久しぶりに四高記念館(旧本館校舎)に来た。
来たと思った、しかしなんということか
9月12日迄コロナ対応で休館とは。
今この校舎だけがこの地に残っていますが
明治村には「無声堂」武術道場と物理化学教室が展示保存されています。
後ろに写っているのは今は亡き校舎と推察します。
門限破り(オーバーゲート)
昭和33年に建てられた、明治・大正・昭和3代の四高生を表した記念像。
右側面に代表寮歌「南下軍の歌」(明治40年制作)の一節が刻まれ、背面の由来文に「集まり散じた同窓同学の士一万二千余 相率いて『至誠自治』の精神を培い『超然時習』の学風を起し 業成りて後は明治大正昭和三代に亘りよく祖国の興隆と文化の進運に寄與した」とある。
井上靖の碑
以下は碑文
「流星」
高等学校の学生の頃、日本海の砂丘の上で
高等学校の学生の頃、日本海の砂丘の上で
ひとりマントに身を包み、仰向けに横たわって
星の流れるのを見たことがある。
十一月の凍った星座から、一條の青光をひらめ
かし
かし
忽焉とかき消えたその星の孤独な所行ほど
強く私 の青春の魂をゆり動かしたものはなかった。
それから半世紀、命あって、若き日と同じように、十一月の日本海の砂丘の上に横たわって
それから半世紀、命あって、若き日と同じように、十一月の日本海の砂丘の上に横たわって
長く尾を曳いて疾走する星を見る。
併し心うたれるのは、その孤独な所行ではな
く
く
ひとり恒星群から、脱落し、天体を落下する星というものの終焉のみごとさ、そのおどろくべき清潔さであった。
井上靖