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ラビッツ村のらびっこです。
前回、子供に恵まれなかったというお話をさせていただきました。
私は、3度の奇跡があり、今、生かされています。
一度目
私の父は、神風特攻隊に少年兵として志願した人間で
そのことを知ったのは、亡くなってから25年くらいたったときでした。
父とは、あまり仲が良くなかったこともあり、暖かな家庭というには
ほど遠かったので。
ですが、父が戦争に行ったことは知っていて赴任が鹿児島だったと。
あるきっかけがあり、帰省したときに母に、お父さんのことを
聴いたことがありました。
そしたら、お父さんは神風特攻隊だったということを知りました。
母にも当時のことは、あまり言わなかったそうですが、
少年兵として自ら志願して、あと二人目で特攻というときに終戦の
知らせがあり生き延びたと。
私は、その話を聴いて震えました。あと二人目で、、。
もしも、終戦の知らせが遅かったら、、私は生まれていないのだと。。
父とのことは、また書きたいと思います。
二度目は
私には年子の姉がいます。
姉が生まれてすぐに、また妊娠したそうですが、あまりにも近いので
中絶したのです。そして私が生まれた。
もし、その子が生まれていたら、私は生まれていなかったかもしれない。
というか生まれていないと言われました。
このことが親子の確執を生んだ原点ですが。笑
三度目
不妊治療をしたおかげで、卵巣の病気が見つかりました。
それまでもお腹の痛みを訴えても、なかなか病気が見つかりませんでした。
もし、不妊治療をしていなかったら、、見つからずに大変なことになり
今、、生きていたかどうか、、と言われました。
子供を二度お腹に戻しましたが、
その子たちは、生まれてはこなかったけれど、きっと、私をどうしても
この世に生かしておく必要があって、生かしてくれたんだと思っています。
二人の子供は、それが使命だったのだと、、、。
生まれてくるまでも奇跡、生かされているのも奇跡
そんな風に思うのです。
なので、人との出会いはもっと奇跡ですね。
出逢えた人とのつながりを大切に生きていきたいです。
そして、生まれてきたことに、生んでくれたことに感謝して、
「自分を生きる、生ききる、生き抜く」
そんな風に、ようやく思えるのです。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。
