息子が超長期出張で札幌に来てからは
ニュースなどが気になるようになったけれど
私にとって北海道はあまり縁のない場所だ
…いや違うか…子供の頃 ホッカイドウノオジチャン がいたな
祖父そっくりな人の良さそうな親戚のおじさんだった
そうだった 母方の祖父は北海道出身だったのを思い出した
その祖父の上の代の人が明治の農地開拓で北海道に渡ったと聞く
開拓者は先住民族のイヌイットを駆逐したという悲しい歴史がそこにある
ずるがしこさを持った彼らは 漁で得た鮭をイヌイットから買い上げる時に
数をうまく数えられないことを利用してごまかして安値で買ったという
母は子供の頃にそんな話を 北海道の親類から身振り手振りを交えて聞き
それをまた私たちに聞かせてくれていた
アイヌは学がなくて簡単に騙せた と言う母の言葉…
今思えば ものすごく失礼な言葉だと胸に突き刺さってくるけれど
あの頃はそのままに 昔語りとして受け止めていた
昨年の秋 息子を頼りに北海道に来た時 北海道大学の博物館に行った
そこにはイヌイットの貴重な史料や資料が沢山展示されていた
独特の文化や伝統を持っていたイヌイットの様子がよくわかったが
それと同時に 当時の学者が彼らを滅びゆく民族としてとらえていたことがよくわかった
確かに展示室の入口に "現在では差別的な表現があるが
あえてそれらも歴史的観点の変遷として展示してある"
との但し書きがあった
今は昔に比べれば表だった差別は解消されたとは思うが
息子と一緒に行った登別温泉で地元のイヌイットの話を伺って
やはり "内地の人間"は身勝手なのだなと感じた
それは行者ニンニクについての話だった
行者ニンニクは数年前から北海道産の珍しい食材として
都会で人気が出ている野菜で 実際私も北海道展などで求めたことがある
儲かるから 天然のものを業者が乱獲していき 根こそぎなくなっているらしいのだ
生態系を壊すことを 神を崇めないこととして話してくれたことが心に残っている
今 実は函館から札幌に向かう特急北斗の中で作文している
キーをなぞるうちに色々なことが思い出されてくる
縁の少ないように感じていた北海道だけれど
数回訪れただけで 色々なことを学んでいることに 今気づいている
そういえば 私がヘルパーをして初めて伺ったHさんは函館出身だった
神道の亜流?のような独特の宗教をお持ちの方だった
結婚はなさったが 子供ができなかったためお姑さまにいじめられ離婚
その後は ひとりで働いてきたとのことだった
三年間の間に色々なお話を伺った
戦争で出征した恋人が帰らぬ人となったこと
函館の港町の様子のこと
70をすぎたとき 今までのものをすべて (物質的にも精神的にも) 捨てたこと
夢で見たいろいろなこと などなど
私は彼女とスピリチュアルなところでつながっている感じが心地よかった
昨日 函館の街を歩きながら 昆布やりんごをいただいたのを思い出していた
函館は 北海道にしては暖かく 海の幸山の幸に恵まれていると
懐かしそうにはなしてくれていたな…
95才になり だいぶ弱られて施設に入ることとなった
"なかなか空きがでないので 年末予定が年を越すかもしれない"と
少し嬉しそうに話してくれた翌週 急遽空きが出て
あっという間に 私の前からいなくなってしまった…クリスマス間際だった
最後の日は泣いちゃいけないと思ったけど 涙の別れとなってしまった
彼女は大きくうなずきながら"思い出さずに忘れましょう"と言った
本当に潔く かっこいい生き方考え方を持った方だった
お会いできなくなって三年目の冬だ
あの年末の入所の次の春には他界なさったと聞くが
私の中のHさんは 毎週通っていた頃の笑顔のままだ
列車の車内放送で長万部まであと10分とのアナウンスがあった
札幌にはまだ時間がかかりそうだ
あ JR北海道ってアブナィんだっけ?
無茶ぶりで走りませんように…
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