今日はなんと、中学時代(今から8年前)の私が所属していた女子バレーボール部で
同窓会を行いました〜〜!
どんな部活だったかといえば、、、
熱血漢と生徒たち!
といった感じでしょうか。
顧問はとにかく鬼コーチで、少しでもミスをすればペットボトルが飛んでくるわ
もっとミスすればパイプ椅子が蹴られるわ…
しまいには、「職員室」に引きこもり、私たちはそれに対して
「すみませんでした!もう一度やらせてください!」を言う始末。
ご機嫌が取れたら練習に戻り、「上げろー」「トース」「行け!」(バレーでよくある掛け声)
私たちは顧問に対して
許せない!と思うこともしばしば。
「もうこうなったら、うちらで下剋上しに行こうぜ!」と言って、
「先生、でも私たちにもミスにはこう言う理由があって…」と話すも、
「いや、それはお前たちが…」と言った具合にすぐさま論破され、
時の権力者には逆らえない様相を当時は呈していました。
しかし、やはり青春は青春で、強豪の他校に負けた時は
先生含む全員で共に悔しがったり、引退試合ではこれまでの苦しみ・努力・楽しさなど
3年間全ての感情が一気に溢れ出して、チーム全員号泣するなんてこともありました。
そんな一見ひ弱で権力者に服従していた私たちバレー部員も今や23歳。
ほとんどが社会に出て1年〜数年目の大人です。
今回の同窓会の言い出しっぺはなんと実は当の私で、
同じ女子バレー部で今美容師をしている子に髪を切ってもらっていた時のこと
「私最近、(顧問)先生のこと考えていたんだよね」と言うと
「え、私も!」
と言うことで、
すぐさまバレー部にSNSで声をかけると9人/12人中も
返事が返り、「さすがバレー部!」と思う間も無く
居酒屋・日程決めを行い、実行に移ったのです。
場所は新宿・歌舞伎町 集まりやすくはあるけれど、
みんな迷う迷う…
ある子は「あ、今TOHOシネマズの前」 → 「いや一本隣の通りね。」
ある子は「あ〜ごめん、私新宿の東口がどこかわからなくて今南口」 → 「うん、駅一周回ろっか。」
またある子は「あの〜今ヨドにいるんだけど、アルタってどこ?」 → 「ドンキわかる?」 →「ドンキ?どこ?」…
と言った具合に、区民であるのに皆新宿を介していないようで、それはそれで驚きでした。
そんなこんなで、結局一番乗りは、申し訳なく先生でした。
久しぶりに見る先生は見た目は特に変わっておらず、少し老けた?様子でした。
今も相変わらずバレー部の顧問をしているらしく、最近の生徒は「帰れ!」と怒鳴りつけたところで
清々しく帰ってしまうらしく、ゆとりの波は想像以上にひどいものでした。
集まったメンバーもそれぞれに、会社員・教師をしており、それぞれが一応の社会人を全うしていました。
この中学校・女子バレーボール部は
私が教育分野に進みたいと思ったきっかけの一つだと言っても過言ではないくらい、
大きく成長できる仲間・顧問を得られた環境でした。
もちろん、今思い返せば、「なんじゃありゃ。ただのパワハラ部活じゃないか」とさえ
思うほどでした、、、けど
いざ私が先生になれば、果たして自分が思うように完璧な素晴らしい先生になれるのかと
思わざるを得ません。
教育って改めて、未熟を抱えた人間が、発達段階にある人間を教え育むことなんですよね。
決して完璧な人なんか企業にも、学校現場にもいなくて、
誰しももつ人間らしさ(ある意味 未熟さ)を抱えながら
人を育てていく。
それが、実際に人を強くし、人格を備えていくことを可能にしてしまうことに
私はひたすら感動します。
今日、現場の先生の声を聞いてわかったことが一つあります。
「先生がどれだけ生徒の生活や人生に関わるかの線引きは、先生自身がコントロールできる」
と言うことでした。
例えば、不良の生徒1人に対しその更生に深く関わり、家族まで巻き込めば
他の29人の生徒への教育は疎かになる、といったことです。
話を戻すと、今日の会はもう一度集まるべくして集まった仲間だったと思います。
私が主体となって会を楽しく開けたことは私自身、成長につながりました。
みんなの変わってなさや先生の変わってなさには逆に驚いたけれど、
中学校って、そこで変わると、大人になってもそのような人間形成になりやすい
とても柔軟でかつ変わりやすい繊細な時期なんだなってことを改めて実感いたしました。
これってスゴーーーーーーク大切なこと。だって中学生が人生の転機でもあるから。
今日はここまで!
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