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■ 札幌時計台が厳しい運営に 入館数低迷、07年度は赤字(時事・2009年1月19日)
以前日経の夕刊で見て、気になっていた記事なのですが、
>外観だけをカメラに収めて次に移動してしまう観光客
>外観だけをカメラに収めて次に移動してしまう観光客
>外観だけをカメラに収めて次に移動してしまう観光客
ごめん_| ̄|○
実際のところ、時計台を見に来る観光客は数多くいるわけです。
なので、経営が厳しいとはいえ、時計台がなくなるのは、観光業を考えた上でも決していい話ではありません。
で、問題はどうするかなんですが、基本的な理屈でいくと、答えは即座に出ます。税金投入。
ここで、「時計台」を「財」として考えてみましょう。あるいは乱暴な言い方ですが、「商品」と考えてもいいでしょう。
(もちろん時計台は文化財ですが、観光資源である以上、商品という側面は持つはずです)
さて、この時計台という財、ほかの多くの財と比べると、2つの点で大きな違いがあります。
1つ目は、「おカネを払わずに消費する人を排除できない」という点です。
例えば、リンゴであれバナナであれ白い恋人であれ、買い手はその財を独占的に所有する権利を手に入れます。そして、買い手が消費してしまえば、その財は他の誰にも手出しができなくなります。
で、時計台はどうか。時計台は不動産ですし、所有者はちゃんといるわけです。ただ、ここで問題なのは、「時計台には外観がある」、そして時計台を見に来る人のほとんどは、時計台の外観を見に来ているという点です。
「当たり前じゃないか!」と思われるでしょうが、実は、この当たり前のことが非常に大事な意味を持つのです。
どういうことか? 外観は、視覚さえあれば、誰もが見ることができるのです。
これまた当たり前ですよね。ただ、ここでよーく考えてください。
先ほど見た多くの財の場合、誰かが所有すれば、他の人はその財を所有できなくなっていました。
所有者が財を分けることも可能ですが、この場合、元の所有者の消費量は必ず減ることになります。リンゴ1個を2人で等分すれば2分の1、4人なら4分の1、というようにです。
ですが、時計台の外観―別に時計台でなくてもいいのですが―の場合、これが成り立ちません。
つまり、誰かが時計台を見たからといって、他の人が見られなくなることはありません。
また、見る人が増えたからといって、それぞれの見る量が減ることもありません(押すな押すなの混雑になれば、多少影響はあるでしょうが)。
消費者が増えても費用は増えず、消費量も増えないという特徴を、非競合性といいます。
もう1つ、時計台―これまた他の建物でもかまいません―の外観が持つ特徴があります。それは、おカネを払わずに見る人を排除できないという点です。
多くの財の場合、対価を払って所有権を得た人は、他の人がその財を消費するのを阻止できます。少なくとも、それが社会のルールです(一言で言えば、泥棒はダメってことですね)。
ところが、時計台の外観では、それができない。対価を払った人だけにだけ見えて、払わない人には[^∀^]、もとい、見えないようにはできないのです。
このような特徴を、非排除性といいます。
非競合性と非排除性とを持つ財のことを、経済学では公共財といいます。このような財は、市場に任せておくと供給量が減るので、税金で費用を賄うのが基本です。
特に、時計台の場合は観光資源として、北海道や札幌市の経済に貢献しているわけですから、北海道や札幌市の予算で保存するのが王道です。
とはいえ、現在の財政状況を考えると、道も市も負担はしたくないのでしょう。
となると、次善の策として、時計台を見た人にカンパを募るぐらいが現実的な案として出そうです。
時計台の周囲には、写真撮影用のスタンドがあるので、そこに目立つ形で募金箱を置くぐらいが、考えられる案ではないでしょうか。
ファイターズの球団歌にも歌われた時計台。長く後世に伝えられることを期待しています。
※ 余談ですが、よく「プロ野球は公共財」という議論を目にします。ただ、はたしてプロ野球に非競合性と非排除性が成り立つかは、議論の余地が大アリです。
この点について何も考えずに、単に「公共財」という言葉を叫ぶだけの人を見ると、[0∀0]ニヤニヤしたくなります。
以前日経の夕刊で見て、気になっていた記事なのですが、
>外観だけをカメラに収めて次に移動してしまう観光客
>外観だけをカメラに収めて次に移動してしまう観光客
>外観だけをカメラに収めて次に移動してしまう観光客
ごめん_| ̄|○
実際のところ、時計台を見に来る観光客は数多くいるわけです。
なので、経営が厳しいとはいえ、時計台がなくなるのは、観光業を考えた上でも決していい話ではありません。
で、問題はどうするかなんですが、基本的な理屈でいくと、答えは即座に出ます。税金投入。
ここで、「時計台」を「財」として考えてみましょう。あるいは乱暴な言い方ですが、「商品」と考えてもいいでしょう。
(もちろん時計台は文化財ですが、観光資源である以上、商品という側面は持つはずです)
さて、この時計台という財、ほかの多くの財と比べると、2つの点で大きな違いがあります。
1つ目は、「おカネを払わずに消費する人を排除できない」という点です。
例えば、リンゴであれバナナであれ白い恋人であれ、買い手はその財を独占的に所有する権利を手に入れます。そして、買い手が消費してしまえば、その財は他の誰にも手出しができなくなります。
で、時計台はどうか。時計台は不動産ですし、所有者はちゃんといるわけです。ただ、ここで問題なのは、「時計台には外観がある」、そして時計台を見に来る人のほとんどは、時計台の外観を見に来ているという点です。
「当たり前じゃないか!」と思われるでしょうが、実は、この当たり前のことが非常に大事な意味を持つのです。
どういうことか? 外観は、視覚さえあれば、誰もが見ることができるのです。
これまた当たり前ですよね。ただ、ここでよーく考えてください。
先ほど見た多くの財の場合、誰かが所有すれば、他の人はその財を所有できなくなっていました。
所有者が財を分けることも可能ですが、この場合、元の所有者の消費量は必ず減ることになります。リンゴ1個を2人で等分すれば2分の1、4人なら4分の1、というようにです。
ですが、時計台の外観―別に時計台でなくてもいいのですが―の場合、これが成り立ちません。
つまり、誰かが時計台を見たからといって、他の人が見られなくなることはありません。
また、見る人が増えたからといって、それぞれの見る量が減ることもありません(押すな押すなの混雑になれば、多少影響はあるでしょうが)。
消費者が増えても費用は増えず、消費量も増えないという特徴を、非競合性といいます。
もう1つ、時計台―これまた他の建物でもかまいません―の外観が持つ特徴があります。それは、おカネを払わずに見る人を排除できないという点です。
多くの財の場合、対価を払って所有権を得た人は、他の人がその財を消費するのを阻止できます。少なくとも、それが社会のルールです(一言で言えば、泥棒はダメってことですね)。
ところが、時計台の外観では、それができない。対価を払った人だけにだけ見えて、払わない人には[^∀^]、もとい、見えないようにはできないのです。
このような特徴を、非排除性といいます。
非競合性と非排除性とを持つ財のことを、経済学では公共財といいます。このような財は、市場に任せておくと供給量が減るので、税金で費用を賄うのが基本です。
特に、時計台の場合は観光資源として、北海道や札幌市の経済に貢献しているわけですから、北海道や札幌市の予算で保存するのが王道です。
とはいえ、現在の財政状況を考えると、道も市も負担はしたくないのでしょう。
となると、次善の策として、時計台を見た人にカンパを募るぐらいが現実的な案として出そうです。
時計台の周囲には、写真撮影用のスタンドがあるので、そこに目立つ形で募金箱を置くぐらいが、考えられる案ではないでしょうか。
ファイターズの球団歌にも歌われた時計台。長く後世に伝えられることを期待しています。
※ 余談ですが、よく「プロ野球は公共財」という議論を目にします。ただ、はたしてプロ野球に非競合性と非排除性が成り立つかは、議論の余地が大アリです。
この点について何も考えずに、単に「公共財」という言葉を叫ぶだけの人を見ると、[0∀0]ニヤニヤしたくなります。
時計台、なんですなぁ、薄曇りの夏場なんかに尋ねてみたいなぁ…。
山手の洋館とかも維持管理は大変そうです。
時計台さんのご健闘を祈ります。
(新婚旅行で行きました。もちろん中も拝見しましたよ)
中に入るのに金が掛かるを知りませんでしたorz
10年前から札幌市民じゃないけど札幌市民失格ですね・・・
それもFM番組の公開放送の抽選に当たって行ったので、入場料なんてことは一切念頭になく……。
募金箱、必要かもしれませんね。
今年辺り、行ってみますかね……
実際、おカネを払わずに見ている建物や光景って、
実は誰かの手で守られてるものですもんね。
その誰かに感謝を形で表すのって、非常に大切なことだと思います。
実際、東京生まれで東京タワーに登ったことがない人や、
大阪市民で通天閣に登ったことのない人って、結構いるでしょうし、
そんな感じではないかと(笑)
って方は、かなり多いんでしょう。
私自身がそうですが(苦笑)
なので、募金箱はあった方がいいと思いますね。
なんていうか、意味も考えずに多数の同意を得たい為だけに「公共財」と謳ったり、
各種スポンサー(自治体含む)からお金を引き出す文句に使ってるだけと言う感じが。
スポーツそのものは文化であり公共財だと思いますが、
プロスポーツはスポーツを使った商売である訳で「=文化」でも「=公共財」でもないと思います。
かくいう私も小一時間ほど前に初めて意味を調べた訳ですが。
月1ぐらいで確かコンサートも開かれてた記憶が有りますし、FM局主催で平井堅が歌ったこともあったかなあと。
ただ、時計台の規則で、9時には全撤収しないといけないらしく、その点からちょっともったいないんですよね。
資料館的な利用以外で、もっと気楽に貸し出しできればいいんですけどねえ。