このフレーズは最近知人を亡くした自分に刺さった。
広津里香略歴
1938年 東京生まれ
1951年 父親の金沢大学工学部教授赴任により金沢
1951年 父親の金沢大学工学部教授赴任により金沢
に。
1956年 金大付属高校卒業
今も陸上自衛隊金沢駐屯地の前にある。
1957年 津田塾大学中退
1962年 東京大学教育学部卒業
1965年 早稲田大学大学院修了
1967年 再生不良性貧血のため死去(享年29歳)
1957年 津田塾大学中退
1962年 東京大学教育学部卒業
1965年 早稲田大学大学院修了
1967年 再生不良性貧血のため死去(享年29歳)
亡くなってキャンバスの裏に詩が書かれたVivi Noteの存在を知る。ご両親は娘がかくも激しい思いがあったことに驚き書籍化に至った。
四高記念館、近代文学館のレトロなグッズや刊行物が正面玄関横で販売されていた。(今はGate4で販売)
近代文学館から刊行2冊の内、数年前に中野重治の「歌のわかれ」を購入した時からこの広津里香詩集?何者?何故ここに?と疑問が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/fa/8a141d372fa34895047dfc2021beb08c.jpg?1699944349)
学芸員に広津里香さんについて話が聞けた。
父親が金沢大学に赴任、青春時代(中学、高校)を過ごした金沢に絵画とVivi Note7冊が寄贈されこの本の底本(そこほん)となった。