PONさん  スマイル時々ナク

ただ日々の事を書いていきたいと思います。日々を素直に自分らしく☆

病気について。。。(Ⅹ)

2013-04-27 00:36:34 | 病気

久しぶりのUPになってしまいました

この前の続きから・・・


おばあちゃんの娘さんに『水彩クレヨン』を頂いてすごっく嬉しかった

で、入院して一か月近くたった・・・。
ずっと点滴はつけたままだし、ご飯も結構な量なのに頑張って残さず毎食たべていた。

病院に不満はなかった。
患者さん仲間いわく、この病院はご飯がおいしい方だそうだし
Ponさんのフロアの看護師さんをはじめ売店のおばちゃんも優しくてイイ人だった。


でも、Ponさんはお家に帰りたかった・・・。
ホームシックじゃなくて、おじいさん(祖父)に逢いたかった。

祖父は、Ponさんが16歳の時に亡くなっている。
Ponさんはそれぐらいから体調がおかしくなってきてて、おじいさんはいつも心配してくれてた。
そして、病名がわかる前にPonさんを心配しながらなくなった・・・


Ponさんは、おじいさんが大好きだった。亡くなる直前まで祖母の事を名前で呼び愛しとおした。
お通夜・お葬式では泣き崩れた。人生で泣き崩れたのはその一度だけ。


亡くなってからはお仏壇によく話しかけるようになった。報告であったり、アドバイス求めたり。
仏壇からはなにも返ってこない。それでよかった。話してると落ち着いたから・・・。

だから正確にはおじいさんのいるお仏壇に逢って話したかった・・・

先生に『退院したい』って言ってもPonさんじゃ聞いてくれない。
おじいさんに逢いたくて看護師さん、おかあさんに泣いて帰らして欲しいと頼み込んだ。

お母さんが先生に言ってくれて退院することになった。
12月18日。

決まった日の1週間後だった。





続きはまた・・・では・・・では・・・・(。・_・。)ノ
 
    
  Pon        
    


新年度になってしまいましたね~☆

2013-04-05 23:59:31 | 日記
新年度になってもう5日がたっちゃいましたね

もうすぐ入学式ですね

入学式と言えばPonさんは高校の入学式を思い出します


高校は私立だったんで、地元の子もいなくてみんな知らない人たちばかり
なかには友達同士で受けている子もいた

これはなんとか頑張って友達作らないとって頑張った
みんな学校に慣れてきた夏には自然と友達ができた

高校の友人とは今でも頻繁に連絡もとる
高校最後のクラスではよく集まったり旅行や新年会・お花見もよくする


高校1年生で出逢った親友とは十数年たった今でも大切な大好きな親友ちゃん{/face_heart}
親友ちゃんとはこの先ずっとずっと一緒にいたいし、一番幸せになって欲しい人



親友ちゃん、愛してるよ

新年度にもなったし、Ponさんももっとガンバロ~~~~~

病気について。。。(Ⅸ)

2013-03-31 00:20:06 | 旅行


おばあちゃんは、折り紙でできた【アヤメの花】を凄く喜んでくれた。

Ponさんは病室でぼーっとしていると、コンコンとドアをノックする音が・・・。

ドアを開けると知らない女性が。


知り合いを忘れてるんかと思って必死に思い出そうとしたけど思い出せず・・・。


思い出せないんは当たり前。
おばあちゃんの娘さんでした☆(^o^)

娘さんは、おばあちゃんに『アヤメの花』を聞いたらしくてお礼を言いにきてくださいました

そしてお礼にとPonさんに【水彩クレヨン】をくださいました
クレヨンで書いてその上から水を濡らした筆でなぞったり書いたりすると、
水彩画みたいに書けるというすぐれもの

見た目も木の箱に入っていて可愛いねん

すっごく使いたかったんやけど、大事にしまってあります

Ponさんに子供が生まれて、子供が大事に使えるようになったら、
いただいたまでの経緯や、その時のPonさんの気持ちを話して子供にあげたいとおもいます。

決して利益の為だけのために人に優しくしたり親切にしてはいけない

でもきっと見ていてくれる人は必ずいるからママはちゃんと見てるよと伝えたいです




続きはまた今度・・・では・・・では・・・(。・_・。)ノ





在宅医療・・・どう思いますか?

2013-03-13 00:15:21 | 日記

こんにちは、Ponさんです。


一昨日寝れなくてテレビを見ていた。
1日以上寝てなくても眠くならない・・・。

そんなコトはいいとして、

テレビで東北のお医者さんが出ていた。
震災後、山形から単身こられて内科・皮膚科・整形外科と総合診療と在宅医療をされている先生。

気仙沼市の病院の医院長さん。

『川島実』さん。


もうテレビ消そうかと思ってたかど、最後まで見た。
なんでか・・・。

川島先生が、冒頭の方で『私の親族は家で亡くなりましたけどよかったですよ』みたいなコトを言われたから。

Ponさんの曾祖母は家で亡くなった。
けど、祖父は病院で死に目のも逢えなかった。
家で待っている時、時間がながくて祖父が亡くなったのが信じられないのに涙が止まらなかった。

祖父は点滴やチューブ・酸素につながれて顔が少し横にできるだけで上しか見れない。
見ていて辛かった。
何よりも、祖父が大好きな祖母の顔が視界から消えると動ける範囲を探して、祖母の声がすると落ち着いてた。


もしこれが家だったら、二人で長年暮らした家で、最後の二人の時を過ごせたのに・・・。
容態があっかして病院にいき親族を呼ぶように言われた。
その時、叔母夫婦は新潟にいて早く着いても5時間。
病院にいたから祖父は最後にみんなに逢えた。

でもこれは残される人間の気持ち。
祖父は家で亡くなりたかったのではないかと思ってしまう。


祖父と逢えなくなって14年。
いないのは当たり前になったけど、亡くなったと思うとピンとこない。
死に目に逢えてなかったからだろうか。

Ponさんは仏壇でそこにいる位牌の数の人達に良く話しかける。
そして、辛い時苦しい時祖父に逢いたくてしょうがなくなる・・・・。

祖母は今祖父の部屋で寝ている。
だから、できる限り祖父の分まで祖父の部屋で祖母の旅立ちをおくってあげたい。




では・・・(。・_・。)ノ




まる2年の今日。復興?再生?

2013-03-11 23:33:40 | 日記

今日で東日本大震災からちょうど2年がたった。
明日から3年め。

今日、地震のコトを書くか迷った。
なんか書くのは当たり前だと思ったから・・・。

地震・テロ・戦争そんなのが起こった日には必ずテレビや新聞・ネットで載る。
そしてみんな思いだす。

でも大切なのは、なにもなくてもずっと心の中で想いだしていて忘れないコト。
それが風化させない一歩なのかも。


地震があったあの瞬間すごく覚えてる。
整骨院での勤務中で何気なくみたテレビに見たことない映像が映ってた。

津波だった。
映画でしかみたことのない映像でその次の映像はどこかの屋上から煙がでてた。


2年たって復興したんだろうか?
まだ家もなくさら地で、行方不明の方もたくさんいる。
家がたって、行方不明の方が0になっても復興しているとは言えないかもしれない。

心の傷が癒えた時が復興なのかもしれない・・・。


受けた傷は受ける前のようには癒えない。
傷後は残る。
傷を残しながら傷を癒していく。だから傷を治すじゃない。
復興じゃなく、再生なのかもしれない・・・。





では・・・(。・_・。)