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日本のいまを考える#58 「永世中立国」を目指すには力が要ることに改めて気づく。



祝日は国旗を掲揚しましょう。


★精神学協会「日本のいまを考える」から転載

『精神学協会』
http://www.godbrain.com/gb/letter/



■日本のいまを考える#58 

●「永世中立国」を目指すには力が要ることに改めて気づく。


「永世中立国」と聞けば、スイスがもっとも有名です。
ほかにも、オーストリアやトルクメニスタン、ラオスなどが永世中立国として周辺国の承認も得ているようです。

日本占領を統括していたダグラス・マッカーサーが昭和二十四(一九四九)年に、「日本は極東のスイスたるべき」、という発言をしていたという報道があり、同年春の読売新聞にも「日本が永世中立国になるべき」という社説が登場したことがあるようです。

多くの日本人は、イメージ的に「永世中立」と「非武装中立」が頭の中で同一であるかのように感じているかと思いますが、あの美しいスイスは、国民皆兵を前提とした重武装国家です。スイスの銀行幹部は、軍の高官が役にあたるともいわれています。

国家が独立しているということは、前提として自立防衛が当然ということでしょう。
普通に、冷静に考えれば、当たり前のことです。
平和憲法を掲げていれば、世界が日本の平和を護ってくれると思うほうがおかしく、論理破綻しています。

感情的に人心を動かす、ということを、ワイドショーをはじめ、メディアでは意図しているように思います。
もともと、広告というものがそういう傾向にあるので、仕方のない面もありますが、冷静に考えるという習慣を身につけ、知力を上げていかないと、考え方まで簡単に流される時代がやって来ている感じがいたします。

貿易関係のお仕事をしている商社マンや、海外展開を主な仕事にしている会社にとっては、にわかに納得できない話かもしれませんが、それでもやはり、私は基本的に日本の国是は「鎖国」であると思っています。

これまでの歴史を見ても、鎖国の時代は、穏やかな社会が続き、日本文化が花開く傾向があります。
平安時代もそうでしたし、江戸時代もそうでした。

大陸や半島に乗り出していこうとすると、必ず、不安定な時代を迎える、ということを繰り返しています。
そこに至るには、それぞれに理由がもちろんあるわけで、明治時代の無理な開国の後の朝鮮併合なども、ロシアの南下に備えるため、という、当時においてやむを得ない事情があります。
それでも、他の道がまったくなかったか?というと、なかったわけではない、と思います。

毎度、悔やんでは反省し、二度と海を越えて併合したり出兵したり、そういった係わりを持つのはやめよう!というその時期の人々の記録を何らかの形で残してくれていますが、いまのところ、それが生かされているとは言いがたい状況のまま今に至りました。

失敗が成功の元であるならば、今に至る道すべてに価値があるものともいえます。
この百年ちょっとの間だけでも、近隣諸国との間で、手痛い失敗や、愕然とするようなことはいくつもありました。
膨大な国費をつぎ込んで大失敗した朝鮮併合、恩を仇で返された孫文や蒋介石、性奴隷という甚だありえない言葉を海外に広めた日本人弁護士、従軍慰安婦などという変な言葉を作り出した朝日新聞の記事・・・
アメリカのオレンジ計画をはじめ、冷酷非道なルーズベルトや、残虐非道なロシアの存在も大いなる脅威としてあっての現代史ですが、そのような世界に対して、日本があまりにも無防備で、物を知らなかったということが一番の問題であったと思います。

歴史を学べば学ぶほど、「なんだこりゃ」とか「だめだこりゃ」とか、今となっては、いちいち腹を立ててはいられないくらい、たくさんの史実に出会います。
それでも、知ればどれもこれも、意味なくして登場したわけはなく、そこから日本人が学び知り、気をつけることや改善すべきところがあり、それらは単に乗り越えるべき壁なのだとわかります。

国でなく、個人で考えても、これまでの生き方を振り返り、人生とは何なのか、ここに生まれた意味はどこにあるのか、といったことは、順調なときには深く考えもしないのが私たちです。

組織が複雑化して、団体が大きくなればなるほど、責任の所在もあいまいになりがちですから、国のゆくえといったら、なおさらです。
手痛いこともあって、それによって知ることができて良かったと思えるならば、次に失敗をする確率は低くなり、価値があります。

そう考えると、今必要なのは、歴史が今に生かせているかどうかという点に、次第に絞られてきます。

それは、原爆二発や絨毯爆撃、シベリヤ抑留などをはじめ、自国にとって有利なように歴史の改ざんを狙う近隣諸国など、これまでの非道のすべてを許したとしても、この先もそのまま許していくということではありません。
一時的な感情で誘導されて、「みんな仲良くすれば、それでよいのだ」という、これまでの方式に至ると、また繰り返します。

これまでの学びを活用し、同じことを繰り返さないために予防する方策をいかに採るかを探るべきところです。

騙すよりだまされるほうがまだマシだ、と考える日本人の多くのあり方と、
騙されるほうが不注意で悪いのだ、と考える日本以外のほとんどの国の常識。
そもそも最初から、同じ土俵に立てていません。

日本が「こうなって当然」と予測する反応に、海外では「当然ではない」ことが多すぎて、ロビー活動で逆手に取られたりもしています。

国連拠出金で日本はアメリカに次ぐ資金を出しているにもかかわらず、相変わらず国連においては「敵国」のままです。
日本を狙っている中国が、日本の常任理事国入りに賛成などするはずもないのに、日本は中国に対して多くの資金を援助してきました。

母国を守るには、もっと賢く立ち回る必要がありますし、これまでに散々失敗した外交を、繰り返さないことが必須です。

私の周りには、個人的に親しい在日の方も、韓国籍の方も、中国人の方も少なくありません。
個人間でも相手を大事に理解することが大事ですが、多少の行き違いがあっても、大きな問題に広がることはありません。
小平選手と韓国の李相花選手のように、心のつながりは大切なものです。

国全体の方針を採るときには、日本における「当然歓迎される内容のはずだ」ということを押しつけるのではなく、相手国の民族的な慣習や常識、物の見方、考え方をきちんと理解して、もっと注意深くあるべきだと思います。
人はそもそも「同じではない」ことが前提ですが、民族差は個人差よりもずっと大きいのです。

大東亜戦争以降に続いてきた日本の平和は、憲法九条による成果ではありません。
今後も憲法九条を守れば平和が続くわけでもありません。
むしろいまは、自立していない国であることが、危険な状態を作り出しています。

人の歴史、個々では百年足らずですが、聖書の歴史だけでも二千年を超えました。
その間、人間は何をしてきたかと考えると、人間に進化はあるのか?と疑問に感じます。

「人間は、人になるのに一間あるから人間という」とか、「生まれただけでは人ではない、人になるのだ」とか、これまでに、駄洒落のような色々なことをお話くださる方々が身近に何人もいて、面白い話はたくさん聞いてきましたが、そうした人たちが皆さん、ほんとうに心底立派な人といえるか、というと、大半はやはり私たち同様で五十歩百歩のお仲間です。

人類の歴史を振り返れば、世界中、躓くところは、昔からほとんど決まっています。
男性の場合は「女、財、権力」への所有欲というのか、我欲が目立ちます。
女性の場合は物欲で躓く人もいるとは思いますが、究極には「妬み」とか「恨み」でしょうか。
所有欲を乗り越えた先に、「恨みや妬みからの卒業」を目指す進路があるのかもしれません。

これだけ、わかっているのに、何度でも躓き、同じことを繰り返している人間は、究極の「馬鹿」なんじゃないか・・・
たかだか、百年を、まともに生きられないなんて情けなさ過ぎる・・・と思いながら、せめて、生まれたときよりも、一歩でも前へ進んで死にたいものだと思っています。

人生百年、と考えると、最終的には土地や株などの個人的な所有の持続など、もともと無理なのです。
生きている間、お預かりしているに過ぎません。
一時的な目標としてはよいかもしれませんが、地震や火災や事故で、いま失うかもしれないものに、人生の目標を据えるにはちょっと無理があるように思います。

たまには、自分が生まれてきて、いまここにいる意味を問いなおし、何をしていくことが自分を生かす道なのかを真剣に問う時間を持ちたいものです。


平成三十年三月九日
阿部 幸子
協力 ツチダクミコ

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