以前から、気になっていた事が有ります。
それは、司馬遼太郎先生の短編小説。兜率天の巡礼とい短編の作品です。
当然、全集の中にも、納められています。また、先生の短編小説集。
ペルシャの幻術師の中にも。小さな文庫本の中にも、納められています。
短編集の中の短編と云う事で。時間的には。
非常に、読みやすい作品。その様に、考えているのですが。
調べましたら。そのペルシャの幻術師と申します短編集。
Amazonのkindleでも。電子書籍として、購入出来ます様でした。
私は、司馬遼太郎先生の事を敬愛しており。その時間は、どう捻出した?
その様な突っ込みが、入るかもしれませんが。
先生の長編小説は。ほぼ、九割は、読破した。その様に豪語しています。
非常に、物語の緻密さ。劇的過ぎますストーリー。人間の典型など、内容と情報の密度の濃さ。
正直、先生を上回る作家など、存在しないのでは?
その様に、考えます位。司馬遼太郎先生の事を敬愛しています。
実は、正直。勝手に、司馬遼太郎に師事していると云いたい位。
氏の作品には、影響を受けて。また、感化されている様に思えます。
また、その知識や、思考法が、役立った事などなど。
数に、暇が存在いたしません。
あらかた、図書館の全集にて。先生の長編小説を読み終えまして。
全集を興味が有る物から、順に読んでゆきましたので。
取りこぼしも、多いだろうと。小編が、多く含まれます物を読んでいましたら。
何と、兜率天の巡礼と云う名前の短編に行き渡りました。
本当に、衝撃を受けたと云う依りも。その作品。
筆舌に、尽くし難いインパクトを与えられた。
その様にしか、お伝えする言葉が、有りません。
ですので、正直。WEBでは、どの様に伝えられておりますか。
参考に、検索してみました。
幻想小説、とう表現を借りてみましたが。
正直、問題作・怪作と云いました表現が。
私には、最も。最適に思える表現かもしれません。
まず、私は。先生の作品に。非常に、感化されやすくて。
非常に、大きな事として。捉え過ぎたのかもしれません。
それから。その作中には。国内だけでも、何か所か。
舞台が、登場して。推移してゆきますが。
その中でも極めて、重要と思える一箇所。
そこが、ズバリ。私の住みます、身近な地元でした。
上記、それらの条件が、当てはまらなければ。
私も、それ程。この兜率天の巡礼と申します作品に。
それ程、心を掴まれる事や、必要など。
存在しなかったかもしれません。
そして、生涯。幾ら、考えましても。
それに対します、私の解答など。生じないかもしれません。
ただ、また司馬遼太郎先生の引用ですが。
信長が、生涯。奇襲を行ったのは。桶狭間の一度だけだったと。
つまり、やはり。正道・王道が、一番強くて。
信長自身が、それを一番良く、理解していて。
そして、結局。人生も、同じ事が云えるのでは?
例え、何であれ。自分を磨いて、前向きに生きてゆき。
恋をして、結婚して、子供を育む。
その当たり前の事をする以外。
他に、方法など。存在しないのかもしれません。
また、例え。どの様な相手が、出て来ましょうとも。
誰とでも、お話して。
自身が、正論と思います事。
お伝えする以外に、方法は存在致しません。
逆に、それ以外で。人間が、出来うる手法。
存在しないかもしれません。
私の語彙や、文章能力に依り。
この作品を問題視していると云う以外。
上手く、お伝え出来なかったかもしれません。
誠に、それを情けなく。また、悔やんでいます。
それなら。あの国民的作家と呼ばれました。
司馬遼太郎先生が、意図して描かれました。
もっとも、怪作・異色作の小品。
その様に、お伝え致しましたら。
御興味を持たれます方。
決して、少なくないでしょうか?
正直、一人でも。多くの方に、読んで頂きまして。
御感想など。お伺いする機会などございましたら。
誠に、幸いに思えます。
それでは。