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めいぷるアッシュEnnyの日々是好日

サガレン

サハリン(樺太)の古い呼び名。
本書は冬と夏のサハリン旅行記

初回は寝台特急に乗って島を横断

二回目は1923(大正十二)年に樺太を旅した宮沢賢治の行程をたどる。

<サハリンの歴史>
もともとアイヌ、ニブフ(ギリヤーク)、ウィルタ(オロッコ)などの人々が暮らしていた島。

1845(安政元)年日本とロシアの間で日露和親条約が結ばれたとき、すでに日本人は島の南部を漁場としていた。
ロシアは大陸を流れるアムール川をシベリアと太平洋間の補給路として重視していた。

日本とロシアはサハリンの帰属を決めず、雑居状態が続いた。

帰属がはっきりしたのは、21年後の1875(明治八)年サハリン全島をロシア、千島列島を日本が領有するとさだめた樺太・千島交換条約を締結。

この状態はそれから30年にわたって続く。変化を起こしたのは日露戦争での日本の勝利である。1905年(明治三十八)年に結ばれた日露戦争の講和条約ポーツマス条約によって日本は島の南半分(北緯50度線以南)を得る。

次の変化は1945年(昭和20年)年、8月8日、ソ連軍が日ソ中立条約を破って日本に宣戦布告。樺太では11日に国境線を超えてソ連軍が進行し全島を占領。

敗戦国となった日本は、1951 (昭和二十六)年のサンフランシスコ講話条約で樺太・千島の領有権を放棄したが、この条約にソ連は参加しなかった。



サハリンには海峡を二つ越えなければ行けない。
津軽海峡と根室海峡が頭に浮かんだが、根室海峡ではなく宗谷海峡だ。

随分前の話ですが、大韓航空機がサハリン沖で撃墜され礼文島に大韓航空機の残骸が漂着した。
サハリンはすぐそこだ。

面積は北海道よりも少し小さいらしい。


この本、宮沢賢治好きの人には良いのかな。

戦前サハリンを旅した著名人
神沢利子 林芙美子 北原白秋 津島祐子 チェーホフ 山本有三 山口誓子 斎藤茂吉 金田一京助 昭和天皇も

近年では村上春樹。

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