めいぷるアッシュEnnyの日々是好日

葡萄酒

ワイナリーの設立は2005年。
下のセイベル種のワインのラベルは2004???



2004は北海道産の葡萄と能登産の葡萄の混嬢
製造は北海道ワイン


このワインをワイナリーに預けている経緯を思い起こせば多分
2004年以前、勝沼の原茂ワイナリーで、同じ畑の
1年物、2年物、3年物を試飲した時、味の違いに感動したから
それぞれに特徴があり、年を追うにつれ熟成しているのがわかり
瓶熟成の大きさを実感した。

だから混醸セイベル種の2004も将来美味しくなるだろうと思い
ワイナリーのセラーに預けた。少しずつ頂いていますが
まだ何本か残っているのです。


2010年ごろになると白く透明に近い色が熟成が進み黄金色になり味は
とてもふくよかで辛くもなく甘くもなくブラボーと内心叫び
こんなに豊かな味になるものなんだと思った。

それが月日が経ち、なんで白を長期保管したのか?と
後悔してしまうほど味が変化した。
2年前からだろうか熟成のピークが過ぎ下降曲線に入っていたらしく
あのふくよかさはどこに行ったんだと思ってしまった。
美味しいワインを飲んだ時のパッと明るくなる感じはなかった。



予想出来たのにと思って見ても仕方ない事。
今はまた下降曲線から上昇曲線にならないかと
奇跡を願うばかり。

しかし10月ワイナリーの収穫体験会に行った折セラーから二本引き揚げて
飲んだがやはりあの輝きは失せてしまっていたが
そんなに落胆する味でも無いと感じた。
それは町で買った1500円程の外国産ワインよりも
十分に良かった、それと当時2004年に飲んだ時よりも。


一年前
開高健 著「ロマネ・コンティ一九三五年」
1973年1月刊に出会う。

小説家はRC(ロマネコンティ)とラ・ターシュ6年物を比較する。

「若いのは六歳、古いのは三七歳だ。となりどうしの畑でとれたけど、名がちがうから、異母兄弟というところかな。本場中の本場、本物中の本物、ヴレ・ド・ヴレというやつさ。けれど、こればかりはどんなに血筋や年がよくても、あけてみるまではわからないんでね。うらむわけにはいかないけれど、ときどきガッカリすることがある。ことにブルゴーニュはそうだね」


「給仕の顔にひどい緊張があらわれた。手はしっかりと、けれど籠とのあいだには紙一枚のゆとりをあけて、つかんだ。瓶の口は猫の慎重さでグラスにしのびよった。瓶がゆさぶられないか、酒が混乱しないか、檻が舞い上がらないか、注がれているあいだずっと小説家は息をつめて眺めた。」


グラスに注がれたRCを、、

「暗く暗い。瑪瑙の随部のように閃きはなく、赤からはるかに進行して、褪せた暗褐にちかいものとなっている。さきのラ・ターシュは無垢の白い膚から裂かれて朝の日光のなかへほとばしりでた血であったが、これは繃帯に沁みでて何日かたち、かたくなな顔つきでそこにしがみつき、もう何事も起こらなくなった古血である。澱んで腐りかかった潮のようなところもある。太陽はいよいよ冬の煙霧のなかで衰え、窓を蔽いかけている黄昏のすぐ背後には誤りようなく夜と名ざせるものが大きな姿をあらわしている。広い、無残な、ひからびた干潟のあちらこちらに赤や青の小さな閃光が音もなく炸裂しはじめている。光も、光めいたものも、何もこの室にはとどきそうにない。たとえ朝の日光があり、昼の日光があったとしても、このどろんとした暗褐の澱みには光耀も射すまいと思われる。もしその闇にたいりくがあるのなら、おそらくは史後期のそれか。」


「暗い果実をくちびるにはこんだ。
くちびるから流れは口に入り、ゆっくりと噛み砕かれた。歯や、舌や、歯ぐきでそれはふるいにかけらた。分割されたり、こねまわされたり、ふたたび集められたりした。小説家は椅子のなかで耳をかたむけ、流れが舌のうえでいくつかの小流れと、滴と、塊りになり、それぞれ離れあったり、集まりあったりするのをじっと眺めた。くちびるに乗ったときの第一撃にすでに本質があらわに、そしてあわれに姿と顔を見せていて、瞬間、小説家は手ひどいついらくをおぼえた。けれど、それが枯淡であるのか、それとも枯淡に似たまったくべつのものであるかの判断がつきかねたので、さらに二口、三口、それぞれのこだまが消えるのを待って飲み続けなければならなかった。小説家は奪われるのを感じた。酒は力もなく、熱もなく、まろみを形だけでもよそおうとする気力すら喪っていた。ただ褪せて、水っぽく、萎びていた。衰退を訴えることすらしないで、消えていく。どの小流れも背を起こさなかったし、岸へあふれるということもなかった。滴に円周にも、中心にも、ただうつろさしかなく、球はどこを切っても破片でしかなかった。酒のミイラであった。」


「終わった。もう飲めない。ひどい渣である。グラスの内壁がこまかい粉でまっ黒になり、瓶にはまだ酒がのこっているけれど、ためしにちょっと斜めにしてからたててみると、どろどろにとけたタールのようなものがべっとりと瓶の内壁をつたって流れ落ちる。それを眺めているうちに小説家はとつぜんうたれた。この酒は生きていたのだ。火がでるような修行をしていたのだ。一九三五歳になってから独房に入って三七年になるが、けっして眠っていたのではないのだ。汗みどろになり、血を流し、呻きつづけてきたのだ。それでなくてこのおびただしい混沌の説明がつくだろうか。不幸への意志の分泌物ではないのだろうか。これもまた一つの劇ではなかったか?・・・・・」



2004がこれからますます下降曲線を辿っとしても
著者が書いたように"生きている"いや栓を開けるまでは
"生きていた"この思いがあれば飲めるし思いを馳せる事ができる。





お休みなさい。


















名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る