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北コーカサスへの旅 最終回

2013年06月18日 | ロシア

お爺ちゃん、お婆ちゃんと。


出会いがあれば、必ず、別れもついてくる。

いよいよ、お別れの時がやってきました。




お母さん、いつも私の大好物のお魚料理を作ってくれて、ありがとうございました。

私の使っていたスリッパ、

「ユリがまた来た時に」

って、箱の中に入れて物置にしまいに行ったお母さん。
その後姿、まだはっきり思い出すことが出来ます。


それから、お婆ちゃん。


何よりも一番辛かったのは、お婆ちゃんとの別れでした。
皆には、またきっと会えるかもしれない。
でも、もう病気のお婆ちゃんの事を想うと・・。

お婆ちゃんは、私のお団子頭が大好きでした(笑)
ロシア人の日本人イメージが「芸者」の様なので、私のアップしたヘアースタイルはロシアで好評でした


元船乗りのお爺ちゃんが50年前に日本で買った絵画

この絵画と一緒に並ぶと、お婆ちゃんは「あ~、やっぱり、あなた日本人なのね!!」と、お爺ちゃんと一緒に喜ぶのでした(笑)



お婆ちゃんが若い頃に使っていた、イヤリングとネックレス。

これを受け取って欲しいと言うのです。

「お婆ちゃん、こんな大切な物は受け取れません」

顔を横に振る私に対して、お婆ちゃんは言いました。


「私はもう歳だし、病気の身なの。もう若い頃の様にお洒落してダンスに行く事なんてないのよ。どうか日本に帰って、ユリの演奏会でこのアクセサリーを身につけて演奏して欲しいの。そしたら、私、どんなに嬉しいか・・。あなたに、つけて貰いたいのよ。」

しばらく抵抗していた私が、ようやく折れて受け取ると・・、お婆ちゃんは、泣いてしまいました。
最初のうちは、涙をぬぐっていたお婆ちゃんでしたが、ぬぐってもぬぐっても次から次へと零れ落ちる涙に、最後はぬぐうのを諦めたようでした。



<お別れの日の朝>

朝10時に家を出て、空港へ向かう約束をしました。

朝ごはんを食べて、洗い物をして、庭の苺を摘んで、作物に水をあげて、色々してたら、

家を出たのが11時40分でした。 もう約束するの止めたらヾ(・ω・;)??

予定していた時間よりも遥かに遅れていました。
途中渋滞もあって、でも何とか、あともうちょっとで空港って所で、お父さんが急に車を止めようとしました。

「ユリ!!アイスクリーム食べたい?」




(´-ω-`)

お父さん。。あの・・。時間。。


私のお父さんに対する印象は、最初から最後までアイスクリームと結びついてしまいました。

ここでも残念ながらアイスクリームを断って、空港まで走り続けて貰う事をお願いしました。


クラスノダール空港

わ~!!着いた~!!早くチャック・インしなきゃ乗り遅れちゃう!!

私は勢いよくドアを開けようとしました。

が、

みんな降りる気がない。


誰かが口を開くだろうと、じっと待つ私。


ようやく呟いたのは、お父さんでした。




「早く着き過ぎたなぁ~。」



全っっ然そんな事はない!!

「いつも2時間前からチェックインするから、もう行かなきゃいけない」

と、説得して車を降りました。


案の定、チェックイン・カウンターに着いた私が目にした文字は

「モスクワ行き:チェックイン受付終了」

だ、だ、だ、だから言ったじゃ~~ん。・゜(゜⊃ω⊂゜)゜・。

それでも必死で「列に並んでいたから」と言い訳して、なんとか受け付けて貰えました。

むむぅ。どうも海外旅行を車で済ませてしまうこの家族は、飛行機も5分前位に乗り込めば良いんじゃない?っと考えていた様でした。

いや、飛行機、車と違うから・・。


しかし、また問題が・・

お土産を沢山頂いた私のトランクは重量オーバーでしたので、罰金を払わなければなりませんでした。
私はそうなる事を予想していたので、素直にお金を払おうとお財布を出していると・・

お父さんがカウンターで抗議を始める。

「なんで早めに私達に教えてくれないんだ?空港のどこにも罰金について書いてないじゃないか!」

いや、お父さん、アエロフロートのHPとかに書いてあるよ。

「僕は航空会社に抗議の手紙を書くよ」と、ウラジスラフ。

いや、だから、これ空の旅の決まりだから・・。


あろう事か、モスクワでお金が足りなくなってしまったら・・と、家族みんながお金を出し合って、お札を私の手の中に押し付けました。

ここまで世話になってはいけない!!

「いえ、モスクワではお金使わないから、大丈夫です!!」

私は、そう言ってお金を押し返すと

「足りないの?そうよね、全然足りないわよね?あと1000ルーブル出すわ!!」と、お母さんがお財布からお金を取り出そうとしたので

「いえ!!充分です!!」

と、結局お金を頂いて飛行機に乗ってしまいました(T__T)ごめんなさい。ごめんなさい。

もう時間がありませんでした。

家族一人一人を抱きしめて、最後に皆の顔を目に焼き付けるように見つめて、

最後の乗客を待っていた飛行場のバスに、駆け足で乗り込みました。



私の感情を無視して、何事もなかったかの様に走り出すバス。

もう、家族の姿は見えなくなってしまったけど、

飛行機の傍まで来た時、

暖かくて、明るくて、人々が平和に暮らす、このクラスノダール地方の空を見上げました。

みんな、良い人達だったなぁ。。

ぐるっと空を眺めて、名残惜しく最後の空気を吸い、この北コーカサスに別れを告げました。




モスクワに着いたのは、予定より45分も遅れてでした。

もともと東京行きの飛行機とは時間に余裕がなかったので、空港内を走る事にしました。
エレベーターを待っていると、後から猛スピードでこちらにやって来るスチュワーデスさんがいたので、
念のため「あの~、セキュリティーチェックって何階ですか?」って尋ねると、

「あなた、もしかして東京行きの飛行機に乗る子?」

はい。と答える私に

「あ~~!!神様、ありがとう!!」

そのスチュワーデスさんは私を探していたとの事でした。

スチュワーデスさんに誘導してもらって、既に開いていたゲートをくぐり、またもギリギリで飛行機に乗り込みました。

この飛行機はパリ発モスクワ経由の成田行きでした。
機内はフランスを観光して来たであろう日本人ツアー客でいっぱい。
急にあちらこちらで聞こえる日本語。

そっか、この飛行機は寝てても日本に着くんだ。
もう私、乗り換えしなくて良いし、この飛行機に乗っていれば、あとは東京に着くだけなんだ。

シートに座り、一人ボーっと外を眺めながら・・自然と涙が零れ落ちるのでした。
馬鹿ね、私。
この涙、ちゃんと皆に見せるべきだった。
お婆ちゃんも、オリガも、ウラジスラフも、家族の皆が涙を流して別れを悲しんでくれた。
でも私は、日本人だからなのか、感情をぐっと堪えていた。

以前イギリスに住んでいた時の、ホストマザーの言葉を思い出しました。
「ユリが発つ日は、私は部屋から出ないから。
ユリが部屋に来るって言うなら、私はその日は外出しておくわ。
別れは辛いでしょ。」

私は、あの時のホストマザーに似ていました。

涙を流さず、ぐっと悲しみを堪えようとする日本の美徳。
涙を流し、思い切り泣く事によって愛情表現をするロシア人。

音楽で例えると、こうかな。

武満徹とチャイコフスキー

皆が泣いている時に一緒に泣くのは、実はそう難しい事ではない。
でももし、皆が泣いている中で一人だけグッと堪えている人がいて、尚且つそれが日本人だったなら、

それは日本という国の人が出来る、彼ら独特の愛情表現なのかもしれない。




さて、

ロシアを発って、一ヶ月が発とうとしています。

私が日本を3週間も離れていた事が、まるで嘘だったかのように、以前と全く変わらない日々。

そんな中、先週ダーチャのお庭から素敵な頼りが届きました。



さくらんぼ


セイヨウミザクラ


クロスグリ


キイチゴ


百合


そして、私が植えたトマト
美味しい色になってね


長い長~い、この11回に及ぶ「北コーカサス・シリーズ」読んで下さいました皆様、ありがとうございました。



また、この景色の中に戻る日を信じて・・



北コーカサスへの旅



おしまい。










おまけ

コメント (19)
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