金沢は古くそして新しい町。
新しく、そして古い町。
その金沢の魅力を探して、
今日も町を歩きます。
こんな書き出しから始まる。
ページをめくると知らない金沢に
会えそうです。
第1景から第72景まで金沢を4つのエリアに分けて
慈しむような眼差しで紹介されている。
第1景 石段からみえるもの【卯辰三社】
行ってみたいと思ったのは
卯辰山菖蒲園奥の卯辰三社
菖蒲園の奥に三神社(卯辰天満宮、愛宕神社、豊国神社)があるのを知らなかった。
(奥に三神社があるのか!)
菖蒲園の駐車場からめいぷるとアッシュと歩くのに丁度良さそうです。
連休日曜日の朝、卯辰山公園線は走る人、歩く人、ペットとお散歩の人で静かながらも活気がありました。
菖蒲園のすぐ脇にその参道がありました。
閑静で時間を感じさせる佇まいだ。
途中、日暮し丘から並木町辺りを見る。
さらに参道が
写真を撮っているとおばちゃんの集団が
降りて来た。
神社の横を行くと卯辰山公園線に出るらしい、これも発見。
到着。これからも神社を守ってください。
第9景 ハッタロウ伝説【帰厚坂】
この坂は天神橋から少し行った所から直線に登っている、坂を上がりきると今いた菖蒲園になる。
その伝説について五木寛之は描いている。
あたりが暗くなると、下駄履きに黒い帽子、黒いマントをまとって現れる。大正から昭和の初期にかけて、卯辰山から東山界隈にいた謎の男を、当時の人たちは「ハッタロウ」と呼んだ。
「黒い長靴を履き、女物の着物を着て、我関せずと歩いていた」
「廓の女の人にはものすごく人気があった」
「座頭市みたいな竹笛の小さいのをピーピーと吹いてね、夕方からでてきましたよ」
「電信柱に向かってブツブツ何かしゃべっていた」
「子どもたちに頼まれると、電信柱に登り『もしもし』と仏様やえん魔様と電話でやりとりした」
数々の証言が残る漂泊者は卯辰山の帰厚坂の中ほどに住み、ひがし茶屋街に現れては、手伝いや使い走りをしていた。どこか飄々としてユーモアがあるハッタロウは人を引きつける存在であった。
天神橋から
橋から浅野川を見ながら渡ると
直ぐに帰厚坂はあります。
余談
我が家のアッシュは義父に「アッタロウ」と呼ばれている^ ^
以前のブログ
五木寛之はとても金沢にゆかりの深い人。