金沢は古くそして新しい町。
新しく、そして古い町。
その金沢の魅力を探して、
今日も町を歩きます。
こんな書き出しから始まる。
ページをめくると知らない金沢に
会えそうです。
兼六園は第24景から28景まで書かれている。
<本文より>
第24景 カキツバタの咲く音【兼六園】
カキツバタのつぼみが開くのを見に来る人々がいる。
このこと自体が他の町にはない金沢らしい風流な暮らしぶりだと感激しました。
四十年ほど前に、徹夜で原稿を書き終えて誰もいまいと夜明け下駄をつっかけ兼六園を訪れると、そこには先客がいた。何をしているのかと尋ねるとカキツバタが開く音を聴いているのだという。「ポッという小さな音がするんですよ。さぁ聴いてごらんなさい」と言われ、じっと眺めるが、どうも音は聴こえてこない。
第25景 遠来の友 【兼六園】
大変神経質だった芥川龍之介にとって、
犀星の招待を受けて楽しい日々を過ごした
金沢逗留は忘れられない日々の
ひとつであったに違いありません。
犀星が友人芥川龍之介を招いたのは、心づくしのたまものだった。関東大震災の翌年のことである。当時は、犀星に比べると竜之介の方がずっと有名な売れっ子で犀星は礼を尽くして龍之介をもてなした。
第26景 美しき仮面 【兼六園・霞ヶ池】
三島由紀夫の作品が金沢に影を
落としているということも、街の深みを増す
ひとつの大きな要素だと思います。
三島由紀夫が金沢の血を引く作家であることは、地元でも意外に知られていない。加賀藩の儒学者の家系で、東京開成中学の校長を務めた橋健三の次女・倭分重(しずえ)が三島の母親である。
第27景 十月、歌のわかれ 【兼六園・眺望台】
金沢はさまざまなすぐれた
文人墨客を何人も育んだ街だということを
改めて感じます。
プロレタリア文学で知られる中野重治は福井県丸岡に生まれ、旧制四高で学んだ。卒業後二十年を経て書かれた小説歌『歌のわかれ』では青春時代の四年半を過ごした金沢が随所に描かれている。
第28景 「兼六園公園」の時代
庭園は生き物。時代の変遷とともに
時代時代とともにいろんな姿を見せてくれます。
長い時代を生き抜いてきた兼六園が、
これから先どんな姿を見せてくれるのか、
大変興味があります。
桜の季節になると、兼六園の茶店通りはいつもにも増して賑わいを見せる。満開の桜の枝の下に築百年近い茶店が軒を連ねる。通りは明治と大正期に「兼六公園」と呼ばれていた頃をしのばせる風景である。
兼六園もだいぶん変わった。
昭和51年まで入場料は無く、門はいつも開いていたのではないかと思う。
今でも市民は無料で入場できますが敷居が高くなった。
春の花見はゴザと食べ物を持って園内で酒盛り、兼六園で花見そんな時代もあったのですね、いいなぁ。
ヨッパが沢山いた。
A地点からB地点に行くのに園内を通って行った。
霞ヶ池で釣りをして自慢?していた。
もっと昔は霞ヶ池に大型の屋形船を浮かべて、着飾った女性を乗せて3銭で一周した。
以前はペット入園禁止なんて固いこと言わなかっただろうなぁ。
めいぷる・アッシュとここで撮影したいものです。