、そこに、刀剣にまつわる迷信も生まれた。中心(なかご)に[四月]と銘を切る時、刀鍛冶が「四」は「死」に通じる不吉な数ということで、二を二つ横に並べて四の代わりにする。という類の迷信だ。
こうしたことから、刀剣の「相」を観じて吉凶禍福を占う「相剣」の書も刊行される。また、これを稼業とする「相剣師」と呼ばれる者も現れている。
※図説 「大江戸さむらい百景」渡辺 誠 著 株式会社 学習研究社
( P242~P243)より転載。
続く
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