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隣組と防災対策 - ねずさんのひとりごとさん

2019年10月26日 11時00分00秒 | 保守系お友達ブログ 「ねずさんの学ぼう日本」

 

https://www.youtube.com/watch?v=2YSIGk8zvOY

隣組と防災対策

http://nezu3344.com/blog-entry-4295.html

古いもの、古代や中世から続いているものを、わたしたちは戦後の一時期のブームのように、ただ否定するのではなく、もういちど、国土と自然と、人々の福祉のために、みんなが安心して安全に暮らせる日本を、もう一度考え直してみるときにきているのではないでしょうか。

大停電に台風続きで、ついには19号による被災と、たいへんな情況が続いています。
被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。

昔流行した歌謡曲に「隣組(となりぐみ)」という歌があります。
戦争前の昭和15(1940)年、国民歌謡としてビクターレコードから発売された曲で、この曲は替え歌でフジテレビの「ドリフの大爆笑」のオープニングにも使われました。

歌詞を読んだだけでもほのぼのとした明るい気持ちになれます。
なぜそんな気持ちになるのでしょうか。
助け合い、支えあいができる社会が、それだけ良いものだということを、私達日本人が本能でわかっているからなのではないでしょうか。

****
「隣組」
岡本一平作詞、飯田信夫作曲

1 とんとんとんからりと隣組
  格子を開ければ顔なじみ
  廻して頂戴回覧板
  知らせられたり知らせたり

2 とんとんとんからりと隣組
  あれこれ面倒味噌醤油
  ご飯の炊き方垣根越し
  教えられたり教えたり

3 とんとんとんからりと隣組
  地震や雷火事どろぼう
  互いに役立つ用心棒
  助けられたり助けたり

4 とんとんとんからりと隣組
  何軒あろうと一所帯
  こころは一つの屋根の月
  まとめられたり、まとめたり

「隣組制度」というのは、形式的には、この曲が発売された年と同じ年の9月に内務省が訓令した「部落会町内会等整備要領」(通称=隣組強化法)に基いて制度化されたものです。
けれどその内容は、大昔からの日本にあった古くからの慣習を、そのまま制度化したものです。

万一の災害発生時に頼りになるのは、まさに「遠くの親戚よりも近くの他人」です。
平素はただ隣に住んでいるというだけで、全然関わりがなかったとしても、いざというときには、地域のみんなで支えあい助け合っていかなければならない。
このことは、大水や地震、津波、土砂災害などの自然災害と常に向き合ってきた日本人にとって、古くから営まれてきた社会的知恵です。

隣組というと、すぐに先の大戦下での思想統制や住民同士の国民相互監視などの好ましくないものだと言い出す人がいます。
あるいは、「隣は何をする人ぞ」といった、隣人の顔さえ知らない、関わりを持たずに生きることが、都会的だともてはやす人がいます。
もちろん自分勝手でいれることは、それはそれで楽しいことかもしれません。
けれど、こうした隣組制度は、いざというとき、人間の力では防ぐことができない天災のとき、なにより人が生き残るための重要事であることもまた事実です。
そしてそれ以上に、近隣から「悪い人を出さない」という重要事を担っていたこともまた事実です。

江戸時代の江戸市中の生活では、主として長屋がこの隣組制度の代わりをしていました。
江戸時代は、とにもかくにも犯罪を出さない、させない、という犯罪予防が第一とされた社会でしたから、この制度はとても厳しくて、たとえば長屋内に犯罪を犯す人が一人でも出れば、犯人が逮捕されるだけでなく、そのような犯罪者を出したことを罪に問われて、向こう三軒両隣は重い処罰、長屋の住民全員には重課税、家主や地主も下手をすれば遠島で、江戸初期には長屋自体が、犯罪者を匿ったというだけの罪で、取り壊しになっています。

このことはいまでいうなら、巨大なマンションの住民のなかのひとりが犯罪を犯せば、家主も地主も処罰され、さらにマンション自体が取り壊しになる、というようなものです。
たいへんに厳しかったのです。

あまりに厳しいというのはいかがなものか、と思われる方がおいでになるかもしれません。
しかし、悪いことをしなければ良いだけのことなのです。
つまり、普通の人が普通に生活する分には、まったく問題にならないのです。

けれど、悪いことをする人にとっては、これほど不愉快なものはありません。
悪いことがしにくいからです。
しかし悪いことというのは、起きてからでは遅いのです。
だったら日頃から悪いことができないように、相互監視をしていく必要があるのです。

相互監視はあるけれど、犯罪のない社会と、
相互監視がなくて、犯罪が多発する社会と、
果たしてどちらが住み良い社会といえるのでしょうか。

県境を超えた川の向こうに、昨今、テレビなどでしきりに連続殺人が報じられている町があります。
行くとわかりますが、小規模な工場が多くあり、外国人がたいへんに多い。
加えて、パチンコ店も多い。
地域全体としては過疎地です。
高齢化も進んでいます。
つまり、お金に困った外国人が、簡単に一家皆殺しや、老人を襲うことができる環境があります。
経済的理由から、外国人誘致をしきりに進めている人たちがいますが、彼らは犯罪対策について、どのように考えているのか。

さらに天災です。
細長い火山列島である日本は、火山の爆発や、急斜面による土砂災害、平野部なら大水、大雨、大雪、地震、竜巻、台風、大風、落雷、あるいは大規模な自然災害があれば、それによってもたらされる停電、断水、土砂災害、といった非常事態は、いつでも起きる可能性はあるわけです。
加えて被災後の復興のための様々な手当があります。

たとえば大水によって、屋内が浸水したとき、そこに流れ込んで来るのは清流ではありません。
ドロドロの泥水です。
水が引いたあとも、床には厚さ数センチの泥が一面に堆積します。
最近は、井戸も、昔のような地面から立ち上がった枠を持たず、地面の上にじかに電動ポンプを据えている家がほとんどです。
当然、大水によってポンプが泥水に浸かりますから、ポンプも役に立たない。
つまり井戸水も使えないのです。

さらに避難所での生活があります。
避難所は、個人で避難するよりも、戸建住宅なら町内の班単位、マンションなどの場合も、マンションの自治会ごとに避難所に集合していないと、十分に食料や水を分けてもらえないことがあります。
なぜなら、水も食料も、班単位、自治会単位に配られるからです。

平時は良いのです。
普段のときは、昼間は仕事にでかけるし、別段家にいるわけでもないという人も多いかと思います。
問題は非常時です。
日頃から、官民をあげて、非常時に備えていく。

建設もそうです。
災害の多いわが国では、安かろう悪かろうという建築物では通用しないのです。
少々コストがかかったとしても、手抜きのない、しっかりとした工事を行わないと、日本ではいざというときに対応できないのです。
つまり、わが国の建設業では、価格競争は、本来、意味をなさないのです。
そうではなく、品質競争にする。
そのためには、特に公共工事を中心として、業者には、工事を請け負えば、確実に一定の利益が見込めるという社会体制を構築していかなければなりません。

いっぱん住宅もそうです。
戦後、核家族を対象に、マッチ箱のような戸建住宅が推奨されましたが、実はこれは2つにひとつなのです。
A 丈夫で長持ちするしっかりした住宅をつくる。
B すぐに壊れるけれど、またすぐに建てることができる。

実は江戸時代の日本では、都市部ではBタイプ、農村部ではAタイプの住宅が作られていました。
建築が木造なので、火災や地震が発生したときは、むしろBタイプのほうが、住宅密集地では望ましかったからです。

では、いまの日本の住宅政策はどうかというと、AでもBでもない。
個人の核家族が、そこそこ丈夫な家を建てるという政策です。
逆だと思います。
大きな敷地に、大きくて丈夫な家を建てる。
そこに数世代が同居する。
そうした大家族制を基本にした住宅政策が、あっても良いのではと思います。

マイナス金利の時代といわれていますが、やろうと思えばできてしまうのです。
たとえば住宅ローンの金利がゼロ金利なら、1億円を100年ローンにしたら、ボーナス払い抜きで月8万円です。
月8万円で、土地500坪、建物150坪の豪邸が建つなら、3世代4世代同居も悪い話ではないかも知れません。
要するに政治が機能すれば、できないことはない、ということです。

地域コミュニティの最小単位を、制度化したものが隣組です。
東京中が、空襲で焼け野原になったとき、多くの方が亡くなりましたが、それでもあの空襲の中を、生残った人もたくさんいました。
なぜ生残れたのかといえば、隣近所のおじさんたちが、そこかしこに防空壕を掘ってくれたからです。
近所のおばさんたちが、みんなで手分けして、防空頭巾を子供たちに作ってくれたからです。
そして、万一の場合に備えて、カメに容れて土に埋めたり、丈夫な釜に保存しておいてくれた非常用食料を、隣組みんなのために、互いに供出しあったからです。
そうやって、相互に助け合う習慣があったからこそ、亡くなった方の10倍以上の老若男女が生残ることができたのです。

そもそも隣組というのは法制度化されたのは昭和15年ではあるけれど、もともとをたどっていけば、記録で確認できるものとしては、1世紀の日本にはすでに確立されていたものです。自然災害の多い日本では、2千年以上の歴史があるのです。

そもそも縄文の昔には、隣近所の村落共同体しかありません。世界中どこもそうです。
それがクニになり、国家へと発展していくのですが、その過程で、西洋や大陸では、力の強い者が王となり、村落共同体を破壊して、それらを傘下におさめて私有化していったというのは、誰でも知っていることです。

ところが日本では、そうした村落共同体をまるごと活かして倭国が成立しています。
どういうことかというと、日本では、村落共同体を滅ぼして私有化して、豪族たちが贅沢するために国が出来たのではなく、村落共同体が、互いに力を合わせて、つまり村落共同体内の協力関係を、そのまま地域社会の共同体としての協力関係に拡大することによって、大規模な水田の開墾や、治水事業が行われ、そのためのリーダーが、古代における豪族となったし、王となりました。

そしてこれとまったく同じことが、中世の日本では、新田の開墾事業を推進したリーダーが、新興武士団となり、そこから武士が登場するという歴史が生まれています。
つまり国の成り立ちが、日本では、大陸にあったような、はじめから収奪や支配を目的とするものではなく、相互協力関係をスタートラインとして、発展し発達し、それが国家となっているのです。

ですから、世界中どこでも、国家の形成過程においては、必ず殺戮や戦争が行われているけれど、日本ではそれが起きていません。なぜなら日本は、縄文時代という、約1万5000年続いた長い時代に、武器そのものを所持しない、人が人を殺さない文化が、完全に定着していたからです。

古代大和朝廷の成立も、ですから大和朝廷は、全国にあった地域共同体を、そのまま活かして、単にその上にのっかるというカタチをとりました。
だからこそ、そこに「シラス」という概念が生まれています。
「ウシハク」なら、抵抗する者は滅ぼすのですから、地域共同体に対しては破壊しかありません。

けれど、そんなことをしたら、災害発生時の対応がまったくできなくなってしまうのです。
中には、大陸風の「ウシハク」統治によって、村落共同体を破壊して、すべてを支配しようとした豪族もいたかもしれませんが、結局そういう豪族は、災害発生時には、その富の源泉を失い、結果、滅ぶしかなかったというのが、日本の歴史です。
領主は、どこまでも民のため、村落共同体を守り育てるというカタチでしか、日本では成り立ち得なかったのです。

そしてこの村落共同体は、江戸時代には、完全に日本の民間生活の中に定着していました。
農村部では、庄屋さんが苗代を持っていて、近所の農家に苗を配っていたし、江戸や大坂のような大都市にあっては、五人組や、長屋制度によって、5〜10世帯単位の共同体が、井戸の共同利用などを通じて、完全に確立していました。
結婚式も葬式も、災害発生時の訓練や相互扶助も、こうした緻密なコミュニティが発達していてくれたおかげで、みんなで助け合い、みんなで支えあい、みんなで協力しあって生きていくということが、完全に完璧に定着していたわけです。

そしてこうしてすでに確立していた共同体を、戦時非常体制のために、法制度上も整備したというのが、昭和15年の隣組制度でした。
そして隣組は、なるほどGHQによって解散させられてしまったけれど、結果として、いまでも、町内会や自治会、マンションの管理組合、消防団などと名前を変えて、何の法的裏付けがなくても、全国にしっかりと残っています。
それらが「完全に」崩壊しているのは、在日外国人世帯が多くなって、そうしたことの大切さがまったく理解されなくなっているごく限られた一部エリアと、おかしな新興宗教団体に毒された人々の多い、それこそ特殊な地域だけです。

たた、問題は、そうした隣組のような小さな単位の地域コミュニティの、万一の場合の必要性が、まったく世間に知らされず、いわば、昔を知り、災害発生時の経験を持つお年寄りたちだけの誠意と問題意識だけに支えられているといういまの現実です。

単に隣組を復活させようと申し上げているのではありません。
わが国が災害大国であるという自覚を、国民のひとりひとりがしっかりと保持し、そのことによって、古い昔のシステムと、これからの日本を考え、行動することがたいせつであるように思います。

古いもの、古代や中世から続いているものを、わたしたちは戦後の一時期のブームのように、ただ否定するのではなく、もういちど、国土と自然と、人々の福祉のために、みんなが安心して安全に暮らせる日本のを、もう一度考え直してみるときにきているのではないでしょうか。

※この記事は2015年9月の記事の再掲です。
お読みいただき、ありがとうございました。

http://nezu3344.com/blog-entry-4295.html


 



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