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人生失敗して何が悪い?

2021-09-28 21:49:49 | 日記

 私の人生はいじめられてからというもの、つまらない人生を送ってきた。今振り返ると皆が皆、嘘つきで張ったりばかりで、事実大したことなどなかった。すごい奴は表に出てはこない。皆今の時代は転ばぬ先の杖で、失敗を恐れ転ばないように親が仕向けるしよつべなどで結果ばかり先に知ってしまう。そりゃぁ日本は終わってるわなぁ。海外の人間はもっと強いし根本的な目的が違う。今の子たちはかわいそうだと本気で思う。どこに結果ばかり知ってしまって、途中の経験がすっぽ抜けて上に行った人間がいるものか?

転んでみなければその人の痛みも、心の痛みも何もわかりはしない。田舎などもっとそうだ。隣の家と比べる・・・。だからそれがどうした?日本という国は働きさえして、法を犯さなければ何をしてもよい国なのだから・・・。

親が子供によく何々をしちゃぁ駄目よ?というが、未来がなぜわかる?未来がわかるのであれば、先に死んでゆく大人に子供の未来が決めつけてわかるのだろうか。

私個人は思う。本当の優しい人間とは菩薩だと人はいうことがあるが、菩薩のあの目を見てほしい。真ん中の目が座ってはいないだろうか。そう、菩薩は人を殺めることもできるのだと私は思う。それも人を殺めることも、前にニュースであった引きこもりの自分の子供を殺してしまった親がいた。それは、本当の意味での人のやさしさだと私は思う。転ばぬ先の杖を子供に教えてあげるだけでは、本当の人を殺めるほどの真のやさしさも身につかないだろう。


種の選別・・・最後の船(ノアの箱舟)このゲームに勝者はいない

2021-09-18 17:27:48 | エッセイ

主はより強きものを宇宙の果てへと送り出し残そうとしている。主は過去の第一次大戦の果てにも見たことがある。そう、この種の選別という、危険な思想の具現化だ。このウイルスに勝ち残るほどの強き精神、強気き肉体、賢き頭を残すべく、互いを争わせ、新たなる種の選別を今この時代に決行しているに過ぎない。

 主は冷酷で、残忍で、人を試し常に天秤にかけている。主とはだれか?わからない。主とはなんだろうか、わからない。このすべてが仕組まれた世界で。その世界の先に残る一握りの人間とはなんだろうか。上になっても下になっても、何一つ変わらないこの世界。誰かが世界を救おうと、躍起になって新たなシステムを唱える。世界は進化するといって最新のもので全世界中の全人類を試し、助けるふりをして、自分のところに富をかき集める。そんなことしか、していない。富を集めても、人は決して満たされることなどない。

 だが、遅かれ早かれ、自分の血も途絶えることは間違いない。このゲームに勝者はいないのと同じ。それに早く気づけば気づいたで、つまらないのかもしれない。ただただ、無心になって自分の世界を突き詰めることが、救いであるのかもしれない。地球上全員の思想が一度に代わるのであれば、生きることもまた楽なものであるのに。


山奥へ行く。川で魚を見た。父親を食べていることと同じと気づく。

2021-09-16 12:38:58 | 日記

 二輪で山奥へ行くいつもの休みの日のようにその休みの日も独り走りに行った。そして、山奥でその日は流れる川を呆然と眺めていた。父の遺言で少しだけ彼の灰を流したことを覚えている。

 川の水が下へ流れて行くのに、雨は山の上の遥かかなた上のほうから下へ向かって降り注ぐ。川の水は上から下へと流れてゆく。「父が降ってくることになると、私はふと気が付いた」すると、きらきらと光る川の中にうごめく魚を見つけた。その魚が水を飲んでいるとすると、普段自分は、父親を食べていることにならないだろうか?そんな考えが浮かんでいた。この体の一部が父親でできているというのだろうか。

 そんな家への帰り道に、その日偶然魚を見たためだったのか、夕飯は魚にしようかと思いスーパーへと立ち寄り、魚売り場へと向かった。そこで魚を選んで呆然とケースに入った魚を眺めていると、何かこう漠然と頭をよぎったことがあった。「父を食べたことになるではないか…」ふと、自分の体の一部が、父たちのものでできているとそういう理屈であると気が付いた。森羅万象すべては一つで全員が繋がっているではないか…と唖然とした。魚にも山にも水にも感謝しようと改めて考えた…でいることなら全ての人にも…。

 こうやって休日に山に来れている健康な自分は、彼に会える日はまだまだ、しばらく先の世界の話のようだと安心するが、彼に会えるその日もまた楽しいのではないかと考える時もある…

 折り返し地点は過ぎたものの、まだまだ先は長いようだ。


かの国より・・・彼らの存在とは

2021-09-04 20:15:09 | 日記

彼らの存在とは一体全体何なのだろうか。アの国の国民の変わり身となっていることは歴史を振り返れば明白である。私たちあの国でいじめられることを避けるために、優しい人間ですら、そういったグループに入らざるをえないようになっているようだ。彼らの存在は私たちの身代わりなのだ。だから綺麗な車を与えられて生活している。二ノ国の中を駆け巡り、定住することすら叶わない。好きな女性ができようとも、そこで恋に落ちることすら決して許されることがない・・・。最悪悲しい結末にとってかわる。誰かの身代わりになって身代わりに人を殺め、そして彼らの中のルールによって消されてゆく・・・。悲しい現実でしかない。だが、それも戦争というものの結果でしかない。こどもたちにこの世界の醜さをどうやって正しく伝えれば良いのだろうか・・・。大人になっても、大人にはやはりなりたくはないものである・・・。