Richard's Blog

リチャードの雑記帳

蓑山

2010-05-04 13:32:22 | ハイキング
第84回R隊定例ハイクは、埼玉県皆野町にある蓑山に登りました。

催行日:  2010年5月1日(土)
目的地: 蓑山(みのやま) 587m
場 所: 埼玉県皆野町






コース:
親鼻駅 09:20→10:40桜の森→11:25蓑山(昼食)12:55→13:35和銅遺跡→13:55内田家住宅→14:10黒谷駅

参加者:5名 (ケーシーさん、大吉さん、健吉さん、市太郎さん、私)







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秩父鉄道親鼻駅に9時に集合したR隊5名。

電車を降りて写真を撮っていると駅員兼駅長さんが一人私を待っていました。
降りてくる人から切符を受け取るようでした。
下り線秩父方面のホームは手前にあり、線路を渡って駅舎の方に向かいます。




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駅舎の中にこんなポスターが貼ってありました。





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そういえば私の乗ってきた電車は青色の電車、すなわち、元京浜東北線の車両のようです。








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9時20分頃親鼻駅を出発しました。
駅舎のすぐ横に目的地方面への標しるべがあり、その方向に線路を渡って行きます。
国道を渡り万福寺というお寺の横を左に進みます。








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緩やかな山道を登って行きます。
この季節、新緑が何とも言えず癒されます。










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やまつつじもところどころ咲き始めています。
まだ早いのか、つぼみの木も多いです。









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上を見上げると、なぜか葉が色づいていました。
まるで初秋のような感じも。










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よく整備されたハイキングコースのようです。










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途中、見晴らし園地とかかれたところでは、その名の通り少しだけ見晴らしの利くところがありました。










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このあたり、まむしが?
ちょっと緊張します。









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気になって、再び上を見上げると、やはり色づいた葉に覆われて、ちょっときれいな感じ。










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突き出た見晴台がありました。










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その見晴台から近隣の山々が見渡せました。

そして、近くには山桜が少し残っていました。










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つつじの咲く山道を気持ちよく歩いて行く市太郎隊員。
本当に気持ちの良いハイキングコースです。









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桜の森と書かれたところがあり、文字通りそこにはまさかの桜がたくさん咲いていました。









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もう終わったとあきらめていた桜が、咲いていました。

ソメイヨシノ系は既に終わっているのでしょうが、八重桜をはじめ、遅咲き桜の種がたくさん咲いていて、
隊員一同、感嘆の声が。









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見事に咲き誇る桜。












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まだ咲いているとは思わなかったので、うれしくなってシャッターを次々と押しました。








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桜の森に咲く桜の種類はいろいろあるようですが、「イトククリ」、「イチヨウ」、「オムロアリアケ」
などと書かれた説明板がありました。









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快晴に恵まれた青空に映える桜。

やはり青い空や明るい日差しがあると、写真もきれいに撮れます。









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雪を被っているようにも見える白っぽい桜。









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桜の森というだけあって、このあたり一帯にいろいろな種類の桜の木が植えられていて、
訪れる人たちの目を楽しませてくれます。









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桜の下で記念撮影です。









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11時25分頃、蓑山山頂に到着しました。
山頂付近にはNHKの中継塔もありました。








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山頂付近に人口の休憩舎(見晴台)が設置されています。

早速、上に上がって山頂からの景色を楽しみました。

屋上には山の名前が入った展望盤が置かれていて、近隣の山々が良く分かりました。







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休憩舎屋上から、西側の展望写真です。

左の高い山は武甲山、そして秩父連邦、右のほうには日光連山、榛名山など。











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屋上での展望を楽しんだあと、下に下りて、お待ちかねの昼食タイムです。

いつもこの時が、一番の楽しみです。

周りには東側の近隣の山々が見えていて、景色も抜群です。









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何もさえぎるものがなく暖かい日差しを浴びながら、昼食を楽しみます。

そして山頂でお決まりの記念撮影。









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枝の間から見える武甲山。

桜の満開時には、いい絵になりそうな構図です。









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12時55分、下山開始です。

帰りは黒谷駅方面に下りていきます。









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桑畑の間を通って下りていきます。









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途中、和銅遺跡方面への道しるべがありました。









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和銅遺跡方面の道しるべから5分ほどのところに大きな穴あき銭を形どった記念碑が建っていました。

ガイドブックに写真もありましたが、こんなに大きいとは思いませんでした。

和銅遺跡は和銅の採掘跡で、奈良朝時代(708年)にこの黒谷の地で国産の銅鉱石が初めて発掘され、
朝廷が年号を和銅と改めて銅銭を鋳造して和同開珎を作った。
以前の呼び方は「わどうかいほう」だったが現在は「わどうかいちん」が有力との事。







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和銅遺跡を見た後、黒谷駅に向かう途中、見上げると山の中腹に和銅の文字が。

先ほどの遺跡の近くにあるようです。









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黒谷駅に向かう途中、ガイドブックにも書かれていた内田家住宅に立寄りました。

秩父市の有形文化財で江戸時代初期から明治まで名主を努めた家で17世紀初期の建築だそうです。

中には入れませんでしたが、近づいてみると、今にも崩れそうな古い家でした。

右の赤い屋根の建物は長屋門。









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14時10分、コース終点の和銅黒谷駅に着きました。

ガイドブックの駅名は黒谷駅と書いてあったので、最近になって和銅をつけたようです。









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ホームの上にも和銅開珎のオブジェが立てられています。

やがて電車が到着して帰途につきました。



今日の蓑山は山頂まで車でも行ける低山で、関東の吉野山といわれるほどの桜の名所でした。
本当は4月の上旬から中旬頃に行けばソメイヨシノが咲き誇っていたと思われますが、今回は時期が
過ぎているので、まったく期待していませんでしたが、違う桜の種類があんなにきれいに、
たくさん咲いているのは、まったく知らず、予想外の桜との出会いに大感激でした。

そして隊長は言いました。気に入ったので来年の春にもここに来るぞ!と。

終わり
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4 コメント

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良く続いていますねぇ~。 (さるや)
2010-05-06 14:50:19
尊敬しちゃいます(*^-^*) ニッコリ☆
仲良しハイキング?随分長く続いていますよね。
面白いハイキングコースですね。
今は少し暑そうだから、涼しい時に、ひとりで行ってみたいコースに追加しよっと。
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続いています (リチャード)
2010-05-06 17:38:28
さるや様、コメントありがとうございます。
最近は、本格的なお山に登られていてすごいですね。いつも拝見していて、すごいなあ、と感心してます。

さて、我が隊は2005年11月にスタートしてから今回で84回です。お蔭様で仲良しおじさんグループで長く続いています。

このコースは車で頂上まで行けるところでもありますが、歩くと気持ちのよいコースです。出来れば4月か5月の始めに行かれると桜がきれいなところです。

もんど様が忙しい時には、是非お一人でお気楽ハイキングをお楽しみください。
返信する
登りました (永遠の少年)
2010-05-12 12:07:22
私も上りました。車で。平成20年の4月の20日です。ちょうど、ソメイヨシノが満開でした。やはり秩父は平地より、遅いみたいですね。登り道の途中に保養センターがあり、そこの駐車場の眺めもよかったですね。八重桜もあって長く楽しめる吉野のようなところとは、今回初めて知りました。この近くの長瀞駅のまえに宝登山神社というのがあり、そこの裏山の桜も有名でライトアップもされています。
和銅の里のPRにこんなに力入れていて駅名も変えたとは驚きです。和銅開宝は今は歴史上最古の同線ではなくなってることは最近知りました。仁徳天皇陵も天皇の御墓ではないということになってるようです。
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桜の名所ですね (リチャード)
2010-05-12 16:41:53
永遠の少年さん、コメントありがとうございます。
2年前に行かれたんですね。満開の時期にはきれいだったでしょうね。この山(公園)は関東の吉野山と言われていて、桜がきれいなのは以前から知っていました。ただ今回は時期が過ぎているので、まったく期待せずに行って別な桜がたくさん咲いているのにはびっくりしました。
駅名を変えるのは良くありますね。やはり観光名所を駅名にした方がこれからも乗降客が増えるでしょうし。

仁徳天皇陵は、確かにいろいろな説や議論があって、結局は謎だとか。発掘できないうちは、判断できないのでしょうね。教科書の変遷でも最初は仁徳天皇陵と明記していたものが、後になっては「伝 仁徳天皇陵」というように、そのように伝えられていると言う表現に変わってきたとか。
はっきりさせるためにも発掘して欲しいですね。
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