お爺ちゃん、お婆ちゃんと。
出会いがあれば、必ず、別れもついてくる。
いよいよ、お別れの時がやってきました。
お母さん、いつも私の大好物のお魚料理を作ってくれて、ありがとうございました。
私の使っていたスリッパ、
「ユリがまた来た時に」
って、箱の中に入れて物置にしまいに行ったお母さん。
その後姿、まだはっきり思い出すことが出来ます。
それから、お婆ちゃん。
何よりも一番辛かったのは、お婆ちゃんとの別れでした。
皆には、またきっと会えるかもしれない。
でも、もう病気のお婆ちゃんの事を想うと・・。
お婆ちゃんは、私のお団子頭が大好きでした(笑)
ロシア人の日本人イメージが「芸者」の様なので、私のアップしたヘアースタイルはロシアで好評でした
元船乗りのお爺ちゃんが50年前に日本で買った絵画
この絵画と一緒に並ぶと、お婆ちゃんは「あ~、やっぱり、あなた日本人なのね!!」と、お爺ちゃんと一緒に喜ぶのでした(笑)
お婆ちゃんが若い頃に使っていた、イヤリングとネックレス。
これを受け取って欲しいと言うのです。
「お婆ちゃん、こんな大切な物は受け取れません」
顔を横に振る私に対して、お婆ちゃんは言いました。
「私はもう歳だし、病気の身なの。もう若い頃の様にお洒落してダンスに行く事なんてないのよ。どうか日本に帰って、ユリの演奏会でこのアクセサリーを身につけて演奏して欲しいの。そしたら、私、どんなに嬉しいか・・。あなたに、つけて貰いたいのよ。」
しばらく抵抗していた私が、ようやく折れて受け取ると・・、お婆ちゃんは、泣いてしまいました。
最初のうちは、涙をぬぐっていたお婆ちゃんでしたが、ぬぐってもぬぐっても次から次へと零れ落ちる涙に、最後はぬぐうのを諦めたようでした。
<お別れの日の朝>
朝10時に家を出て、空港へ向かう約束をしました。
朝ごはんを食べて、洗い物をして、庭の苺を摘んで、作物に水をあげて、色々してたら、
家を出たのが11時40分でした。 もう約束するの止めたらヾ(・ω・;)??
予定していた時間よりも遥かに遅れていました。
途中渋滞もあって、でも何とか、あともうちょっとで空港って所で、お父さんが急に車を止めようとしました。
「ユリ!!アイスクリーム食べたい?」
(´-ω-`)
お父さん。。あの・・。時間。。
私のお父さんに対する印象は、最初から最後までアイスクリームと結びついてしまいました。
ここでも残念ながらアイスクリームを断って、空港まで走り続けて貰う事をお願いしました。
クラスノダール空港
わ~!!着いた~!!早くチャック・インしなきゃ乗り遅れちゃう!!
私は勢いよくドアを開けようとしました。
が、
みんな降りる気がない。
誰かが口を開くだろうと、じっと待つ私。
ようやく呟いたのは、お父さんでした。
「早く着き過ぎたなぁ~。」
全っっ然そんな事はない!!
「いつも2時間前からチェックインするから、もう行かなきゃいけない」
と、説得して車を降りました。
案の定、チェックイン・カウンターに着いた私が目にした文字は
「モスクワ行き:チェックイン受付終了」
だ、だ、だ、だから言ったじゃ~~ん。・゜(゜⊃ω⊂゜)゜・。
それでも必死で「列に並んでいたから」と言い訳して、なんとか受け付けて貰えました。
むむぅ。どうも海外旅行を車で済ませてしまうこの家族は、飛行機も5分前位に乗り込めば良いんじゃない?っと考えていた様でした。
いや、飛行機、車と違うから・・。
しかし、また問題が・・
お土産を沢山頂いた私のトランクは重量オーバーでしたので、罰金を払わなければなりませんでした。
私はそうなる事を予想していたので、素直にお金を払おうとお財布を出していると・・
お父さんがカウンターで抗議を始める。
「なんで早めに私達に教えてくれないんだ?空港のどこにも罰金について書いてないじゃないか!」
いや、お父さん、アエロフロートのHPとかに書いてあるよ。
「僕は航空会社に抗議の手紙を書くよ」と、ウラジスラフ。
いや、だから、これ空の旅の決まりだから・・。
あろう事か、モスクワでお金が足りなくなってしまったら・・と、家族みんながお金を出し合って、お札を私の手の中に押し付けました。
ここまで世話になってはいけない!!
「いえ、モスクワではお金使わないから、大丈夫です!!」
私は、そう言ってお金を押し返すと
「足りないの?そうよね、全然足りないわよね?あと1000ルーブル出すわ!!」と、お母さんがお財布からお金を取り出そうとしたので
「いえ!!充分です!!」
と、結局お金を頂いて飛行機に乗ってしまいました(T__T)ごめんなさい。ごめんなさい。
もう時間がありませんでした。
家族一人一人を抱きしめて、最後に皆の顔を目に焼き付けるように見つめて、
最後の乗客を待っていた飛行場のバスに、駆け足で乗り込みました。
私の感情を無視して、何事もなかったかの様に走り出すバス。
もう、家族の姿は見えなくなってしまったけど、
飛行機の傍まで来た時、
暖かくて、明るくて、人々が平和に暮らす、このクラスノダール地方の空を見上げました。
みんな、良い人達だったなぁ。。
ぐるっと空を眺めて、名残惜しく最後の空気を吸い、この北コーカサスに別れを告げました。
モスクワに着いたのは、予定より45分も遅れてでした。
もともと東京行きの飛行機とは時間に余裕がなかったので、空港内を走る事にしました。
エレベーターを待っていると、後から猛スピードでこちらにやって来るスチュワーデスさんがいたので、
念のため「あの~、セキュリティーチェックって何階ですか?」って尋ねると、
「あなた、もしかして東京行きの飛行機に乗る子?」
はい。と答える私に
「あ~~!!神様、ありがとう!!」
そのスチュワーデスさんは私を探していたとの事でした。
スチュワーデスさんに誘導してもらって、既に開いていたゲートをくぐり、またもギリギリで飛行機に乗り込みました。
この飛行機はパリ発モスクワ経由の成田行きでした。
機内はフランスを観光して来たであろう日本人ツアー客でいっぱい。
急にあちらこちらで聞こえる日本語。
そっか、この飛行機は寝てても日本に着くんだ。
もう私、乗り換えしなくて良いし、この飛行機に乗っていれば、あとは東京に着くだけなんだ。
シートに座り、一人ボーっと外を眺めながら・・自然と涙が零れ落ちるのでした。
馬鹿ね、私。
この涙、ちゃんと皆に見せるべきだった。
お婆ちゃんも、オリガも、ウラジスラフも、家族の皆が涙を流して別れを悲しんでくれた。
でも私は、日本人だからなのか、感情をぐっと堪えていた。
以前イギリスに住んでいた時の、ホストマザーの言葉を思い出しました。
「ユリが発つ日は、私は部屋から出ないから。
ユリが部屋に来るって言うなら、私はその日は外出しておくわ。
別れは辛いでしょ。」
私は、あの時のホストマザーに似ていました。
涙を流さず、ぐっと悲しみを堪えようとする日本の美徳。
涙を流し、思い切り泣く事によって愛情表現をするロシア人。
音楽で例えると、こうかな。
武満徹とチャイコフスキー
皆が泣いている時に一緒に泣くのは、実はそう難しい事ではない。
でももし、皆が泣いている中で一人だけグッと堪えている人がいて、尚且つそれが日本人だったなら、
それは日本という国の人が出来る、彼ら独特の愛情表現なのかもしれない。
さて、
ロシアを発って、一ヶ月が発とうとしています。
私が日本を3週間も離れていた事が、まるで嘘だったかのように、以前と全く変わらない日々。
そんな中、先週ダーチャのお庭から素敵な頼りが届きました。
さくらんぼ
セイヨウミザクラ
クロスグリ
キイチゴ
百合
そして、私が植えたトマト
美味しい色になってね
長い長~い、この11回に及ぶ「北コーカサス・シリーズ」読んで下さいました皆様、ありがとうございました。
また、この景色の中に戻る日を信じて・・
北コーカサスへの旅
おしまい。
おまけ