気が早いのですがあと一ヶ月ほど経つと桜も
咲き出し春霞が立つような陽気な日が待ち遠しいの
です。
そんな季節に井上靖は沼津中学から
昭和2年に第四高等学校理科に入学している
憧れだった白線帽を被り放吟闊歩する日々の
始まりを迎えた。
(アッシュ:第五高等学校に入りたかったなぁ〜)
[青春の旧制高校]昭和46年刊で入学時の高揚感と
三年間の思いを語っていますのでご紹介します。
☆我が家の想定会話☆
え!紹介して入らない!あ、そう。
でも関心がある人もいるかも知れないから!
「五稜の年少」
年令五十にして進士試験に合格した老受験生孟郊に
「春風意を得て馬蹄疾く、一日見盡くす長安の花」と
いう詩がある。進士試験合格の悦びを、高い調子で述べ
たものである。これと同じ気持ちを、私も亦遠い青春の
日に持っている。四高の受験に合格し、これから三年間
を過す金沢の町を、初めて白線の帽子を被って歩いた日
の心奢りは、いまとなって振り返ってみると、人生にそ
う沢山あろうとは思われぬ美しさで心に迫って来る。大
唐の都長安の場合は、花というのは牡丹であり、春は牡
丹から始まるが。私の場合は勿論桜である。
兼六公園の城址は桜で埋まり、その中を、馬にこそ乗ら
ないが、宛ら馬蹄を高くとどろかせている気持ちで歩き
廻ったものである。これは私ばかりでなく、往時の高校
生活を送った経験のある人たちはみなこの世にも類い
なく美しい青春の一日を持っている筈である。
それから夏までの短かい得意の生活は、これを大唐の
詩人にもとめると李白がみごとに替って歌ってくれている。
「五陵の年少、金市の東、銀鞍白馬、春風を渡る。落花
踏みつくして、いずこかに遊ぶ、笑って入る、胡姫の酒肆に」
まさに私たちの生活はこの通りであった。五陵の年少
はさしづめ寮を抜け出してさまよい歩く高校生であり、
銀鞍白馬はさしづめ肩でかぜを切って歩く紋付の羽織と
書生下駄であろうか。笑ってはいったかどうか覚えて
いないが、初めてサービス女性の居る喫茶店やカフェー
にはいる気持ちはまさに、"笑って入る 胡姫の酒肆に"であろう。
若い三年の生活はこうしたまたとない華やかさから始ま
る。併しこの心奢る一時期はそう長くは続かない。
それぞれ思い思いの足どりで歩き始める。ひたすら勉強
に打ち込むもの、勉学は放擲して運動に取り組むもの、
思想の悩みに己が青春を投入するもの、何もしないで酒
ばかり飲むもの、今になって考えると、どれをとって
も、それぞれにいいような気がする。白線に飾られた青
春の過し方である。身内にあり余る情熱は所詮何ものか
に捧げなければならぬものであったのだ。
私は柔道に三年間を賭けた。「練習量がすべてを決定す
る柔道」というものを夢み、それに三年間を賭けた。
明けても暮れても道場ばかりにいた。今にして思うと、
結局のところ練習量が絶対である柔道というものはなか
ったがその頃の私にはそれが絶対であったあったのであ
る。青春の錯誤である。この錯誤が、私の生涯で為した
一番美し楽しく、充実した価値のあることであったかも
しれない。
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