中曽根康弘元首相の名言5選「老兵は死なず消え去りもしない」
12/29(日) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191229-00031543-forbes-pol
2019年11月に101歳で亡くなった中曽根康弘元首相。国鉄民営化を成し遂げ、日米関係との改善に努めた中曽根元首相には、独特でユーモラスな発言が多い。
彼の功績と共に、印象的な名言を5つ紹介する。
中曽根康弘とは
中曽根は、1982年から第71~73代首相を務めた。安倍晋三、佐藤栄作、吉田茂、小泉純一郎に次いで戦後第5位の長期政権を担った。
首相就任当時、関係が悪化していた日韓関係、日米関係を改善。特にレーガン米大統領との信頼関係は強く、レーガンのことを「ロン」、中曽根のことを「ヤス」と呼び合い「ロンヤス関係」と呼ばれた。
「国力以上の対外活動をしてはならない」「外交はギャンブルであってはならない」「内政と外交を混交してはならない」「世界史の正統的潮流を外れてはならない」と中曽根が述べた外交四原則は、現在の外交にもおいても通ずる信念ではないだろうか。
「皆さん、この顔を見て私がウソをつく男だと思いますか」
86年7月、衆参W選挙の街頭演説にて大型間接税導入を否定した際の発言。
「国民が反対し、党員も反対するような大型間接税をやる考えはない」と述べ、自民党を圧勝に導いた。しかし翌年87年2月に大型間接税である売上税の導入を含んだ関連法案を提出、大きな反発を招き5月に廃案に追い込まれた。
「よく私は政界の風見鶏と言われる。風の方向が分からないで船を進めることはできない」
中曽根は柔軟性の高い外交を実施。戦後の総理大臣として初めて靖国神社に参拝したのち、A級戦犯の合祀問題が浮上すれば翌年すぐに参拝を取りやめるなど、国際情勢を鑑みて臨機応変に対応していた。
それが故に風見鶏と揶揄されてしまうこともあった。それを逆手に取り、78年4月に札幌市での講演で上記のように述べた。
「政治は、美しいとか、キラリと光るとか、形容詞でやるのでなく、動詞でやるものだ」
中曽根が、「新党さきがけ」の代表幹事だった頃の鳩山由紀夫に放った発言。
国鉄民営化、憲法改正、外交や安全保障などを断行した、中曽根の強い行動力を感じる。
「85歳になってまだやっているのかと言われる。マッカーサーは『老兵は死なず消え去るのみ』と言ったが『老兵は死なず消え去りもしない』だ」
03年5月、自民党派閥総会にて発言。中曽根は生涯現役を掲げていたが、自民党が73歳定年制を導入。
当時の小泉純一郎首相から議員引退を勧められ、「政治的テロだ」と反発したという。結局衆院選不出馬を表明し、「暮れてなほ 命の限り 蝉しぐれ」と詠んだ。
「政治家は常に歴史法廷に立つ被告人との思いで精励努力を重ねてきた」
晩年の18年5月に100歳の誕生日を迎え、発言したもの。
議員引退後も憲法改正に関して発言したり、公益財団法人「中曽根康弘平和研究所」にて会長を務めたりと積極的に活動していた中曽根。
「国家が体に宿っている」と引退後も日本の未来を考え続け、常に勉強を怠らない政治家だった。
Forbes JAPAN 編集部
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中曽根康弘の霊言
哲人政治家からのメッセージ
昭和の大宰相が語る、
戦後政治の総括と日本と世界のこれから。
生涯現役を貫き、101歳で大往生した中曽根元総理。
戦後日本の最盛期に宰相をつとめた
自らの政治人生をふり返り、令和日本への指針を示す。
【その死の翌日に収録】
◇国鉄民営化や原子力発電推進に込めた思い
◇1985年のプラザ合意をどう考えているか
◇靖国参拝の見送りや中国との外交について
◇安倍政権とポスト安倍をどう見ているか
◇トランプ大統領への見解 ◇憲法改正の必要性
◇習近平を国賓で招くことで皇室が抱えるリスク
◇香港・台湾問題、中国の覇権主義に対し日本が取るべき道とは
■■ 中曽根康弘の人物紹介 ■■
1918~2019年。政治家。東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、内務省や帝国海軍を経て、1947年、衆議院議員に初当選。自民党内では「三角大福中」の一角として影響力を増し、1982年、総理大臣に就任。3期5年にわたる長期政権では、レーガン米大統領との盟友関係を結ぶとともに、国鉄や電電公社、日本専売公社の民営化を実現。空前の好景気を築いた。戦後、議員として50年以上在籍した4人中の1人。数万冊の蔵書を持つ哲人政治家としても有名。
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