☆見出し画像は、トーチカに続く道
金沢は古くそして新しい町。
新しく、そして古い町。
その金沢の魅力を探して、
今日も町を歩きます。
こんな書き出しから始まる。
ページをめくると知らない金沢に
会えそうです。
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第80景 反米の記憶 【権現森】
近くに"トーチカ"が現存している⁈
「内灘闘争」は聞きかじっていましたが
着弾観測所(トーチカ)が文化財として残っているとは。
ナビ通りに走っていると道路工事で通行止め!!ありゃ!引き返そうかと思いましたが、途中浜に下りるような小さな脇道があった。
この道がドンピシャ、目的地に繋がる道!!!
畑仕事を終えたオバちゃんに道を聞いて行く。
有りました"トーチカ"です。
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海岸線に向け覗き窓がある。
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<本文より>
内灘にある権現森のニセアカシアの林の中にひっそりと残るコンクリートの建物。風雨にさらされてところどころ壁が剥がれたトーチカは半世紀前の闘争の記憶をとどめて故郷の浜を見守っている。
内灘の砂丘に米軍の砲弾試射場の話が持ち上がったのは、昭和27年(1952)9月のことだった。半農半漁の村では、沿岸漁業で生計を立てる世帯がほとんどであり、浜をとられることは村民にとっては死活問題だった。「内灘の海を返せ」「試射場反対」と叫びながら、内灘の人々は全国から集まった支援者とともに抵抗した。石川県庁への反対陳情やムシロ旗を押し立ててのデモ行進、権現森での座り込み、戦いは四年三ヶ月の接収を終えて浜が村に返還された昭和32年(1957)3月まで続いた。内灘闘争と呼ばれたこの戦いは、その後全国で繰り広げられた反米基地闘争の草分けとなった。
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内部から海を見る
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五木寛之は『内灘夫人』という小説を書いています。
内灘闘争に参加し、結ばれた学生夫婦を主人公にした物語。
内灘闘争と大学紛争の二つの青春期をめぐる物語の中で、ヒロインは「内灘」を引きずり、悩み続ける。そして小説の最後は、こう結ばれている。
「さようなら、私の内灘。私の青春」。
[今、内灘は地震で大変な事になっています。]
帰りしなオジちゃんがめいぷるとアッシュを見て「ハリアー」ですかと聞く。
ハリアーが出るなんてただのワンコ好きじゃないな?
聞くと10年前に建てた愛犬のお墓を見に来たらしい、お墓に眠っているのは愛犬のポインター。
以前は権現森で狩猟をしていたらしい。今は鳥などがいないのか規制が厳しくなったのか。
雨がポツリ、そして先日どこからか
ダニーズJr.(ダニの子供)を付けて来たので早々に引き上げです。
良い一日を!