めいぷるアッシュEnnyの日々是好日

北帰行

今朝、姿は見えなかったが鳥が何羽も飛んで行く声を聞く。「北帰行」か?と思いましたが
越冬した鳥が春に北へ向かうのが「北帰行」だと思い直しました。
しかしこの季節渡り鳥が何羽も飛んで行くと
意味が違うのですが(音が同じ)
宇田 博「北歸行」のメロディが浮かぶ。(小林旭の歌詞ではない)

宇田 博が旅順高等学校の掲示板に"退学処分に処す"の掲示を友人から知らされる。
「敗北と流離」の思いを込めて親元がいる奉天(現在は瀋陽市)に
行く前に1週間篭りこの歌を書き上げた。

旅順から奉天は北の方角になる。
また日本軍が辿ったコースでもある。

「北歸行」
作詞作曲 宇田 博

原曲(旅順高等学校逍遥歌)
1 窓は夜露に濡れて
  都すでに遠のく
  北へ帰る旅人一人
  涙流れてやまず
2 建大 一高 旅高
  追われ闇を旅ゆく
  汲めど酔わぬ恨みの苦杯
  嗟嘆(さたん)干すに由なし
3 富も名誉も恋も
  遠きあくがれの日ぞ
  淡きのぞみ はかなき心
  恩愛我を去りぬ
4 我が身容(い)るるに狭き
  国を去らむとすれば
  せめて名残りの花の小枝(さえだ)
  尽きぬ未練の色か
5 今は黙して行かむ
  何をまた語るべき
  さらば祖国 わがふるさとよ
  明日は異郷の旅路
  明日は異郷の旅路

*旅順=現在大連市の一部
*建大=放校処分、満州国、建国大学(外地)
*一高=受験失敗、旧制第一高等学校(内地)
*旅高=退学処分、旧制旅順高等学校(外地)





内容は、宇田博が40年後に友人と奉天を訪れ、
日記と当時の地図と今の地図を持って、回想している。
そこにはセンチメンタリズムもロマンチシズムも無く
無事に日本の地を踏めるか判らない驚愕の毎日が連続していた過去
曲を作った治安の良い平和な時と一線を画す。

その時代満州は五族協和の建前のもとに中国人、日本人、朝鮮人
ロシア人、蒙古人が混在していた。

そして日本の敗戦、関東軍の将校は100万人を超える日本市民を
置いてきぼりしていち早く日本に逃げ帰る。
1部の残存関東軍は賊化して市民を恐怖させた。
白系ロシア人は赤系ロシア人によりシベリア送り
日本人は辺境の地から辿り着けても力尽き亡くなる人々
売られる乳飲み子多数。赤軍(ソビエト)の次に入って来た中共軍(八路軍)により
朝鮮人は辺境の地に強制移住。

同行の友人の妻はロシア人、目の前で赤系ロシア人に拉致され行方知れず。
今回の旅は友人の妻の行方を探る旅でもあり
40年前に戻る旅でもあった。




片道航路では、奉天から引き揚げ船で佐世保まで
主に船の中での事が描かれている。
宇田博はこの本を書いた後亡くなった。
息子さんの後書によると、旅順高等学校の鉢巻きをして書き上げたとあった。


お休みなさい。


2016年12月9日にも同じタイトルでブログ
書いていました^^;


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