徒然になるまで

色々遭った結果の、『走る事務員の徒然になるまで』の後継ブログです。

あと数日で32週

2019-09-18 13:30:37 | 雑記
前回から時間が空いた理由は、笑えないようなトラブルが続きすぎた為です。
Twitterにはリアルタイムで色々書きなぐってるけど、ここでちょっとまとめてみようと思う。

結論から言うと、現在進行形で自宅安静指示が出続けている状況です。

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・昨年10月
顕微授精準備のために、筋肉注射と飲み薬が処方される。
結果として、仕事中に立っていられなくなり辞める算段をつけた。

採卵前に、飲み薬・点鼻薬が処方される。結構辛い。
だが採卵当日朝の座薬が無かったら、採卵後の激痛に心が折れてたと思う。



・年末~年始にかけて
逆流性食道炎発覚。
薬がようやく効きだしたのが、2月初旬。
(治療は現在も続いている)



・2月下旬

融解胚を戻す。
処置は人工授精と同じでかなり楽な部類。
ここから確定診断まで、死に物狂いでカフェインを絶った。
この後からプロゲステロン腟錠とエストラジオール貼付剤が処方される。



・3w6d

不妊治療による診察で妊娠が確認される。
この頃は本格的に酷い眠気でどうにかなりそうだった。
今思い返せば、この眠気をコーヒーでやり過ごしていなければ、過去の治療でも着床してたかもしれない。

妊娠継続を維持するために、プロゲステロン腟錠とエストラジオール貼付剤が量を増して追加処方される。
そして薬剤師と医師に相談し、逆流性食道炎の治療薬のなかでも症状を安定させていた2つの錠剤の使用禁止を言い渡された。

その日の内に、葉酸サプリを購入。
この判断は間違ってなかった。



・6w

鮮血出血と腹痛(今から思い返しても、明らかにお腹の張りが強かった)
診察の結果、妊娠継続&胎児を確認。
この時点で出せる薬が不妊治療から継続して使っていたホルモン剤以外無かった為、自宅安静指示。



・7w

悪阻が悪化。
お腹の張りは継続しており、妊娠継続のために黄体ホルモン剤が更に追加。
この薬の副作用「吐く」が、悪阻なのか副作用なのか、それとも逆流性食道炎なのかが不明のレベルだった。



・8w

眠りづわりは落ち着いてきたが、悪阻が消化器に移行。
旬のイチゴを就寝前に1粒食べないと翌朝まで吐く生活を繰り返していた。



・9w

処方されていた大量のホルモン剤が終わる頃、ようやく妊娠届出書が発行される。
たったの2週間で体重1.5kg減。




・10w

きっかけはその週の月曜、胃腸科での血液検査だった。(血中薬剤濃度の測定の為)
実は検査30分前に悪阻で吐き気が強まった為、ちいさなおにぎりを食べてしまった。

水曜日の第一回妊婦検診で、血糖値が下限を割っていた。
ここから医者からしつこく「食べてるか」「水分を摂っているか」と問われるようになる。

水道水もミネラルウォーターも受け付けなくなっていたので、ソーダストリームで水道水を炭酸水にして飲んでた。
レモン果汁だけを少し混ぜても、ちゃんと飲めた。
途中から麦茶を常備する事になったけど、水でなければ問題なく水分摂取が出来ていた。
マルチビタミンが混ざったゼリー飲料とカロリーメイトは、生命線だった。
ポテチのサワークリームオニオン味が止まらなかったが、1袋摂ると胃の不快感が増すので回数減らした。
葉酸サプリのレモン味が、最初は美味しかったはずなのに、途中から水分で押し流す必要があるほど受け付けなくなった。
葉酸をよく含んだ食べ物は、絶対に切らさなかった。
ごはんの炊ける匂いがダメになったので、トーストにバターとマーマイトを塗って食べてた。物凄く美味しく感じた。

木曜日の胃腸科での結果確認でも、血糖値が下限を割ってた。
こちらの医師からも「食べてるか」「水分摂ってるか」と問われる。
ここで食道炎から来る吐き気と悪阻による吐き気を確認するため医師と話した所、全部悪阻が原因と判明。
安定期に入ったら止めている薬が使えるか産婦人科医と相談する旨を約束した。



・12w

悪阻の症状のうち味覚と嗅覚が落ち着いてきたが、吐き気は酷いまま。
とうとう喉の奥を切ってしまい吐血する。
小のかけうどん1杯で限界を迎える胃袋。

体重も落ちたままほぼ変わらず、診察中に強い空腹を感じてえづく。
持ってたゼリー飲料をこっそり飲みながら、維持液とビタミン剤の点滴2時間コース。
多少は吐き気が落ち着いたものの、点滴針を刺したまま再度診察。
そして、医師との話し合いで管理入院や点滴通院を回避する事に成功。
とはいえ、その直後にトイレで嘔吐吐血してるのを看護師に見られている……。



・13w
ようやく近場であれば外出出来るようになる。
嘔吐は無いが吐き気が強い。
胃に負担が掛かるものを食べると、吐いてしまうが。



・14w
女性外来から産婦人科外来に移動。「ようやくまともな妊婦ライフが送れる!」と油断していた。
胎盤は出来つつあり、羊水の中でくるくると動き回る胎児に安堵するものの、吐き気が止まらず。
飲食が全くできなくなったら来院するよう指示を貰う。

ちょうどこの頃、ようやく22時~2時の間に吐き気が増す事に気付いた。
……成長ホルモンの影響?



・16w

胎動を感じるようになる。
体重計に乗っても、なかなか戻らない。
少し遠出もしたけれども、1時間が限界。
そんな状態で戌の日を迎えたけれども、自宅でずっと吐いてた。



・17w

午前中の内に安産祈願のお参りに行ってきたが、昼食時にはお腹の張りも酷くなり夕方まで安静。
ごはんの食べれる量も増える事がなく、割と焦る。
ただ胎動はどんどん回数も強さも増えていく。



・18w

午前中に非常に強いお腹の張りが起きる。継続時間も長く、深呼吸を繰り返しながら痛みを逃す。
この日以降、お腹の張りが頻繁に起きるようになる。
そして、前回の日記をUPした直後の診察で前置胎盤が発覚。
にもかかわらず、胎児は羊水内を遊泳しくるくる回っている。心音の波形もとれた。

この時の診察から、出血したら即病院連絡を確約させられる。
と同時に、通院中の病院では32w未満だと子供を取り上げる事が出来ないため、万が一の際には転院の覚悟も必要だと言われた。

その病院、地域周産期母子医療センター(二次施設)なんですよ。
「転院」という事は、その上の総合周産期母子医療センター(三次施設)なんですね。
そこから、救急車かドクターヘリのいずれかで搬送される恐れがある、っていう恐怖の宣告でもあるわけで。

……不妊治療のために紹介状を書いてくれた町医者の判断は、どうやら間違ってなかったらしい。



・20w

外出先で吐き気が収まってきた事に気付く。
お腹の張りはあるものの、痛くなる前に戻れる距離ならば外出も可能になった。
とはいえ、ペースが掴めなかったり買い出しに行ったりする事でお腹の張りが強まるため油断ならない状況。



・22w

お腹の張りが段々強まってくる。そのため、家から一歩も出れない日が出てくる。
安定期に入ったら要相談だった薬2種の処方許可を貰う。ただし、授乳期間中は禁忌。
お腹が張っていると、湯船につかれない。
それどころか、お腹が張っていなくてもつかると張るのでつかれない。



・23w

暑さのせいで脱水症状が出る。
お腹が張ったに触れてみると、全身が火照っているにも関わらずお腹だけ氷のように冷たい事に気付く。



・25w

張り止め薬の処方開始。1日3回+頓服。
エコーの結果、体位が横……。

以降、副作用の動悸と頻脈に悩まされる。


・26w

風邪をひく。咳が止まらず、一週間後の通院時に咳止めと風邪薬を処方してもらった。
ついでに張りが酷いので、張り止め薬が1日4回+頓服にグレードアップ。
体重は増加傾向。ただし、糖負荷検査(妊婦検診内)で要精密検査になる。
この週は、風邪でほぼ寝たきり。



・27w

糖負荷検査(精密検査)の結果は問題なし。



・28w

血圧測定で自身の最高数値が出る。
胎盤の位置が相変わらず子宮稿を塞いだままだったので、帝王切開は覚悟するように言われる。

「もう少ししたら入院して様子をみましょう」と管理入院を匂わせる発言……。

入院準備と子供の受け入れ準備を本格的に始めた。
流石に突然管理入院になったら不味いので、夫だけではなく実母や義母にも事情説明をした。
弟の出産直前、管理入院に突入した実母は即納得してくれたが、義母が全然解っていなかった。
対策として、義母の姉の中でも「娘がお腹の中に居る間に子宮筋腫手術した」という伯母に事情説明。そこを通じて、ようやく事態の深刻さに気付いてくれた。

ただし、張り止め薬が効かない時があり、横になっている時間が増えていく。



・30w

外出先で胎児にみぞおち蹴られて、危うく床に沈むところだった。
体位は横~下に頭があるような状態。実質横。
安静指示を守り続けた結果、胎盤の位置が大きくずれる。完全に塞がっていたのが、縁まで。
ただし、管理入院の話は継続状態。
保険診療の都合で、張り止め薬は手持ちの頓服をやりくりするしかなくなった。


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自宅安静指示が切れた事が無い状態で、ようやく一つの目標である「転院阻止」が達成しそうです。
とはいえ、正期産である37wまではお腹の中に居て貰わないと……。
次の目標が「管理入院阻止」だけど、厳しいだろうな、と思ってる。
せめて期間を短くできればいいのだが……。


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