建国記念日に思う
2013-02-11
加納有輝彦 氏 ブログ転載
http://ameblo.jp/papadad/entry-11468051955.html
日本国。
私にとって日本は、「自明」の存在だ。
疑う余地のない自明の存在。
自明とは、太陽が毎日東から昇り、西に沈んでいく、、
この繰り返し、この営為に何ら疑問を抱かないということである。
おそらく大多数の人が、明日の朝、果たして太陽が
再び昇るだろうかと悩むことはあるまい。
太陽は自明な存在だ。陽はまた昇る。
心臓が果たして次の鼓動を刻むだろうかと疑問に
思う人はあるまい。
これらの「自明性」は、幸福の基なのかもしれない。
母は、無条件に子供を愛するという「自明性」が、
自然にその通りの社会なら、やはり子供は幸せであろう。
私が育った、昭和三十年、四十年代の田舎は、
すべてが「自明」だったのである。
母は、子供を愛する。
学校の先生は、尊敬されるべき存在。
夕日は美しく、朝日は眩しい。
夏は水浴び、冬はそり遊び。
すべては自明であった。
いま、わたしが子供のころ享受していた「自明性」が
崩れようとしている。
日本は、明日も明後日も、ずっとずっと独立国日本であるという
無条件の信頼、自明性は、いまは心もとない。
日本の独立、自由を守るために、何ができるのか。
子供たちに自由な社会、日本をどう引き継ぐのか。
建国記念日に考えたい。
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