おはようございまつだです
今朝の妄想
ゆうちゃ~~~ん楽しいわ
エイミィ~!それよりエロィ…もとい!えらい透けてるで~w
うわ~~ほんとだわ!恥ずかしい~~
でもゆうちゃんしか見てないしサービスよ
お~~~鼻血ぶ~~やわ~~
ゆうちゃん大丈夫?飲み過ぎてない?w
現実世界に戻りますが、普段から一緒にいると、恥じらいもなくなってしまうんですよね。
初めはドキドキが、段々慣れてしまうと…それって良いのか悪いのか?
ある程度恥じらいを持っておかないといけないと思う今日この頃w
素っ裸で歩きまわるのも自粛せねばと思いますw
トークチェンジ
今日の聖子ちゃん
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歌謡リクエストショー
『NHK歌謡パレード』の後を受けて登場した歌謡曲・演歌系の音楽番組。司会は、当初は葛西聖司・徳田章の両アナウンサーが担当していたが、1991年10月以降は徳田アナが1人で担当するようになった。
過去に放送された『NHK紅白歌合戦』、『思い出のメロディー』、『ビッグショー』などから、思い出に残る歌謡曲の名曲をビデオディスク化。視聴者の電話やFAXによるリクエストに直ちに応えて、オリジナルの名唱で送る。
青い珊瑚礁
作詞:三浦徳子
作曲:小田裕一郎
編曲:大村雅朗
1980年7月1日発売
グリコ・アイスクリーム『ヨーレル』CM曲。元々のタイトルは「青い太陽」(2021年11月3日NHK-FM、『今日は一日"松田聖子"三昧』より)。
聖子ちゃんの名を世に広めた初期の代表曲で、過去の名曲を振り返る特番などでも頻繁に採り上げられる楽曲。
曲先で制作され、プロデューサーの若松宗雄さんが作曲者・小田裕一郎さんの自宅を訪ね作品のイメージを話すと、小田さんがギターを取り出し即興で冒頭のフレーズを歌い、それがそのまま採用されたという。スタジオ録音盤はないが、小田さんも自身のライブで当曲を披露することがあった。
聖子ちゃんの数多くの楽曲の作曲・編曲を手掛けた、大村雅朗さんが初めて編曲を担当している。
CBS・ソニーの発表でミリオンセラーを記録した。
オリコン初登場は87位で、その後29位→22位→17位→12位→9位→7位→6位→3位と上昇し、発売から2ヶ月後の9月8日付チャートで2位を獲得(1位は長渕剛さんの『順子』)。翌週、翌々週も『順子』に阻まれ2位、その翌週は俊ちゃんの2枚目のシングル『ハッとして!Good』に阻まれ2位止まりで、1位には届かなかった。
夏の扉
作詞:三浦徳子
作曲:財津和夫
編曲:大村雅朗
1981年4月21日発売
資生堂「エクボ」ミルキィフレッシュのCMソング。同じ商品のCMに起用された裸足の季節の「エクボ」、風は秋色の「ミルキー」、本曲の「フレッシュ」の歌詞をつなぎ合わせることで商品名が完成する仕掛けがなされている。
Rock’n Rouge (ロックンルージュ)
作詞:松本隆
作曲:呉田軽穂(松任谷由実)
編曲:松任谷正隆
1984年2月1日発売
「Rock'n Rouge」は本人出演カネボウ化粧品「レディ80BIO リップスティック」「84年春のバザール」CM曲。
作曲の呉田軽穂(松任谷由実)は、今回はABBAのようなヨーロピアン・ディスコ調の楽曲を聖子ちゃんに提供したいという考えがあった。それがプロデューサーサイドの「春らしい曲」というイメージと合致したため、すんなり完成に至ったという。聖子ちゃんも前作「瞳はダイアモンド」がバラードだったため、アップテンポな曲を希望していた。
作詞の松本隆は、カネボウ側から「pure pure lips」というフレーズをサビに含むという制約を課されていたため難航し、締切間近に音信不通になってしまったという。結局、ベタなデートのシチュエーションを描くことで乗り切った。
没になったと思われる全く違う歌詞のデモが動画サイト等で出回っている。←私も持ってますw
赤いスイートピー
作詞:松本隆
作曲:呉田軽穂(松任谷由実)
編曲:松任谷正隆
1982年1月21日発売
作曲にユーミンを起用したのは作詞の松本隆さんの発案で、『ライバルに曲書いてみない?』とユーミンに直々に作曲依頼をした。女性ファンを増やしたいというプロデューサー・若松宗雄さんの意向に対し、ユーミンは作曲家としてではなく名前(知名度)で選ばれる事を嫌い当初は渋っていた。そこで、作曲者名にペンネームである「呉田軽穂」を使用しても良いのならという条件で引き受けたという。ユーミンは、「誰が作ったか知らなくても、曲調だけで聴き手の心をつかめたなら、これほど作家冥利に尽きる事はない。そして本当にその通りになったのでとても充実感のある仕事でした」と、後に語っている。
当時の聖子ちゃんは過度なスケジュールの影響から喉を酷使し、歌唱時に声が擦れてしまう事があった。そこで若松さんはユーミンに対して、喉に負担が掛からないようキーを抑えたスロー・バラードを作って欲しいと依頼した。ユーミンが完成させた曲は、元々はBメロやサビの「赤いスイートピー」のフレーズで音程が下がる曲だったが、プロデューサーから「春をイメージした歌なので、最後は音程を上げる形にして春らしくしてもらいたい」とリテイク依頼を出した。本人曰く「提供した曲をダメ出しされたのは後にも先にもその時だけなのですごく驚いた」という。当時は若松の熱意に折れ、仕方なく現在の形に修正したそうだが、「今になって考えると春の歌だし、あれで良かったんだと思います。そして、相手が誰であろうと妥協せずに向かい合うスタッフがいたからこそ、彼女は短期間であれだけの存在になれたのでしょう」とコメントした。聖子ちゃんはそれまでの声を張り上げ伸びのある歌い方を改めて、この曲から徐々に歌唱法を変えていったと云われている。
松本隆さんはユーミンが先に作ったメロディーを受け取った時、「単純に詞をつけていくとユーミンみたいな語感になってしまう」と感じて、「かなり抵抗して、松本隆さん風の言葉をわざと並べた」という。長く聖子ちゃんの曲を担当した松本隆さんは後年、この曲で聖子ちゃんと「同期した」と表現している。
冒頭の歌詞、"春色の電車"について、松本隆さんは「"春色"は子どもの頃に記憶しているオレンジと緑色の湘南電車で、それが海に続いているイメージ」であると明かし、更に「江ノ電の鎌倉高校前から鎌倉駅の商店街を抜けて海が急に見えてくる景色が大好きだった」「その線路の脇に赤いスイートピーが咲いていたらかわいいんじゃないかな、と想像して歌の舞台にした」と2021年8月1日放送の「関ジャム 完全燃SHOW」で回答した。
本曲発表当時、スイートピーの主流は白やクリーム色、ピンクなどが主流で、「赤いスイートピー」は存在しないと思われていた(実際、1800年頃に既に存在していた。本曲がヒットして以降、品種改良して作った鮮やかな色の赤いスイートピーが売られるようになった。松本隆さんは「心の岸辺に咲いたとあるから、これは全て夢なんだなと分かってもらえたら、別に何色でもいいんですけど」と語っている。
本来の楽譜では「はーんとーし」であったが、実際の歌では聖子ちゃんが自分の間合いで「はんとーし」と歌っている。若松さんが元の譜割で歌うようリテイクを出したが、若松さんは最終的に「はんとーし」を使うことにしたという。
最近、こういった形での出演も少なくなった聖子ちゃん。
TV出演は、今年はあると思いますが、メドレー聖子ちゃんを観たいって人も多いと思いますので
期待したいところですね。
しかし、1991年の聖子ちゃんは、キラキラ輝いていて良いですね
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ぴよっ