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日本人に謝りたい その5

前回の続きです。

おりしも来日中の温家宝首相が、一昨日の国会演説で次のように語った。『日本の中国侵略は、一部の軍国主義者がしたことであり、日本人民は中国人民と共に、日本軍国主義者の被害者なのだ。この歴史の教訓を日本が態度で示すか見守りたい』

偶然にも今日の記事は、先の戦争は一部の軍国主義者がやったことであり、一般の日本人は被害者なのだという論法のルーツは東京裁判にあったという内容である。
「日本人に謝りたい」モルデカイ・モーゼ(著)から一部を抜粋してご紹介する。


■[第3章]日本人が知らない東京裁判の本質

●大東亜戦争」と「太平洋戦争」

日本の首相は、国会などで共産党、社会党から大東亜戦争責任論を質されると、おおむね、「後世の史家の判断にゆだねられるべきもの」という意味の答弁をするのを常としているようである。これは日本の一般ジャーナリズムの東京裁判の宣伝をほとんど鵜呑みにして、日本が戦争責任の火の粉をかぶるのが当然であるといわんばかりの軽挙からみれば、主体性のある態度といわねばならない。

(中略) 


●善悪二元論の持ち込み

今度の戦争は日本の支配階級、「天皇制軍国主義者」の起こしたものであり、被支配階級である大多数の日本国民に責任はない、否、むしろ被害者である、一握りの天皇制軍国主義者にだまされていたのである、とする二極分化論である。この論法はかつて北京を訪れた日本の各層の人々に故周恩来首相が常に口にしていた論法と同じであることからも、これがマルクス主義の階級闘争史観であるということはご理解頂けると思う。

この勢力はマルクス主義を自己の目的のため手段、道具として利用する勢力である。日本の戦後支配の出発点において早速、自己が創造したマルクス主義という虚構仮設を持ち込んだのであった。これは実に有効な手段、道具として役立ったのである。

その第一は、自己の戦争責任の免責である。(本格的な戦争責任論は稿をあらためる予定である)自己が火の粉をかぶる前に、その責任を日本の「支配階級」、すなわち「天皇制軍国主義者」に転嫁することに成功している。しかも、以後自分達に追及の手がのびることのないよう、一般日本国民に対しては一見寛大とも錯覚させる被害者意識を植えつけることが可能なわけである。

つまり前述した故周恩来首相のたびたびの言の如く、責任はあげて「天皇制軍国主義者」にある、日本国民に責任はない、否むしろ日本国民は被害者である、とする論法である。こういわれると、日本国民は戦争責任者の追及はすでに終わったと錯覚する。それというのも、日本国民自身が免責されているのであるから、この論法は耳ざわりのいいことこの上ない。かくて、日本国民は以後すっかり戦争責任は一握りの「天皇制軍国主義者」にあるとの論を植えつけられ、真の責任者の追及を放棄したのである。

マルクス主義というものは、これを手段として有効に利用するものと、逆にこれに利用されるものとの二者があるのである。前者が後述するニューディーラーであり、後者が日本共産党である。ニューディーラーは実に巧妙に階級闘争史観を駆使し自己の戦争責任の免責に成功したかに見えた。果たしてそううまく事が運ぶものであろうか。ここに、この勢力の予想だにしなかった事態が起こるのである。

この勢力の駆使するのは正真正銘のマルクス主義の唯物史観に基づく階級闘争史観である。その証拠をあげてみよう。それは日本共産党が戦前から主張していた講座派史観とピタリと一致することである。もともとこの勢力こそ、マルクスに変革のための虚構ハイポセシスの構築を依頼した張本人なのである。
 
(中略)

●深い後遺症

東京裁判の論法はすでにたとえ戦争責任については逆転されたとしても、深堪なる影響を日本の戦後史に与えてしまっている。まず第一に、日本の社会へ階級闘争を持ち込んだことである。これは、続く日本国憲法へ実体法のカテゴリーに属す条項を挿入することによって、確固たるものとして定着させられてしまっている。この階級闘争もさることながら、より大きい病巣は宗教性の呪縛であろう。

前述の東京裁判式の論法は、善玉・悪玉論理をはぐくむことになる。戦争責任はあげて一握りの支配階級たる天皇制軍国主義者にある、大部分の国民はむしろその被害者であるとする論法は、先ず第一に戦争責任者を国外に求めることを忘れさせる効果をもつ。また、これにより旧敵国がいかにも雅量のあるものわかりのいい寛大な存在に映り、以後の占領政策をやりやすくする効果をもつ。

しかしこれらよりも大切なことは、支配階級というものは常に悪玉であるとする思潮が生じることである。それに対して自分達は被害者、すなわち善玉なのだと信じ込ませる作用をもつ。ここにユダヤ教的善玉・悪玉の二値論理が持ち込まれることとなる。

こうして、悪玉、すなわち「天皇制軍国主義者」に「支配」された戦前の日本はすべて悪であるとする観念が生じる。逆に自分達を被害者=善玉と規定してくれたアメリカ占領軍の以後の政策をすべて善と感じるであろう。

さらに、支配階級というものは常に悪玉であると教え込まれると、戦後の政権担当政党も支配階級の代弁者であるから当然悪玉である。故に、これにことごとく反対することは善玉の崇高な使命であると信じ込まされることになる。今日みる如く政権担当政府のやることには何でも反対する思潮は、このようにして東京裁判を通して巧妙に持ち込まれたのである。

そうして、これらを確固不動のものにするため日本国憲法を作成し、その残置諜者として日本共産党を利用することになるのである。次なるものはいよいよ日本国憲法ということになるわけである。

続く

コメント一覧

フォトン
有難うございます。
ご訪問とご丁寧なコメント有難うございます。
どうぞ宜しくお願いいたします。
「心に青雲」主宰者
同感
「心に青雲」へのトラックバック、ありがとうございました。
貴殿のブログには初めて訪問させていただきました。
温家宝演説への批判、まったく同感です。蛮族国家の酋長代理が何を抜かすか、ですね。

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