「裴世清」の来倭記事を『書紀』に見ると以下のような流れとなっています。「(六〇八年)十六年夏四月。小野臣妹子至自大唐。唐國號妹子臣曰蘇因高。即大唐使人裴世清。下客十二人。從妹子臣至於筑紫...
この頃研究も進まず、過去の論を見ているだけではありますが、やはり、何度でも言わずにいら...