![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/f6/67a2ae46731bd323087cfd5f2ee1683e.jpg)
ある土曜日 ニューヨークにて
一人旅だと公言しながら 現地在住の友人がずっと一緒に居てくれて
結局は 全部お世話になってしまって・・・
朝 メットまで歩きたいとわがままを言って
歩き始めたのは良かったけれど 体調不良かお手洗いに行きたくなって
いろんなビルの化粧室を探した
どこもかしこも まだ開いていなくて ほんとうにあせった
でも ESEXHOUSE という高級ホテルに案内してくれて
とっても豪華な○○○タイムを過ごしてしまった
なかなか泊まれないホテルだから かえって得をした気分になった
その後 安心してセントラルパークを通ってメットを目指した
娘さんが二歳の時にパーク内の池におぼれてしまった話とか
映画の場面ででた場所とか その紅葉の美しさとか教えてもらいながら
ぶらぶらと セントラルパークを散策した
すれ違う犬の散歩の人々は どこか自信と幸せにあふれているように見えた
ジョギングしている人たちも どこか誇らしげで・・・
笑えたのは ベビーカーもを押しながらジョギングしている若いお母さんが多かったこと
あの年齢で このあたりで子育てできるなんて 相当なお金持ちなんだろうな
ジョギングウエアも 押しているベビーカーも みんなかっこよく決まっていた
メットを まず裏側から眺めたなんて なんかへそ曲がりの私に似合っていた
ある月曜日
私が ニューヨークに行っている間に施設に行ってしまうはずだったHさんが
受け入れ施設の都合で 月末に延期になっていた
私は彼女にもう一回 会えるのがうれしかった
でも もう泣かないで 笑顔でいつものようにお手伝いをした
いつものようにランドリーから洗濯物を取って戻ってきたら
塗りのお盆にのせた水羊羹が 私を待っていてくれた
「○○さん いっしょに食べよう」と Hさんはおっしゃった
私は「はい!」と言って一緒に食べた
ニューヨークの話などをしたり Hさんの施設の話などをした
最後にHさんは もう東京には戻ることはないなどとおっしゃり
「○○さん おたがい 思い出さずに忘れましょうね」 と続けた
今までうかがってきた彼女の生き方そのもののようなその言葉に
私は 思わずまた涙してしまった・・うなずくのがやっとだった・・
私たちは別れの時に「忘れないでね」とか「時々は思い出してね」などと思い合う
互いを引き合う気持ちは いつまでも残しておきたいものだ
でも 彼女のこの言葉の中に それ以上の深い情や思いやり そして潔さを感じた
東京に残っているものがあると思うのはよくない・・ともおっしゃっていた
ずるずるひきずらずに 断ち切ることの潔さ
そうやって彼女は ここまで生きてきたんだ
改めて すてきな方と巡り合えたと思い
この仕事をして ほんとうによかったと思った
ある木曜日
私がまだHPを作っていた頃に知り合った若者が何人かいて
最近は 彼らに会うことは少なくなって 音信不通になってしまった人もいるけど
そんな一人になっていたNくんから 突然メールが来た
ひさしぶりでとてもうれしくて さっそく会うことになった
彼に最後に会ったのは4年ちかく前だった
就職活動をしていて東京に出てきたのだった
応援もかねて一緒に新宿でタイ料理を食べた
思い通りの就職ができて 上京したが
忙しいのか 連絡も途切れがちになってしまったのだった
久しぶりに会った彼は ものすごく体重が増えていて
そしてフリーランスになっていた
体調を崩して自主退職したことなど延々と話してくれた
昔のまんまのNくんで 私は安心した
でも ちょっとどこか無理があるような
もっと肩の力を抜いて生きてもいいのにとも思った
賢いから そんな私の気持ちを見抜いて
これが僕なんですよ・・みたいなことも言っていた
そう その一生懸命さが君なんだよね
おいしいラーメン屋さんを紹介してくれて 二人で行った
海神というお店で 本当においしかった
ある土曜日 ・・・そう今晩
ニューヨークに居た数日が もう夢の世界のよう
なんだか まだ覚めやらぬままに 毎日を過ごしている
いや もうとうの昔のことのようにも感じられ
思い出をなぞっているだけなのだ
一人旅だと公言しながら 現地在住の友人がずっと一緒に居てくれて
結局は 全部お世話になってしまって・・・
朝 メットまで歩きたいとわがままを言って
歩き始めたのは良かったけれど 体調不良かお手洗いに行きたくなって
いろんなビルの化粧室を探した
どこもかしこも まだ開いていなくて ほんとうにあせった
でも ESEXHOUSE という高級ホテルに案内してくれて
とっても豪華な○○○タイムを過ごしてしまった
なかなか泊まれないホテルだから かえって得をした気分になった
その後 安心してセントラルパークを通ってメットを目指した
娘さんが二歳の時にパーク内の池におぼれてしまった話とか
映画の場面ででた場所とか その紅葉の美しさとか教えてもらいながら
ぶらぶらと セントラルパークを散策した
すれ違う犬の散歩の人々は どこか自信と幸せにあふれているように見えた
ジョギングしている人たちも どこか誇らしげで・・・
笑えたのは ベビーカーもを押しながらジョギングしている若いお母さんが多かったこと
あの年齢で このあたりで子育てできるなんて 相当なお金持ちなんだろうな
ジョギングウエアも 押しているベビーカーも みんなかっこよく決まっていた
メットを まず裏側から眺めたなんて なんかへそ曲がりの私に似合っていた
ある月曜日
私が ニューヨークに行っている間に施設に行ってしまうはずだったHさんが
受け入れ施設の都合で 月末に延期になっていた
私は彼女にもう一回 会えるのがうれしかった
でも もう泣かないで 笑顔でいつものようにお手伝いをした
いつものようにランドリーから洗濯物を取って戻ってきたら
塗りのお盆にのせた水羊羹が 私を待っていてくれた
「○○さん いっしょに食べよう」と Hさんはおっしゃった
私は「はい!」と言って一緒に食べた
ニューヨークの話などをしたり Hさんの施設の話などをした
最後にHさんは もう東京には戻ることはないなどとおっしゃり
「○○さん おたがい 思い出さずに忘れましょうね」 と続けた
今までうかがってきた彼女の生き方そのもののようなその言葉に
私は 思わずまた涙してしまった・・うなずくのがやっとだった・・
私たちは別れの時に「忘れないでね」とか「時々は思い出してね」などと思い合う
互いを引き合う気持ちは いつまでも残しておきたいものだ
でも 彼女のこの言葉の中に それ以上の深い情や思いやり そして潔さを感じた
東京に残っているものがあると思うのはよくない・・ともおっしゃっていた
ずるずるひきずらずに 断ち切ることの潔さ
そうやって彼女は ここまで生きてきたんだ
改めて すてきな方と巡り合えたと思い
この仕事をして ほんとうによかったと思った
ある木曜日
私がまだHPを作っていた頃に知り合った若者が何人かいて
最近は 彼らに会うことは少なくなって 音信不通になってしまった人もいるけど
そんな一人になっていたNくんから 突然メールが来た
ひさしぶりでとてもうれしくて さっそく会うことになった
彼に最後に会ったのは4年ちかく前だった
就職活動をしていて東京に出てきたのだった
応援もかねて一緒に新宿でタイ料理を食べた
思い通りの就職ができて 上京したが
忙しいのか 連絡も途切れがちになってしまったのだった
久しぶりに会った彼は ものすごく体重が増えていて
そしてフリーランスになっていた
体調を崩して自主退職したことなど延々と話してくれた
昔のまんまのNくんで 私は安心した
でも ちょっとどこか無理があるような
もっと肩の力を抜いて生きてもいいのにとも思った
賢いから そんな私の気持ちを見抜いて
これが僕なんですよ・・みたいなことも言っていた
そう その一生懸命さが君なんだよね
おいしいラーメン屋さんを紹介してくれて 二人で行った
海神というお店で 本当においしかった
ある土曜日 ・・・そう今晩
ニューヨークに居た数日が もう夢の世界のよう
なんだか まだ覚めやらぬままに 毎日を過ごしている
いや もうとうの昔のことのようにも感じられ
思い出をなぞっているだけなのだ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます