Twitter で反応は百数十とか、一体誰が読んでいるのか結構気になった。何故か?それは、自分で書いていて下らないと思ったからだ。
blog の長さであれをやったらビューはどのくらいになるのか気になって今回の投稿とあいなった。と、同時にビューが1万とかのblog はどうようなblog で自分にも書けるものか何時か試みてみたいと思ったという事もある。
今、巷ではオリンピック開催反対派だった者も、賛成だった人もテレビに釘付けだと思う。僕も午前中バトミントンを視た。素晴らしい選手だが相手との相性が合わず抜いているなと感じた。まだ、1回戦なのでそんなものかと思う。なぜ、オリンピックが人の心を打つのか、僕はきっと思いの重さにあると感じている。何故なら労せずして得する術(すべ)など無いと考えているからだ。何年も練習し、消えては現れ、去り、破れ、また来るライバルや仲間たち。何万、何億という様々な人々の様々な思いがない混ぜになって、うねりのようになって我々の元に届くのだから何も感じぬことのあろうはずがない。国家の一員であったり、企業のの広告塔であったり、選手たちは計り知れない程の低確率の上でそこに存在している。だから僕らは羨望することすら許されず、ただただ圧倒されるしかない。
決して忘れてはならないのは、関係スタッフやボランティア、液晶テレビにこの映像を届けてくれている別なプロフェッショナル達の力にも感謝している。ありがとう!