理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

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日本で初めて演奏された『交響曲第9番』

2014年11月03日 14時05分38秒 | リバティ 学園 幸福実現党 関連  

日本で初めて演奏された『交響曲第9番』

   

[HRPニュースファイル1172]より

http://hrp-newsfile.jp/2014/1802/


文/幸福実現党大分県本部副代表 木下 順子氏

 ◆映画「バルトの楽園」

アンジェリーナ・ジョリーが、日本軍に虐待された捕虜を描いた反日映画「アンブロークン」を制作しましたが、

みなさんは、映画「バルトの楽園」をご存知でしょうか?

この映画は、2006年公開の日本映画。徳島県鳴門市の板東俘虜収容所を舞台とした、

日本で初めて『交響曲第九番歓喜の歌』が演奏された真実の物語です。

1914年、第一次世界大戦で日本軍は3万人の大軍を送り込み、ドイツの極東根拠地、

中国・青島(チンタオ)を攻略しました。

この戦いに敗れたドイツ兵4700人は、捕虜として日本に送還され日本各地に設けられた

俘虜収容所に振り分けられました。捕虜達は、1919年(大正8年)ヴェルサイユ条約締結まで

長期に渉り収容されました。

1917年、全国12カ所にあった収容所が6カ所に統合されました。環境が劣悪な収容所で過酷な2年を

過ごした捕虜達は、「この先どんな地獄が待ち受けているのだろう」と不安を抱えながら渦潮の海を越え、

徳島県鳴門市にある板東俘虜収容所に移送されます。


◆捕虜たちに寛容な待遇をした松江豊寿大佐

しかし、この板東俘虜収容所の所長、松江豊寿大佐は、捕虜に対し人道的な扱いを心がけ、捕虜達全員に

次のようにと訓示しました。

「諸君は祖国を遠く離れた孤立無援の青島で、最後まで勇敢に戦った。しかし、利あらず日本軍に降伏した、

私は諸君の立場に同情を禁じえない。諸君は自らの名誉を汚すことなく、秩序ある行動をとってもらいたい。」

捕虜たちに寛容な待遇をし、地元民と捕虜との融和を図ろうとする松江所長の指導の下、硬く心を閉ざしていた

捕虜達は、少しずつ心を開くようになるのです。

ドイツパンを焼き、新聞を発行し楽器を演奏すること、そしてビールを飲むことさえ許された収容所生活で、

捕虜達は生きる喜びを見出していきました。まさに「楽園」だったのです。

松江大佐は、地元の青年たちが西洋音楽を習いたいという願いを聞き、エンゲル・オーケストラのリーダー、

パウル・エンゲル(音楽教室で日本人を指導してオーケストラを作ったのはエンゲルのみ)を紹介し

音楽教室を開くことになりました。

やがて解放され、自国に戻る事を許されたドイツ人達は、松江所長や地元民に対する感謝の思いを込めて、

日本で初めてとなる『交響曲第九番 歓喜の歌』を演奏することになりました。

ムスターラーゲル(模範収容所)が存在した奇跡の2年10カ月は、なぜ生まれたのでしょうか。

それは、松江豊寿大佐の生い立ちにある、松江豊寿は旧会津藩士、松江久平の子として1872(明治5)年に

現在の会津若松市で生まれました。


◆松江豊寿大佐を育んだ会津の教育

明治維新直後の戊辰戦争で敗者となり廃藩、その後、藩は復活しましたが、下北半島の未開の地といえるような

荒れた土地で、飢えと戦いながら生き延びました。

このような苦労が、敗者に対するいたわりの心が生まれる基盤となったと思われます。

また、会津藩は朱子学を藩学として学問を奨励し、6歳になると「什(じゅう)」と呼ばれるグループに入り

「什の掟」を訓示します。

日常の生活習慣などを始めとする教育から始まり、10歳になると「日新館」に入学し論語などの中国の古典を

教科書として学んだり、「日新館の心得」をしっかり学習することで藩士の子弟としての心構えや誇りを

身につけていました。

人間は教育によって徳ある人物へと育成することができ、さらに多くの人々を幸福にすることができる

ということを深く感じます。

 

◆四方の海みな兄弟なり

最後、松江大佐の「命令遵守に感謝する」という言葉に対し、日本を去ることになったドイツ人で日本語教師を

務めたクルート・マイスナーは、このようにと答えました。

「あなたが示された寛容と博愛と仁慈の精神を私たちは決して忘れません。そしてもし私たちより更に不幸な

人々に会えば、あなたに示された精神で挑むことでしょう。『四方の海みな兄弟なり』という言葉を、私たちは

あなたとともに思い出すでしょう」

「四方の海」は、明治天皇の御製(ぎょせい)です。
(※御製とは、天皇陛下の詩歌や絵画などの作品のことで、特に和歌を指して使われます)

四方の海 みな同朋(はらから)と 思ふ世に
など波風の 立ちさわぐらむ

「四方の海はみな同胞(兄弟)と思うこの世になぜ波風が立ち、騒ぎが起こるのであろう。」

欧米列強がアジアを侵略し、ロシアが日本を虎視眈々と狙っている頃

に明治天皇はこのようにお詠みになられたのです。


来年は戦後70年を迎えます。神国日本を守るために命をかけて戦われた先人たちの思いに報いるため、

そして未来の日本を受け継ぐまだ見ぬ青年たちのために、これからも日本の誇りを取り戻す活動に

力を尽くしていく所存です。


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