元和10年正月消極的な反唐朝傾向であった淮西吳少陽が卒し、その子元濟は自立した上に周辺地域への侵攻をくり返したため憲宗皇帝は淮西征討を始めました。元濟は淄青李師道や成德王承宗に支援を求めて...
十月辛未,唐鄧節度使李愬は淮西の張柴柵を陥した。 將士達は単なる通常の偵察戦と思ってい...