円成寺の大日如来についで大好きな薬師寺聖観音像が
東京国立博物館におでましになった
どきどきする思いで 御像の前に立った
飛鳥時代の様式を取り入れながらも
洗練された奈良時代の美的感覚が存分に表された仏様だ
美術品としてみてもすばらしいと感じる点が多々あるのだけれど
(それは いずれ美術ブログの方で作文しようと思うけれど)
なんと言っても やはり人ではない神聖なものをこの像に感じるのだ
この像の前にきたら 思わず手を合わせたくなるし
そうすることで 日々の苦難を取り除いていただける気がする
私たちには自分自身で どうにもできないことが多くある
いや うまくいくことよりも そういったものの方がどれほど多いことか
そのようなものに出くわすたびに 人は心を乱し ざわつかせるのだけれど
どうにもできないとわかった時には もう 祈ることしかできなくなる
神頼み・・・そういった言葉は嫌いなのだけれど・・・
自分の無力を知り無欲に戻った時 つまり素直な心持ちになった時
自分よりももっと大きな力に すべてを委ねることができる気がする
放り出したり投げ出すのではなく 素直にありのままを受け入れ
どんな結果であれ来るべきことを引き受ける時
私たちは 心の平安を得られるような気がするのである
私は どんな宗教も信じないが 人が宗教を求める心は十分に理解できる
私自身が それを持っているのだから・・・・
人は心のよりどころとして 具体的な対象を見つけることで
心の平安を得る近道を探しているのだと思う
聖観音像の前に立つ時 私は自分の無知や無力を知り
自分ではどうにもできないことがあることを 受け入れることができるのだ
祈りとは そういったものなのだと 私は思うのである
東京国立博物館におでましになった
どきどきする思いで 御像の前に立った
飛鳥時代の様式を取り入れながらも
洗練された奈良時代の美的感覚が存分に表された仏様だ
美術品としてみてもすばらしいと感じる点が多々あるのだけれど
(それは いずれ美術ブログの方で作文しようと思うけれど)
なんと言っても やはり人ではない神聖なものをこの像に感じるのだ
この像の前にきたら 思わず手を合わせたくなるし
そうすることで 日々の苦難を取り除いていただける気がする
私たちには自分自身で どうにもできないことが多くある
いや うまくいくことよりも そういったものの方がどれほど多いことか
そのようなものに出くわすたびに 人は心を乱し ざわつかせるのだけれど
どうにもできないとわかった時には もう 祈ることしかできなくなる
神頼み・・・そういった言葉は嫌いなのだけれど・・・
自分の無力を知り無欲に戻った時 つまり素直な心持ちになった時
自分よりももっと大きな力に すべてを委ねることができる気がする
放り出したり投げ出すのではなく 素直にありのままを受け入れ
どんな結果であれ来るべきことを引き受ける時
私たちは 心の平安を得られるような気がするのである
私は どんな宗教も信じないが 人が宗教を求める心は十分に理解できる
私自身が それを持っているのだから・・・・
人は心のよりどころとして 具体的な対象を見つけることで
心の平安を得る近道を探しているのだと思う
聖観音像の前に立つ時 私は自分の無知や無力を知り
自分ではどうにもできないことがあることを 受け入れることができるのだ
祈りとは そういったものなのだと 私は思うのである
私はいつも 常設の彫刻室だけはのぞくようにしています
特別展を見た後に常設を見るのは根性が要りますよね
水ぶくれ 早く治るといいですね
昨日夜のテレビで東京国立博物館の初の展示デザイナー(照明)の人の話をやってました。
東博の展示は変わったといってましたが、吉祥天、説明板の照明と位置、私は初めてでしたが分かりやすい展示に感心していました。
またテレビですが、ハイビジョン特集 薬師寺 ~白鳳伽藍の一年~(4月9日8:00~9;50)があります。ウ~ム薬師寺!
観客導引を狙ってるんでしょうね
でも知識欲が満たされてうれしいですね