http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2987.html 小名木善行 ねずさんの ひとりごとさんより
あまりにも情けない戦後教育 2016年04月20日
戦後教育で神話教育が奪われたのは、もともとはGHQのWGIPの一環としての「4大教育司令」によります。
このため、神話教育が奪われ、戦後生まれの私たちは、義務教育期間中に学校で神話を学ぶことがありません。
また義務教育以外では、せいぜいグリム童話やイソップ物語と同じ延長線上のものとしてしか、日本神話を学ぶ機会がありません。
高校、大学や社会人以降となると、古事記を学ぶとはいっても、文章が古くてむつかしい言い回しになってはいるものの、内容的には、やはり童話の延長線上の解釈しか、現実に提示されていないのが現状です。
ところが私たちの先輩は、みなさんこぞって「神話を読め学べ」とおっしゃいます。
そこに日本の心のすべてがある。
日本人として大切なことが全部書かれているのだとおっしゃいます。
けれど、そう思って古事記や日本神話を読んでも、頭が八つあるキングギドラのような大蛇が出てきたので酒を呑ませてやっつけたとか、
大国主神はウサギと話すことができたとか、そういう筋書きしか書いてありません。
![](http://kazu8787.up.n.seesaa.net/kazu8787/image/E383A4E3839EE382BFE3838EE382AAE383ADE38381-thumbnail2.jpg?d=a0)
現職世代といいますか、いま現役のビジネスマンとして、バリバリに責任あるお仕事をされている方々、毎日忙しい日々を送られている方々が、「大蛇が酒を飲んだ」とか「ウサギとお話した」とかいう話を聞いて、「なるほどこれが日本的精神の根幹か!」と思えるとしたら、見方によっては、それはちょっと変わった方かもしれません。
むしろ「その話のどこが、何が大事なのか?」と疑問を抱かれることの方が、正常な精神の持ち主といえるのではないでしょうか。
もちろん、最初に筋書きを学ぶことは大切です。
幼児教育の一環として、そうした全体の筋書きが頭にはいっていれば、次のステップとして、そこから何を得るか、何を学ぶかという話になってこようかと思います。
ものごとを理解するには、
まず、全体像を把握する。
次いで、部分の深掘りをする、
という順番が必要であると思うからです。
つまり、先輩諸氏は、その深掘りした何かをご存知だから、「神話を学べ」とおっしゃるわけです。
ところが私たちに提供されている情報は、全体像の把握に必要な「あらまし」だけで、それが何を意味しているのか、何を学び取るべきなのかを示す、深掘り情報の提供が、実はまったくなされていないのです。
そこに大きな世代の断絶というか、思考や学びの落差があります。
![](http://file.mandanet.blog.shinobi.jp/usagi02.jpg)
たとえば因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)なら、
「むかしむかしね、ウサギさんが
海を渡ろうとして、サメを騙したの。
そしたらサメが怒ってね、
ウサギさんの毛を剥いでしまったの。
こわいわよね。
だからね、人を騙したりしてはいけないの。
それで大怪我をしたウサギさんをね、
オオナムチっていう若者が助けてあげたの。
オオナムチっていう人はね、
そういうやさしい人だったから、
末には大いなる国の主の神様になったのよ。
だからね、偉くなる人は、心にやさしさが大事なの。
◯◯ちゃん、わかる?」
といった物語という理解で、それは足りるのです。
けれど、戦前、戦中は、神話は何も小学校1〜2年生の授業ではなく、尋常小学校の高学年でも学んだし、中学でも学んだのです。
それが果たして、上にあるものと同じ話だったのでしょうか。
実は全然違うのです。
そこで、まず全体像の把握をしてみます。
だいたい次のような展開になります。
*
大国主神には、たくさんの兄たち(八十神)がいた。
八十神たちは、美人の誉れ高い隣国の美女、八上比売(やがみひめ)をめとろうと、出雲に向かった。
当時は通い婚社会であった。
通い婚は、勝手に夜這いして子を孕ませるという乱暴なものではない。それでは強姦になってしう。
娘の両親とも面会して、この男性なら!と見込まれて、はじめて通うことが許された。
だから八十神たちは、ウサギ(弱者)を騙した(傷口に塩を塗りこんで痛みを増させた)という悪さがバレて、結局縁談を断られている。
ウサギを誠実に助けた大穴牟遅神(おおなむち=大国主神の若いころの名前)は、その誠実さが認められて、八上比売と結ばれる。
ところが、これが八十神達の妬(ねた)みを生む。
妬みは恐ろしい。
彼らは大穴牟遅神を亡き者にしようと、真っ赤に焼いた石を抱かせたり、木の俣に挟み込んで身動きができないようにして殴りつけたりと、乱暴狼藉をはたらいた。
いまでいうイジメである。
あまりのイジメの残酷さに、耐えかねた大穴牟遅神は、親戚の須佐之男命(すさのお)を頼って根の堅州国に逃げる。
そこで須佐之男命の娘の須勢理毘売(すせりひめ)と出会って、父の須佐之男命から婚約者であることを認められる。
ただし武勇をもって知られる須佐之男命にしてみれば、ただイジメられて逃げるしか能のないような男では、大事な娘の婿にするわけにいかない。
そこで大穴牟遅神を、蛇の部屋、ムカデの部屋、蜂の部屋に閉じ込めて訓練を施す。
大穴牟遅神は、須勢理毘売から受け取っていたヒレ(肩衣のこと)を振ることで、蛇やムカデや蜂を退散させ、朝までぐっすりと眠ることができた。
*
さて、ここまでのお話の前段で、人を騙したりせずに、誠実に生きていることが、良い女性と結ばれるのに必要なことであることは、わかったと思います。
しかしそれが原因で、妬まれ、イジメを受けることがあることもご理解いただけたかと思います。
大穴牟遅は、良い男です。
ウサギを助けていますし、八上比売の両親も結婚を認めているわけですし、須勢理毘売に一目惚れされているくらいの男なのですから、きっと性格も良く、古代の医療技術を身に着けているという優秀さも持ち、見た目も素敵な良い男であったろうことは容易に想像がつきます。
ところが彼は、八十神たちにイジメを受けています。
つまり、弱いのです。
不条理に対する戦いの術を持っていないのです。
須佐之男命は、娘の婚約者である彼を、蜂やムカデや蛇の部屋に入れています。
では、それは何のためだったのでしょうか。
須勢理毘売のヒレ(肩衣のこと。布でできたショール)を振ったら、蛇やムカデが退散してくれたので「ぐっすり眠れた」とありますが、軟弱な男を一人前に鍛えるために必要なことは、「ぐっすり眠る」ことなのでしょうか。
それとも「ヒレをパタパタと振る」ことなのでしょうか。
最近、書店さんの店頭で売られている古事記の本は、どの本をご欄いただいても良いのですが、すべて、「須佐之男命が蛇や蜂の部屋に閉じ込めたが、須勢理毘売の機転によって、大穴牟遅神はぐっすりと眠れた」というようにしか書かれていません。
もちろん、筋書きはそのように古事記に書かれています。
けれど、須勢理毘売の父親の身になって考えてみてください。
娘の旦那になるということは、そこから生まれる子は、自分の子孫です。
その子孫が軟弱な子孫になっては、家が持たない。
娘の旦那は、見た目が良くて、頭が良いばかりではなく、同時に強い男であってもらわなければ困るのです。
つまり、強くない(=弱い)ということは、男として、それだけで半人前なのです。
だからこそ須佐之男命は、娘の彼を蛇や蜂の部屋に入れています。
ということは、半人前の男を一人前に鍛えあげるのに必要なことは、「ヒレを振ってぐっすり眠る」ことなのでしょうか。
そもそもこの大国主神神話というのは、はじめ、人が良いだけでイジメられっ子だった青年が、後には大いなる国の主(大国主神)になったという物語です。
つまり、見た目が良くて頭も良いけれど、弱虫で、みんなからイジメられっぱなしだった男が、ある機会を経て、そこから立ち上がり、偉大な王にまで成長したという物語です。
西洋の童話風に言うなら、「アーサー王は何故、歴史に残る偉大な王となることができたのか」を描いたのが、大国主神神話です。
その理由が「ヒレを振ってぐっすり寝た」としか読めないことが問題なのです。
戦前の尋常小学校や国民学校の教室なら、ここで先生が、
「では、蛇やムカデや蜂は、何を意味しているのか、みんなで考えてみよう!」と声をかけたわけです。
生徒たちは、子供でも、ちょっと考えればここで答えがわかります。
蛇は「手も足もでない苦境」です。
ムカデは「たくさんの選択肢に迷う葛藤」です。
蜂は「心身の苦痛」です。
これらを、いかにして乗り越えるのかを、須佐之男命は大穴牟遅神に学ばせているのです。
そして、苦境や葛藤や痛みを乗り越えのに必要な力は、愛する者の支えと、愛する者をいかにして守ろうとするかにあることがここで教えられます。
八十神たちに命を奪われるほどのイジメを受けているというときに、これに打ち勝つために必要なことは、喧嘩に強くなること、腕を磨き体力を付けるということの前に、何より「愛する者を守ろう」とする覚悟が大事だと教えられたわけです。
自分一人なら、イジメられたらガマンするだけでも足りるかもしれません。
あるいは、そこから逃げ出すことだけで良いのかもしれません。
しかし愛する者ができたとき、その愛する者を守るためには、愛する者とともに、互いに支えあい、それを乗り越えていかなければならないのです。
そしてその「乗り越える力」というのは、まさに愛の力そのものであるということが、ここに書かれていることと学ぶわけです。
手も足も出ない苦境や、たくさんの選択肢に迷う葛藤や、心身の苦痛は、人生のあらゆる場において現実に必ず起こることです。
そしてそれは「乗り越えなければならない試練」でもあります。
これを乗り越えるには、何より愛の力が大事だということを、ここで学ぶのです。
こういうことは、物語の上辺だけを読んで、「ヒレを振ってぐっすり寝た」としてしかこの物語を理解しなのと、そういう深いところまでをしっかりと学ぶことでは、教育という面から見た時、あるいは人を育てるという点から見た時、まさに雲泥の差となってあらわれます。
このようなことを書きますと、
「なるほど良い話を聞きました。ついては、そのことがどの本に書かれているかを教えて下さい」というコメントが毎度必ずつきます。
申し訳ないけれど、そんなことはどこにも書かれていません。
理由は、簡単です。
ひとつは、こんなことは、かつての日本では、そのようなことは自慢気に本にしなければならないようなことではなくて、あたりまえの常識に他ならなかったことであったこと。
もうひとつは、何かに書かれているものを紹介するだけなら、むしろその本を紹介すれば足りることで、私の解説など必要無いということです。
どこかの本の引用なら、その本を紹介すればことが足りるのです。
書いてないから、書くのです。
あまりにもあたりまえすぎて、かつては書く必要さえないほどあたりまえだった常識であり、小学生でもわかったようなお話が、いまでは、大人になっても気付かない、そのことをちゃんと書いている本がないから、書いているのです。
70年前なら、こんなことを書いたら、逆に馬鹿にされます。
東南アジアの人々は、日本人と支那人や韓国人を簡単に見分けます。
実に簡単です。
ご飯を食べ終えたとき、日本人は食後に不思議なじゅもんを唱えるのです。
だから日本人とわかります。
支那人や韓国人には、それがありません。
日本人にとっては、食後に「ごちそうさまでした」というのは、ただの常識です。
それは空気のようにあたりまえの習慣です。
ですから日本人に「どうして食後に呪文を唱えるのか」と聞いても、答えられる人はあまりいませんし、「なぜ日本人は食後にごちそうさまと言うのか」について書かれた本も、ありません。
それが日本人にとって、あまりにあたりまえのことだからです。
つまり、あたりまえのことは本になど書かれていないし、書く人もいないということです。
けれど、それが失われたなら、書かなければなりません。
インパールの戦いで7万人の日本兵、つまり若い日本人男性が戦場から引き揚げてくる時、そのうちの約5万人が街道筋で餓死しました。
日本兵の遺体が延々と並んだその街道は、後に白骨街道と呼ばれています。
日本人の白骨が街道に連なったからです。
ところが、この街道の両脇は農地です。
場所は熱帯ですから、年中、そこには作物が稔っているのです。
つまり道端には、食べ物がたくさんあったのです。
にもかかわらず、日本の若い軍人さんたちは、餓死しました。
なぜでしょうか。
その作物を、勝手に泥棒して食べるということをしなかったからです。
ところがインパールの戦いを書いた戦記や体験記で、「私は路肩の農作物をひとつも泥棒しませんでした」などと自慢気に書いている本など、ひとつもありません。
たとえ飢え死にしても、人のものを盗らない。
そんなことは、あまりにもあたりまえの常識だったし、それを自慢気に書きでもしたら、それこそ戦友たちから馬鹿にされたからです。
ところがこのことは、世界の戦の敗残兵という視点でみたら、とてつもなく、ありえないことです。
しかし「書いてないから、なかった」ことにするには、あまりに悲しすぎる出来事です。
だからかつての常識が通用しなくなった今、これはあらためて書くべきことになっています。
なぜなら、歴史は学ぶものだからです。
神話も同じです。
大国主神の物語が成長の物語なら、その成長のいわば、ターニングポイントになったのが、ウサギとの出会いであり、蛇や蜂の部屋であるわけです。
そうであるなら、その「何が成長を促したのか」を考え、読み取ることが大事なのではないかと思います。
(昔)
「この和歌は、恋の歌です。」
「どうしてですか?」
「はい。タイトルに『恋』と書いてあります」
「不正解です。もういちど勉強してきなさい」
(いま)
「この和歌は、恋の歌です。」
「どうしてですか?」
「はい。タイトルに『恋』と書いてあります」
「正解です。たいへんよくできました」
日本人がアホになるわけです。
それが果たして、上にあるものと同じ話だったのでしょうか。
実は全然違うのです。
そこで、まず全体像の把握をしてみます。
だいたい次のような展開になります。
*
大国主神には、たくさんの兄たち(八十神)がいた。
八十神たちは、美人の誉れ高い隣国の美女、八上比売(やがみひめ)をめとろうと、出雲に向かった。
当時は通い婚社会であった。
通い婚は、勝手に夜這いして子を孕ませるという乱暴なものではない。それでは強姦になってしう。
娘の両親とも面会して、この男性なら!と見込まれて、はじめて通うことが許された。
だから八十神たちは、ウサギ(弱者)を騙した(傷口に塩を塗りこんで痛みを増させた)という悪さがバレて、結局縁談を断られている。
ウサギを誠実に助けた大穴牟遅神(おおなむち=大国主神の若いころの名前)は、その誠実さが認められて、八上比売と結ばれる。
ところが、これが八十神達の妬(ねた)みを生む。
妬みは恐ろしい。
彼らは大穴牟遅神を亡き者にしようと、真っ赤に焼いた石を抱かせたり、木の俣に挟み込んで身動きができないようにして殴りつけたりと、乱暴狼藉をはたらいた。
いまでいうイジメである。
あまりのイジメの残酷さに、耐えかねた大穴牟遅神は、親戚の須佐之男命(すさのお)を頼って根の堅州国に逃げる。
そこで須佐之男命の娘の須勢理毘売(すせりひめ)と出会って、父の須佐之男命から婚約者であることを認められる。
ただし武勇をもって知られる須佐之男命にしてみれば、ただイジメられて逃げるしか能のないような男では、大事な娘の婿にするわけにいかない。
そこで大穴牟遅神を、蛇の部屋、ムカデの部屋、蜂の部屋に閉じ込めて訓練を施す。
大穴牟遅神は、須勢理毘売から受け取っていたヒレ(肩衣のこと)を振ることで、蛇やムカデや蜂を退散させ、朝までぐっすりと眠ることができた。
*
さて、ここまでのお話の前段で、人を騙したりせずに、誠実に生きていることが、良い女性と結ばれるのに必要なことであることは、わかったと思います。
しかしそれが原因で、妬まれ、イジメを受けることがあることもご理解いただけたかと思います。
大穴牟遅は、良い男です。
ウサギを助けていますし、八上比売の両親も結婚を認めているわけですし、須勢理毘売に一目惚れされているくらいの男なのですから、きっと性格も良く、古代の医療技術を身に着けているという優秀さも持ち、見た目も素敵な良い男であったろうことは容易に想像がつきます。
ところが彼は、八十神たちにイジメを受けています。
つまり、弱いのです。
不条理に対する戦いの術を持っていないのです。
須佐之男命は、娘の婚約者である彼を、蜂やムカデや蛇の部屋に入れています。
では、それは何のためだったのでしょうか。
須勢理毘売のヒレ(肩衣のこと。布でできたショール)を振ったら、蛇やムカデが退散してくれたので「ぐっすり眠れた」とありますが、軟弱な男を一人前に鍛えるために必要なことは、「ぐっすり眠る」ことなのでしょうか。
それとも「ヒレをパタパタと振る」ことなのでしょうか。
最近、書店さんの店頭で売られている古事記の本は、どの本をご欄いただいても良いのですが、すべて、「須佐之男命が蛇や蜂の部屋に閉じ込めたが、須勢理毘売の機転によって、大穴牟遅神はぐっすりと眠れた」というようにしか書かれていません。
もちろん、筋書きはそのように古事記に書かれています。
けれど、須勢理毘売の父親の身になって考えてみてください。
娘の旦那になるということは、そこから生まれる子は、自分の子孫です。
その子孫が軟弱な子孫になっては、家が持たない。
娘の旦那は、見た目が良くて、頭が良いばかりではなく、同時に強い男であってもらわなければ困るのです。
つまり、強くない(=弱い)ということは、男として、それだけで半人前なのです。
だからこそ須佐之男命は、娘の彼を蛇や蜂の部屋に入れています。
ということは、半人前の男を一人前に鍛えあげるのに必要なことは、「ヒレを振ってぐっすり眠る」ことなのでしょうか。
そもそもこの大国主神神話というのは、はじめ、人が良いだけでイジメられっ子だった青年が、後には大いなる国の主(大国主神)になったという物語です。
つまり、見た目が良くて頭も良いけれど、弱虫で、みんなからイジメられっぱなしだった男が、ある機会を経て、そこから立ち上がり、偉大な王にまで成長したという物語です。
西洋の童話風に言うなら、「アーサー王は何故、歴史に残る偉大な王となることができたのか」を描いたのが、大国主神神話です。
その理由が「ヒレを振ってぐっすり寝た」としか読めないことが問題なのです。
戦前の尋常小学校や国民学校の教室なら、ここで先生が、
「では、蛇やムカデや蜂は、何を意味しているのか、みんなで考えてみよう!」と声をかけたわけです。
生徒たちは、子供でも、ちょっと考えればここで答えがわかります。
蛇は「手も足もでない苦境」です。
ムカデは「たくさんの選択肢に迷う葛藤」です。
蜂は「心身の苦痛」です。
これらを、いかにして乗り越えるのかを、須佐之男命は大穴牟遅神に学ばせているのです。
そして、苦境や葛藤や痛みを乗り越えのに必要な力は、愛する者の支えと、愛する者をいかにして守ろうとするかにあることがここで教えられます。
八十神たちに命を奪われるほどのイジメを受けているというときに、これに打ち勝つために必要なことは、喧嘩に強くなること、腕を磨き体力を付けるということの前に、何より「愛する者を守ろう」とする覚悟が大事だと教えられたわけです。
自分一人なら、イジメられたらガマンするだけでも足りるかもしれません。
あるいは、そこから逃げ出すことだけで良いのかもしれません。
しかし愛する者ができたとき、その愛する者を守るためには、愛する者とともに、互いに支えあい、それを乗り越えていかなければならないのです。
そしてその「乗り越える力」というのは、まさに愛の力そのものであるということが、ここに書かれていることと学ぶわけです。
手も足も出ない苦境や、たくさんの選択肢に迷う葛藤や、心身の苦痛は、人生のあらゆる場において現実に必ず起こることです。
そしてそれは「乗り越えなければならない試練」でもあります。
これを乗り越えるには、何より愛の力が大事だということを、ここで学ぶのです。
こういうことは、物語の上辺だけを読んで、「ヒレを振ってぐっすり寝た」としてしかこの物語を理解しなのと、そういう深いところまでをしっかりと学ぶことでは、教育という面から見た時、あるいは人を育てるという点から見た時、まさに雲泥の差となってあらわれます。
このようなことを書きますと、
「なるほど良い話を聞きました。ついては、そのことがどの本に書かれているかを教えて下さい」というコメントが毎度必ずつきます。
申し訳ないけれど、そんなことはどこにも書かれていません。
理由は、簡単です。
ひとつは、こんなことは、かつての日本では、そのようなことは自慢気に本にしなければならないようなことではなくて、あたりまえの常識に他ならなかったことであったこと。
もうひとつは、何かに書かれているものを紹介するだけなら、むしろその本を紹介すれば足りることで、私の解説など必要無いということです。
どこかの本の引用なら、その本を紹介すればことが足りるのです。
書いてないから、書くのです。
あまりにもあたりまえすぎて、かつては書く必要さえないほどあたりまえだった常識であり、小学生でもわかったようなお話が、いまでは、大人になっても気付かない、そのことをちゃんと書いている本がないから、書いているのです。
70年前なら、こんなことを書いたら、逆に馬鹿にされます。
東南アジアの人々は、日本人と支那人や韓国人を簡単に見分けます。
実に簡単です。
ご飯を食べ終えたとき、日本人は食後に不思議なじゅもんを唱えるのです。
だから日本人とわかります。
支那人や韓国人には、それがありません。
日本人にとっては、食後に「ごちそうさまでした」というのは、ただの常識です。
それは空気のようにあたりまえの習慣です。
ですから日本人に「どうして食後に呪文を唱えるのか」と聞いても、答えられる人はあまりいませんし、「なぜ日本人は食後にごちそうさまと言うのか」について書かれた本も、ありません。
それが日本人にとって、あまりにあたりまえのことだからです。
つまり、あたりまえのことは本になど書かれていないし、書く人もいないということです。
けれど、それが失われたなら、書かなければなりません。
インパールの戦いで7万人の日本兵、つまり若い日本人男性が戦場から引き揚げてくる時、そのうちの約5万人が街道筋で餓死しました。
日本兵の遺体が延々と並んだその街道は、後に白骨街道と呼ばれています。
日本人の白骨が街道に連なったからです。
ところが、この街道の両脇は農地です。
場所は熱帯ですから、年中、そこには作物が稔っているのです。
つまり道端には、食べ物がたくさんあったのです。
にもかかわらず、日本の若い軍人さんたちは、餓死しました。
なぜでしょうか。
その作物を、勝手に泥棒して食べるということをしなかったからです。
ところがインパールの戦いを書いた戦記や体験記で、「私は路肩の農作物をひとつも泥棒しませんでした」などと自慢気に書いている本など、ひとつもありません。
たとえ飢え死にしても、人のものを盗らない。
そんなことは、あまりにもあたりまえの常識だったし、それを自慢気に書きでもしたら、それこそ戦友たちから馬鹿にされたからです。
ところがこのことは、世界の戦の敗残兵という視点でみたら、とてつもなく、ありえないことです。
しかし「書いてないから、なかった」ことにするには、あまりに悲しすぎる出来事です。
だからかつての常識が通用しなくなった今、これはあらためて書くべきことになっています。
なぜなら、歴史は学ぶものだからです。
神話も同じです。
大国主神の物語が成長の物語なら、その成長のいわば、ターニングポイントになったのが、ウサギとの出会いであり、蛇や蜂の部屋であるわけです。
そうであるなら、その「何が成長を促したのか」を考え、読み取ることが大事なのではないかと思います。
(昔)
「この和歌は、恋の歌です。」
「どうしてですか?」
「はい。タイトルに『恋』と書いてあります」
「不正解です。もういちど勉強してきなさい」
(いま)
「この和歌は、恋の歌です。」
「どうしてですか?」
「はい。タイトルに『恋』と書いてあります」
「正解です。たいへんよくできました」
日本人がアホになるわけです。
転載、させていただいた記事です
■ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」
http://goo.gl/WicWUi
■「耳で立ち読み、新刊ラジオ」で百人一首が紹介されました。
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