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●てなもんや三度笠
『世の中、こう悪くっちゃ人助けなんかできゃしねぇ、恨み晴らしてやるのが精一杯だ!』ご存知必殺仕事人、中村主水(藤田まこと)の名せりふである。久方ぶりに必殺仕事人が久々に連続ドラマとなって帰ってきた。時代劇ファンには嬉しい限りである。八丁堀の旦那こと南町奉行所同心、中村主水は藤田まことのはまり役である。藤田まことといえば近年の代表作は一連の『必殺シリーズ』『剣客商売』『はぐれ刑事純情派』が著名だが、若い世代には藤田まことが歌手とコメディアン出身であることを知る人は少ない。
藤田まことは当初歌手としてデビュー(師匠はディック・ミネ)したが、ヒットに恵まれず歌手を断念、中田ダイマルの付き人をしながら、声帯模写や漫談、司会を行っていた。藤田まことのテレビドラマ初出演は中田ダイマル・ラケット、森光子主演の『びっくり捕り物帳』(1957朝日放送制作)である。当時人気の漫才コンビ、中田ダイマル・ラケットが目明し、森光子の兄役(奉行所与力)で出演したのが最初である。お世辞にも芝居は上手に見えなかったが、まだ20代であった藤田まことはなかなかの二枚目ぶりであった。台詞や出番も少なかったせいもあるが、私はコメディアンというよりはまじめな役者というイメージをもった。
後に大出世作『てなもんや三度傘』(1962~1968)で『あんかけの時次郎』を演じ、コメディアンとしての名声を不動のものとした。この番組は当時の子供たちの大人気番組で、関西地区ではなんと最高視聴率64.8パーセントを記録したという。『必殺仕置人』(1973)に出演依頼があった時、藤田自身は『あんかけの時次郎』のイメージが強すぎるのではないかと随分と悩んだそうである。私がブラウン管で中村主水役の藤田を見たとき、エリート与力と貧乏同心の違いはあれど、子供時代に見た『びっくり捕り物帳』と何故かイメージが重なり、違和感はまったく無かったことを覚えている。案外、番組制作者も藤田まことのデビュー作を見ていたのかもしれない。
藤田が『てなもんや三度傘』でブレークするまでは『スチャラカ社員』《中田ダイマル・ラケット、ミヤコ蝶々他(1962)》の青年社員役などで出演するくらいで目立った存在ではなかったが、CMでは抜群の存在感を見せていた。関西のTV局の制作で『親バカ子バカ』(1959)という番組があった。当時人気のあった松竹新喜劇の二大看板、渋谷天外と藤山寛美による涙と笑いの人情喜劇であった。番組は大人向けであったので、小学生の私には全てを理解することは出来なかったが、途中に入る生CMは子供心にも強烈なインパクトがあった。
この番組のスポンサーは亜細亜製薬という製薬会社で、主力商品の強壮ドリンク剤「強力ベルべ内服液」のCMを流していた。このCMに出演していたのが藤田まことであった。ガラスアンプルに入った強力ベルべを藤田がストローでチューチューと啜ると、太鼓がドンドンと鳴り、同時に藤田の顔が太鼓に合わせてアップになり、藤田が『うーん、効いてきた、効いてきた』と連呼するものであった。このCMが卑猥な連想をさせるとしてクレームが入り放送中止になった事もあったそうだ。子供の私にはこのCMが卑猥であるかどうかは分からなかったが、藤田まことという役者のキャラクターは鮮明に記憶に残った。
数年前知人の紹介で、私よりうんと年長の元コピーライターという方と築地市場の場外で飲む機会があった。話が進むうちに、当時大阪の広告代理店で「強力ベルべ」のコピーライトとオンエアーを担当していた方であることが分かったのである。当時はVTRも無くドラマもCMも全て生放送でオンエアーされており、様々な苦労話を伺う事が出来たのであった。思い出話に花が咲いたのは言うまでもない。
『必殺仕事人2009』ではうれしいことに藤田主水はレギュラーであるようだ。藤田まこと演じる主人公にはシリアスな中にも笑いとペーソスが溢れている。これもコメディアン時代の経験が生きているのであろう。少し歳はめされたようだが、益々元気に頑張って欲しいものである。