韓国政府、米軍慰安婦で"ブーメラン対応" 国策で慰安婦を奨励した事実を認めるべき
2014.12.24 Liverty Webより
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8976
米兵を相手に慰安婦をしていたとする韓国人女性122人が、韓国政府を提訴していた問題で、
初公判が19日、ソウル地裁で行われた。政府側の弁護人は、「違法行為を立証できていない」と述べ、
原告の訴えに真っ向から反論した。
事の発端は、1950年代から70年代にかけて、米軍基地周辺に位置する「基地村」で、米軍の慰安婦として
従事した女性が、今年6月に韓国政府を相手取り、ひとり当たり1万ドルの損害賠償を求めたことによる。
政府を訴えた理由は、当時の朴正煕大統領が、売春行為を「外貨を稼ぐ愛国者」として奨励した上に、
性病を予防するために、診療所を整備するなど、「積極的な関与」があったためだ。
一方の政府側の弁護人は、原告の主張を否定。「国家賠償の成立には、122人それぞれが、個別公務員担当者
の具体的な行為などを立証する必要がある」とし、警察の黙認や保健所職員の強制検査と監禁などは、違法行為
に当たることを証明すべきだとした。
韓国政府は米軍慰安婦を奨励
しかし、この対応は明らかに、従軍慰安婦問題で対日批判を続ける姿勢とは、矛盾していると言わざるを得ない。
さすがに韓国側も、それには気づいているようで、同国の「ハンギョレ」紙は、「米軍慰安婦、私たちは日本右翼の
妄言に堂々と答えられるか」(8月21日付電子版)という見出しで、ユ・スンフィ議員のインタビュー記事を掲載。
ユ氏と言えば、昨年の国政調査で、朴元大統領が「基地村」に関与していた事実を突き止め、国会で初めて
米軍慰安婦問題を取り上げた人物だ。
同記事の中で、ユ氏は、「かなり多くの女性が、人身売買や就業詐欺被害に遭って基地村に入って行った。
(中略)そこから脱出しようとする女性を救うべき警察は、抱え主と癒着して責任を放棄した」と語っている。
また、米軍慰安婦が、1990年代より「基地村女性」と呼ばれたのは、日本の慰安婦問題と区別するためで
あったと指摘。「国会に『日本軍慰安婦及び戦時下での女性性売買関連小委員会』があり、私が米軍慰安
婦問題にまで拡大して扱ってはどうかと提案している」という。
本誌・本欄で繰り返し述べているが、日本の従軍慰安婦問題には、一切の一次資料による証拠はなく、
韓国側の「ウソ」が判明している。当時の日本は、女性を誘拐していた違法業者を取り締っていた事実
もある。その点、国策として慰安婦を奨励していた米軍慰安婦問題とは、性格が大きく異なる。
だが、韓国政府は現在、被害者に損害賠償や謝罪をする意思はないようだ。
韓国政府は、歴史を直視し、米軍慰安婦の解決に努力すべきだ。もちろん、ウソの歴史観に
依拠する反日外交もやめるべきである。(山本慧)
【関連記事】
2014年12月23日付本欄 朝日慰安婦報道の報告書が公表 最大の論点は軍による強制連行の有無
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8972
2014年10月号記事 従軍慰安婦報道 朝日新聞は誤報の責任を取り国民に謝罪を - The Liberty Opinion 2
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8314
2014年2月26日付本欄 「慰安婦を管理していた」韓国公文書が話題に 韓国は自国民にこそ謝罪せよ
http://the-liberty.com/article.php?item_id=7455
参考 朝鮮産・洋公主のヤミ歴史…朴正煕が設計した国家売春
http://dogma.at.webry.info/201309/article_1.html
在米朝鮮人も熟知する「洋公主」とは何か…それは南鮮に溢れた米兵向け売春婦だった。
捏造慰安婦の謎を解くキーワードの急浮上。しかもパク・クネの実父が制度設計に深く関わっていた。
中略
参照:新華経済9月2日『従軍慰安婦は“洋公主”、日本のネットユーザー発言に在米韓国人が激怒―韓国メディ』
「洋公主=ヤンゴンジュ 양공주」とは、日本人有志が指摘した通り、米兵向けの売春婦で、
他に「洋セクシ 양색시」「洋ガルボ 양갈보」とも呼ばれた。
これが差別的な表現と指摘される一方、昔の南鮮紙には「洋公主」の漢字が踊る。
高齢の南鮮人には聞き慣れた言葉でもあったのだろう。これこそ捏造従軍慰安婦の謎を解くキーワードのひとつだ。
▼南鮮紙の「洋公主」記事(年代不詳)
大東亜戦争の終結後、米軍は南鮮を支配下に置いた。駐屯する基地は、
我が軍の司令部があった龍山(ヨンサン)や、滑走路が整った平沢(ピョンテク)など
日本軍から奪い取ったものだった。
そして、米軍が駐屯する基地周辺に出現したのが洋公主だった。ドル目当てに集まった
街娼がワラワラ登場したのではなく、日本時代にあった遊郭がベースになっていた模様だ。
慰安婦がそのまま洋公主(ヤンゴンジュ)に変わったのである。客が入れ替わっただけとも言える。
そして洋公主は、朝鮮戦争を経て60~70年代にかけて更に数を増やしていった。
▼東豆川の米兵向け歓楽街
ソウルの北方でDMZにも近い東豆川(トンドゥチョン)基地。最近の画像でも淫靡な
ネオン街が確認できるが、60年代の調査では、この東豆川周辺だけで1万人に達する
洋公主が居たという。
研究者によると南鮮政府は当時、洋公主の総数を1万6000人と推計していたが、
これは未成年の女性を含まない数で、実態を反映していない。
南鮮国内では累計で30万人という見方もある。
年配の南鮮人なら誰でも洋公主という言葉を聞いたことがあるに違いない。そして、
捏造された慰安婦と違って「洋公主の活躍」を撮影したフィルムもしっかり残っている。
北朝鮮サッカーチームの映画で金正日に気に入られた英国のダニエル・ゴードン監督が
制作した北3部作の完結作品。それが本邦未公開の「クロッシング・ザ・ライン」だった。
ベトナム戦争中、ソ連亡命を企てて38度線を越えた米兵ジェームズ・ドレスノクの
波乱人生を描いたドキュメンタリー映画だ。そこに実物の洋公主が登場していた…
▼米施設ゲート前に立つ女(BBC)
米軍施設のゲート前に立つ女性。これが歴史真実の洋公主の姿である。
ゲートには不鮮明だが「レクリエーション・センター」と記されている。慰安所と変わらない米軍娯楽施設だ。
ゲートを潜ると、そこは怪しい店が立ち並び、米兵が正に闊歩する別世界。
行き交う米兵に媚を売る洋公主たちの姿もバッチリ撮影されている。
BBC所蔵のニュース映像が映画で使われたのである。
▼米兵を誘う洋公主3人組(BBC)
戦後の我が国に開設されたRAAと似ているが、南鮮の基地周辺にあるのは、
大歓楽街だ。更に、RAAが批判を受けて半年で閉鎖された経緯とは異なり、
南鮮の米軍歓楽街は歴史を重ねて今に至っている。
南鮮の米軍慰安婦に関しては橋下騒動の最中の5月に『米韓が作った兵士慰安街』と
題して触れた。NYタイムズ紙の告発報道を手掛かりにした記事だが、
そこで過去を語る南鮮女こそ典型的な洋公主だった。
▼洋公主時代を語る南鮮女09年1月(NYT紙)
蔑称である「洋公主」というワードがメディアに登場するのは稀で、大方は「慰安婦」に
置き替えられてた。ややこしい。ちなみに「洋公主」の朝鮮語版Wikipediaで引用される資料も表現は「慰安婦」だ。
▼UN軍の慰安婦募集記事(東亜日報)
UN軍を相手にする慰安婦の登録実施を伝える記事で、出典もハッキリ判った。
1961年9月14日付の東亜日報である。訪南経験の多い加瀬英明氏によると、こうした
記事や広告は珍しくないという。
「日韓国交樹立の前年に、韓国をジャーナリストとして訪れてから、足繁く通ったが、
『東亜日報』をはじめとする韓国の主要新聞に、米軍のための「慰安婦」を募集する広告を良く目にした」
概ね洋公主=慰安婦なのだが、旧時代の慰安婦と南鮮の洋公主には大きな違いがあった。
南鮮政府が、洋公主の管理に深く関与していたのである。
▼南鮮で買春する米兵(BBC)
しかも、米軍向け売春システムを整備した人物が朴正煕だった。
【朴正煕が作った赤線地帯】
1950年に朝鮮戦争が始まると、駐留米軍の急増にあわせて洋公主も膨れ上がった。
記録によれば、激戦中の51年に釜山だけで慰安所の新設は74件にのぼっている。
洋公主の“活躍”は、朝鮮戦争が休戦しても終わらなかった。駐留兵士向け性産業
が拡大する中、米軍は性病の蔓延に悩み始める。1957年にはOEC(米経済調整官室)も参加し、
政府間協議が行なわれた。
▼売春施設に群がる米兵(BBC)
米側の申し出によって南鮮政府は、社会保健部直轄の性病診察所を基地周辺
に47ヵ所設置。洋公主を一定のエリアに隔離するなど国家による統制・管理を進めた。
米軍基地周辺の性病診察所付き隔離エリアは「基地村」と呼ばれ、東豆川やソウルに近
い議政府(ウィジョンブ)は、急速に繁栄した。議政府は2002年に米兵の装甲車ひき
逃げ惨事が起きた場所だ。
そして1961年、軍事クーデターで李承晩を追放した朴正煕は「基地村」の本格的な整備
に乗り出した。朴正煕が制定した観光事業振興法は、ドルを稼ぐ洋公主を公式に認めるものだった。
▼基地村の洋公主1959年頃(ハンギョレ)
この観光振興法は、売春を禁じた「淪落行為防止法」に抜け道をつくり、いわゆる「赤線地帯」に
法的根拠を与えたのである。朴正煕は梨泰院(イテウォン)など全国36ヵ所の基地村を赤線地帯に指定した。
朴正煕は、セマウル(新しい村)運動の提唱で知られるが、それ以前に売春村を開発していたのだ。
64年には米軍向け施設の売り上げは、900万ドルを超え、国家の外貨収入の10%に及んだという。
▼クーデター直後の朴正煕ら
また70年代になると京畿地方だけで年間800万ドルの外貨が洋公主の収入になったという
京畿道観光運輸課の公式調査も存在する。基地村は、南鮮経済を支える巨大売春産業であったのだ。
朴正煕は70年代に基地村浄化運動に取り組んだとされる。しかし、それは性病検査を徹底し、
行政組織が洋公主の英会話教室を開くなど、性産業の発展に寄与するものだった。
▼南鮮国家売春の父・朴正煕
朝鮮の伝統産業をシステム化した中興の祖が朴正煕である。この偉大な父親の“功績”を無視し、
捏造慰安婦問題で我が国に因縁を付ける資格など、パククネにはないのだ。
【敵女性兵を生け捕りで娼婦に…】
吉見義明ら捏造派は、慰安婦の軍関与も、強制的な連行も立証できなかった。
そこで今時は、慰安婦が「施設に監禁され、奴隷状態にあった」と非難する。すなわち、性奴隷だ。
それが実際どのような状態なのか…解き明かしてくれるのも洋公主だ。洋公主は、性病を発症すると
「モンキーハウス」と呼ばれる窓に鉄格子が付いた監禁施設に押し込まれる。
▼貴重な基地村報道77年6月(毎日経済)
これは、NYT紙で告発した南鮮女も明かしている事実だ。そして、基地村問題の研究者によると
罹病した洋公主は抗生物質が過剰投与され、突然死するケースが多かったという。
一方、リクルートに関しては捏造慰安婦も裸足で逃げ出すレベルだ。
初期の段階では、北朝鮮シンパと見なした女性を連行したり、北の女性ゲリラを拉致して
売り飛ばすこともあったと伝えられる。
▼UN軍に拘束された北看護婦(file)
敵軍兵を捕らえて娼婦に仕立てるのだ。ジュネーブ条約を持ち出して議論している場合ではない。
南鮮で流布される捏造慰安婦の“悲劇”よりも醜悪。完全にアウトだ。
洋公主の物語は、慰安婦捏造ストーリーの元ネタであることは確実だが、歴史の表舞台に
突然登場した時期も極めて近い。80年代、南鮮で反米・反軍政ムードが高まる中、基地村の問題が浮上した。
中略
自称慰安婦が適当なウソを並べるのと違い、まだ証言も少なく資料は封印…
学術的な研究も滞りがちだ。しかし、証拠写真どころか活動中の映像まで残っている。
反日陣営を攻撃する恰好の歴史事実だ。
しかも洋公主の相手は朝鮮戦争・ベトナム戦争世代に遡る米兵だ。
グレンデールなどでやりたい放題の在米朝鮮人に鉄槌を下し、米国務省を怯ませることも出来る。
▼米兵と戯れる洋公主(BBC)
慰安婦捏造派の妄言に反論することも重要だが、洋公主や韓国軍慰安婦をキーワードに
真正面から反撃する姿勢も欠かせない。
知られざる洋公主の実像は、捏造慰安婦の壮大なウソを暴く可能性を秘めている。
以下続き http://dogma.at.webry.info/201309/article_1.html
朴正煕の直筆サインが入った「基地村浄化対策」の文書。
▼慰安婦整備文書の表紙(ハンギョレ)
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/007/421/23/N000/000/014/138435274011910822227.jpg
パク・クネの父親が承認した公的文書には、南鮮各地62ヵ所の基地村に、9,935人の女性が
就業していたと記述されていた。この女性たちは駐留米軍向けの娼婦で、南鮮政府は慰安婦と呼び現していた。
「基地村の女性に対して“慰安婦”という用語を使用し、強制収容して治療を行っていたことが明らかとなった」
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