福島警戒区域で「動物たちの命を全うさせる」生き方を選んだ男性の物語
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52121214.html
生きていればいろんなことがある。時に、その後の人生を大きく左右するほどの、無作為で無慈悲な
体験を強いられることもある。絶望感に苛まれ、唯一の希望であるはずの明るい明日をどうしても
思い描けなくなることもある。
それでも確実に明日はまたやってくる。夢も希望も失いかけている状況の中で、人はその後の人生
をどう生きていくか?の決断を自らの意志で下さなければならない。人の数だけ選択肢があり、どれが
正解でどれが間違いというわけではない。
2011年3月11日、いまだかつて経験したことのない規模の震災と原発事故により、壊滅的被害を受
けた福島。原発から20㎞内では、今も尚、全域が警戒区域となっている。その中にある富岡町では、
飼い主を無くした牛や豚、犬や猫など、多くの動物たちがかろうじて生きながらえている。
もはやこの区域の畜産動物は、なんの価値もない無用のものとなった。そんな動物たちに対し、
自治体は殺処分命令を下し、職員らは注射器を持ってやってくる。その職員の前に1人の男性が立ち
はだかる。「牛や豚に、その注射針を刺すというのなら、その前に、おまえたちにも刺してやる!」と。
この男性こそ、警戒区域の富岡町に残り、震災直後の動物たちに天命をまっとうさせることを自ら
決断し、動物たちを守る為、2年たった今でも、動物たちが住みやすい環境を作り、餌をやり続けて
いる松村直登さん(53歳)である。
この映像は、VICEが今年の3月10日に公開した、最近取材した松村さんのインタビュー映像
「原発20キロ圏内に生きる男」である。
依然線量のでている警戒区域に残る松村さんの人体への影響を心配する声も多いと言うが、特に
体の不調はないという。都内の病院で被ばくの影響についての検査を受けたが「今はまったく問題なし」
だったそうだ。
松村さんは、昨年8月に開催された、「希望の牧場 ふくしま」写真展(東京・杉並区)での
トークショーでこう語ったという。
”人は食べなければ死んでしまいます。そうすると、多少放射能に汚染されているものでも、とにかく
食べて満腹になって、いつか死ぬか、あるいは放射能を気にするあまり食べ物が探せずに空腹のまま
死ぬのか…。人間はいつ死ぬわけで、つきつめれば、選択肢は「満腹で死ぬか」「空腹で死ぬか」の
どちらかなのです。そう考えると、何を食べても平気です(笑)。
それに、若い人なら被ばくに気をつけなければいけませんが、もうこの年(注:50代)になってくると、
もうそんなに心配するほどでもないです。”
また、松村さんは、 「なんでそこまでして、残された動物たちを救おうとするのか、どうして
殺処分から動物を守ろうとするのか」とよく聞かれるのだそうだが、「なぜ動物たちを見捨てて
行けるのか。どうして、牛たちを殺さないといけないのか。」と逆に聞きたいだという。
松村さんは、町の職員は、本当は家畜などを殺したくないのだということもわかっている。
でも、彼らは上からの命令に逆らうことはできない。だから何度追い払ってもまた注射器を
もってやってくるのだとも。
松村さんはもともと建築関係の仕事をしていて、畜産業を営んでいたわけではない。
子どもの頃から動物は大好きだったそうだが、全てのきっかけは、「オレがここにいる限り、
おまえたちを餓死させることなんか絶対にしないからね。」 と野良犬とした約束を守ることから
はじまったのだそうだ。via:janjanblog
松村さんは現在も、電気も水道もない状態で、飼い犬のアキと拾ってきた放浪癖のある
タロウの二匹、それに二羽のダチョウと猫数匹のペットを従え、富岡町の動物たちのお世話をしている。
人はある時、究極の選択を迫られる。いまだかつてないような出来事に遭遇した時、
これまで築き上げてきたものが全て崩れ去った時、改めて今後の、自らの生き方を決断しなければならない。
土壇場とも言える状態になると、平穏な時に「こうあるべき、こうしよう」考えていたことは、
まったく通用しなくなくなる。また、これまでは第三者として「それはこうするべき、正しい、間違っている」
などと客観的に判断を下していたつもりでいても、実際当事者となってみると、
まったく違った結論がそこに待ち構えている場合もある。
自分の頭で考えていたつもりでも、実は自分に都合の良い情報だけを取捨選択 しているだけで、
もしくはまわりの意見を自分の意見と思い込んでいるだけで、それはリアルの前では何の意味も
もたないことにやっとそこで気が付く。
人間は考える動物であると言うが、実際に自分の身に想像を絶することが起きると、もっとも
本能に近い部分で、何かを選択をし、思いもよらなかった行動にでるものだ。
何度も言うが、どれが正しくて、どれが間違っているというわけではない。
自分はそうなった時、何を考え、何をするのか?その後の人生は自分で決めなければならないと
いうことは、裏を返せば「自分で決める」ことができるということだ。
強い意志を持ち、まわりに左右されることなく、流されることなく、自分の今後を自分で決めることが
できるような強い精神力をまず鍛えていきたいと思った。
最終的には平等に淘汰されていく、1度きりの人生なのだから。
原発20キロ圏内に生きる男 - Alone in the Zone
東日本大震災から3年:見捨てられた動物たちの為、原発20キロ圏内で生きることを選んだ男性の今
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2011年3月11日に起きた、あの忌まわしい東日本大震災から3年が過ぎようとしている。
福島第一原子力発電所事故により、緊急避難を余儀なくされた住民たちだが、あれから3年、
避難指示区域の再編が何度も行われたものの、
今後4年以上帰れない帰還困難区域に指定されている場所も多い。
松村直登さんの住む双葉郡富岡町もその区域のひとつである。松村さんは、すぐに帰るつもりが
帰れなくなってしまった住民たちの残していったペットや畜産動物たちの面倒を見るため、
自らの意思で、原発20キロ圏内の警戒区域に残った。
【3.11特集】原発20キロ圏内に生きる男 続編 - Return to the Zone: Safecast & Matsumura
この放射線測定器により、設置個所周辺の放射線量データが 5 秒おきに更新されネット上で確認することができる。
![4](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/1/c/1c0e6046.jpg)
![6](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/3/0/3004ae86.jpg)
松村さんは原子力発電所の爆発事故直後、両親を連れ、南方に避難に向かった。
ところが、「放射能しょってるから入らないでくれ」などと言われ拒まれたという。
最終的に両親を福島県いわき市に残し、単身で富岡町に戻ってきた。
そこで見たのは、残されていた動物たちは次々と殺処分されていく姿だった。
この現状が我慢できなかった松村さんは、動物たちが天命をまっとうするまで
この地で世話をすることに決めた。
「人間はいつかは死ぬ。被ばくを気にして生きるより、生きたいように生きる」。
そう決意した松村さんだが、2013年11月より開始された、大量の核燃料棒の取り出し作業は
ちょっと心配だったようで、今回の放射線測定器設置にすこし安心したようだ。
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現在の松村さんは、以前と健康状態は変わらず元気に暮らしているという。動物たちもみな元気にやっているようだ。
昨年犬に子どもが生まれた。
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猫たちも猫らしく生きている。
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![14](http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/d/6/d6752eec.jpg)
牛たちも元気だ。
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2羽いたダチョウの1羽は最近亡くなってしまったそうだが、残り1羽は元気。
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猫にちょっかいだしたりなんかもする。
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もう3年。まだ3年。万人に平等に時は流れていくが、その感じ方は必ずし同じではない。
だが、そこで立ち止まっていては、何も見えないし何も変わらない。
前に向かって少しずつでも歩いていけば、昨日とは違う”明日”がそこに必ずある。
明日の”明”は伊達に明るいって意味じゃない。
過ぎてしまった時間は二度と戻らないけれど、目の前にある時間は全部自分のものだ。
今できること、今したいこと、今すべきこと、今してあげたいこと。
心の声に耳を傾け、まっさらな新しい時間をつかみにいこう。
尚、松村さんおよび動物たちの近況はブログ
「警戒区域に生きる ~松村直登の闘い~ 」で見られるようだ。
今年1月から更新が止まっているようなので、しばらく様子を見てみることにしよう。
放射能アレルギーの払拭から福島の復興を!
2016.01.28 http://hrp-newsfile.jp/2016/2602/ 文/幸福実現党・広島県本部副代表 佐伯 知子
◆根深い放射能アレルギー
広島県で活動をしている私は、原発の必要性や福島の安全についてをお話しすると、
「たくさんの方が放射能被害に苦しんでいるのに!」という感情的な怒りや悲しみを
ぶつけられることがあります。この背景には、根深い放射能アレルギーの存在があると感じます。
1895年、ドイツのレントゲン博士による「X線」の大発見の後、20世紀、放射線技術は医療や
半導体など、広範囲に実用化が進められました。ところが不幸なことに最初の実用化は
大量破壊兵器としての使用、すなわち広島・長崎への核爆弾となってしまいました。
20万人もの罪無き民間人が命を奪われたことは、到底許されることではありません。
しかしこれによって、多くの日本人にとって「核」「原子力」「放射能」といった言葉が「悪魔」の
代名詞のように、無条件に恐怖や怒りを抱いてしまうものとなったのです。だからといって、
現在における福島の強制的な避難状況や反原発運動が正しいとは言えません。
◆必要な正しい知識
一般的に放射線が警戒される理由は、
人間のDNAを傷つけガンなどの病気を引き起こす可能性が指摘されているからです。
しかし、そもそも人間は日常的に空気や土壌、食べ物などに含まれる自然界の放射線を浴びながら
暮らしています。私たちは、放射線ゼロの世界で生きることはできないのです。
年間100ミリシーベルト以下の被爆であれば人体への影響は無く、ガンによる死亡が増えるという
科学的な証拠も無いというのが国際的な常識です。瞬間的に浴びる放射線も同じく100ミリシーベルト以下
であれば人体への影響は確認されていません。これは、信頼性の高い国際機関である国連科学委会(UNSCEAR)、
世界保健機関(WHO)、国際放射線防護委員会(ICRP)、国際原子力機関(IAEA)、及び、
日本の放射線医学総合研究所により認められています。
◆政府やマスコミの非科学的対応
広島・長崎での核爆発の瞬間被爆線量が4000ミリシーベルト、チェルノブイリ原発事故が100~900ミリ
シーベルトであったのに比べ、福島第一原発事故の瞬間被爆線量は2~10ミリシーベルトと、驚くほどの
低線量であったというのが現実です。
ところが当時のメディアは福島第一原発の事故はチェルノブイリと同じかそれ以上と報道し、国民の不安を
煽りました。広島の原爆投下よりも放射能が強いとまで報道したのです。そして福島県ではいまだに
放射能被害を防ぐという名目で14万人以上の人々が不必要な苦しい避難生活を強いられています。
しかしこの強制避難に科学的根拠はありません。更に当時の民主党政府は福島の除染目標を自然放射線よりも
低い、年間1ミリシーベルト以下に設定しました。これにより、「1ミリシーベルトでも危険だ!」という
誤った情報が蔓延し、人々の恐怖心をさらに煽りました。平時でも、世界の平均は年間2.4ミリシーベルト、
日本でも平均1.5ミリシーベルトなのに、です。
◆広島の人々と復興
私が住んでいる広島市には、原爆を目の当たりにされた先輩方が今も多くご健在です。
被爆直後に亡くなった方は別ですが、現在80~90代の彼らは「黒い雨を浴び、放射能を浴びた野菜を食べ、
水を飲み、必死で生きぬいた」と話します。驚くべきことに広島市の女性の平均寿命は86.33歳で
政令指定都市中、第1位、死産率の低さも1位でした。(2005年調査)高濃度の放射線を浴びた方は多いはず
ですが、実は広島・長崎の生存者を見ても極端に寿命が縮まっているという現象は見られません。
広島は原爆投下から3日後には市内電車が動き始め、水道や電気・ガスもすぐに復旧し、翌年には人口が
倍以上の18万人にまで回復しました。4年後、国からの支援が始まると広島の復興は一気に進みました。
チェルノブイリ原発事故の被害を受けたウクライナ・スラブチッチ市も事故から2年足らずでニュータウンを
建設し、国内有数の魅力的な都市に生まれ変わっています。
◆福島は安全!放射能アレルギーの払拭を
現在の福島県は、原発事故から5年が経とうとしている今、最も危険視されている帰還困難区域であっても
放射線量は年間20~35ミリシーベルトです。健康被害は全く起きないレベルで今すぐにでも人が住める状況です。
本当はすぐにでも復興に入れるのです。それなのに、福島原発20キロ圏内はいまだに人口0人です。
安倍政権は、民主党政権時代の誤りを明らかにし、避難措置を早急に解除すべきです。そして、必要の無い
避難継続・除染に投じられる多額のお金を、建設的なインフラなど、福島の復興を後押しする方向で使うべきです。
また、日本は根深い放射能アレルギーを払拭し、正しい知識と冷静な判断のもと、経済問題、国防、宇宙や医療
などの未来産業に関わる重要な「原子力技術」を世界の最先端に向けて益々、推し進めなければなりません。
人類の未来を拓き、幸福を実現するために。日本の使命がここにあると思います。
![佐伯知子](http://hrp-newsfile.jp/img/author/saekitomoko.png)
執筆者:佐伯知子
広島県本部副代表