SNSより
1703年12月南房総沖で津波を伴う大地震が発生しました。沿岸部は津波に伴う甚大な被害を受けています。
この年の3月には現代にも伝わる江戸時代の一大事件が発生。江戸庶民の間では元禄の大地震は、その事件が発生したことで起きたと噂されました。
大石内蔵介を筆頭にした赤穂浪士の討ち入事件です。
後世まで美談として伝わる忠臣蔵は、天上界の神々からはどのように見えたのでしょうか?
忠臣蔵から約10ヶ月後に起きた元禄の大地震は深夜2時に起き、その津波がもたらした被害は甚大でした。
今朝起きて、ふと江戸時代の元禄大地震が思い浮かびフェイスブックに投稿しました。
過去世の大石内蔵介が元禄大地震を誘発したなら、現代も同じような事をされたら、甚大な迷惑です。
現代の○○○○○は、新たな討ち入りを考えているとか…
江戸時代、元禄庶民は大石内蔵介の討ち入りを美談としてもてはやしました。
今の世論が○○○○○の行動を支持していると見られるなら、天上界も強く憤るでしょう。
台風の東京直撃ですむなら良いのですが。それ以上の甚大な災害が起きないように、切に祈ります。
関連情報 http://kojishin.iinaa.net/17031231.html
元禄地震
1703年12月31日2時ごろ
相模トラフ最大の巨大地震
相模・武蔵・上総・安房で震度大。特に小田原で被害大きく、城下は全滅,12ヶ所から出火、壊家 8千以上、死 2300以上。東海道は川崎から小田原までほとんど全滅し、江戸・鎌倉などでも被害が大きかった。津波が犬吠崎から下田の沿岸を襲い、死数千。1923年関東地震に似た相模トラフ沿いの巨大地震と思われるが、地殻変動はより大きかった。[1]
相模・房総で震害が大きく、房総半島・伊豆半島では津波の被害が大きかった。小田原城中・城下はほとんど全滅、潰家900余。死者約840、震後12か所から出火、約500軒焼失した。領内で潰家約8000、死者約2300。
箱根では山崩れや崖崩れが多く、道を塞いだ。箱根町で潰家95、番所も破損。三島側は被害は軽かった。小田原から川崎までの宿々はほとんど潰れた。厚木で家おおかた潰れ、死者59。大山では一山坊まで山崩れ、死者100。鎌倉で寺・社・民家の潰・破損が多かった。
死者4000。甲斐国で死者83、甲府は城内および町在で潰家134、郡内で潰家211、信州小県郡で潰家12、伊那・松代で潰家があった。袋山村〈越谷市〉で堤が破損した。西の方は金屋〈金谷〉の関までは被害があったが、それより西では被害はなかったらしい。金沢・富山(強かった)・京都で有感。日光では石燈篭が少し倒れただけ。
津波が小名浜から下田に至る沿岸を襲った。推定波高は外房では九十九里浜で5~6,(海岸から2~3km浸水)、外房南部では10mに達したところもあり、安房小湊村・市川村で570軒流失、誕生寺門前で死者100、御宿で潰家440、死者20余、千倉では8町~1里干潟となった。内房南部で5~6m。
東京湾内の品川・霊岸島・江戸橋等にも津波が来た。鎌倉では二の鳥居まで津波が来た、波高8m。松輪〈三浦市〉で溺死25。伊豆では久須美〈伊東〉(推定波高8~12m)で死者163、このあたりで波が10丁ほど陸に上がった。宇佐美(10m)で死360~380、川奈(8m)で家流失200余、下田では家流失皆潰332、半潰160、死者27、破船81。伊豆大島岡田で家58、船18流没、死者56。波浮池は海とつながった。八丈島も津波に襲われ死者 1。
紀伊半島三輪崎で波高5m。[三河渥美半島・釜石にも津波が来た。]三浦半島先端部、房総半島南部では隆起が著しかった。房総南部の千倉・和田で4m前後、海水はこの隆起した海岸に5~7m浸水。安房峯岡山で尾根続きに幅2~3尺の割れ目ができた。
従来全潰2万余、死5200余という数が引用されてきたが、それより多そうだ。江戸で地震後連夜、辰巳〈南東〉の方角に雷のような光が見えた。戸塚でも東の方にたびたび雷のような光が見えた。
1923年の関東地震と似ているが、房総半島南部の津波・隆起量は元禄地震の方が大きかった。相模トラフの巨大地震とみられる。[2]
関東地方の南部を中心に強い地震動が広範囲に生じ、被害状況から、関東地方の南部の広い範囲で震度6相当、相模湾沿岸地域や房総半島南端では震度7相当の揺れであったと推定されている。特に当時の小田原領内で被害が大きく、川崎から小田原までの宿場はほぼ全滅し、領内の死者は約2300名となった。
また、房総半島や相模湾の沿岸部を中心に津波が襲い、特に房総半島では6500名以上の死者が生じたと推定されている。全体として、地震動や津波などにより、死者1万人以上などの被害を生じた。この地震に伴って、房総半島から相模湾沿岸にかけての地域で、海岸が最大約6m隆起したと考えられている(地震調査委員会, 2009b)。
1703年元禄関東地震と1923年大正関東地震では、被害の範囲や地殻変動の様子がよく似ていることから、これらの地震が発生した場所は同じかごく近いと考えられている。ただし、房総半島の被害や地殻変動の大きさが1703年元禄関東地震の方が大きいことや、1703年元禄関東地震では津波が外房方面にもあったことから、元禄関東地震は大正関東地震より、房総半島側に震源域が広がっていたと考えられる(地震調査委員会, 2009b)。測地データや津波高から断層面上のすべり分布も推定されている(宍倉,2012; 内閣府,2013)。[3]
震度7
千葉県 館山市 南房総市 鴨川市
神奈川県 横浜市戸塚区 平塚市 小田原市
静岡県 熱海市
震度6強
千葉県 鋸南町 御宿町
東京都 町田市
神奈川県 横浜市中区 磯子区 鎌倉市 藤沢市 厚木市 大磯町 山北町
震度6弱
千葉県 いすみ市 大多喜町 勝浦市 富津市 市川市
東京都 八王子市
神奈川県 川崎市川崎区 幸区 横浜市神奈川区 金沢区 茅ヶ崎市 伊勢原市 二宮町 山北町 南足柄市 箱根町
震度5強
埼玉県 さいたま浦和区 越谷市
東京都 千代田区 品川区 世田谷区 葛飾区 江戸川区
静岡県 御殿場市 三島市
震度5弱
茨城県 水戸市
栃木県 那須町
埼玉県 蕨市 八潮市
千葉県 野田市 佐倉市 銚子市
山梨県 南アルプス市
長野県 駒ヶ根市
静岡県 沼津市
震度4
岩手県 大槌町
福島県 郡山市 いわき市
栃木県 日光市
埼玉県 長瀞町
千葉県 船橋市 市原市 香取市 旭市 九十九里町
東京都 稲城市 大島町
山梨県 身延町
長野県 長野市 木曽町
静岡県 伊東市 下田市 南伊豆町 西伊豆町 富士宮市 静岡市葵区 清水区 浜松市中区 天竜区
岐阜県 郡上市 高山市
愛知県 名古屋市 常滑市
富山県 富山市
石川県 金沢市
詳細震度分布
http://nakamoto.hateblo.jp/entry/2014/12/14/000000
「選挙だけじゃない『12.14』 忠臣蔵の予算8300万円」(日経新聞)
→ http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK11H5G_R11C14A2000000/
■大石内蔵助の世論工作
新たな視点による分析も出てきている。「赤穂浪士と吉良邸討入り」(吉川弘文館)の著者である谷口真子・早大文学学術院准教授が指摘するのが「世論工作」だ。「内蔵助は討ち入り前の段階から世間の評判を気にしていた」(谷口さん)。討ち入りが成功するかどうか分からない。実際当日の吉良屋敷には100人以上の家来が居た。さらに成功しても、深夜に徒党を組んで屋敷へ押し入り、独りの老人を殺害した凶悪事件とみられる恐れもないわけではなかった。
自分らの真意を世間に説明するために内蔵助が選んだのが元藩医の寺井玄渓だった。玄渓は内蔵助に信頼され討ち入り計画も知らされていた。内蔵助は討ち入りに参加したいと申し出た玄渓の頼みを断る代わりに、討ち入りで生じる世間の毀誉褒貶(ほうへん)に対して、事情をよく知っている玄渓に対応してほしいと手紙で依頼している。「討ち入りに失敗したときに汚名を晴らしてほしいという気持ちもあったかもしれない(谷口さん)。実際、玄渓は水戸藩が「烈士報讐(しゅう)録」を編さんしたとき編者の質問に応じ四十七士の顕彰にひとやく買っている。内蔵助は後世への事件の伝わり方、自分たちの行動の評価まで念頭に置いて行動していたことになる。「内蔵助の用意周到さが結果的に『忠臣蔵』文化を生み出すひとつの源になった」(谷口さん)
内蔵助は討ち入り成功後も信頼していた細井広沢に「世間がいろいろ噂するだろうから経緯を知っているあなたに対応してもらいたい」との手紙を送っている。幕府の処断は当初内蔵助らが覚悟していた厳罰の斬罪ではなく切腹となった。
ドラマなどでは討ち入りの真意を隠すために内蔵助が京の遊郭で派手な遊びにふけるシーンが挿入される。これも「史実とは断定しきれない」と山本教授。当時の史料「江赤見聞記」では「遊山見物」と書かれている。内蔵助が妻・りくに当てた手紙では子息・主税とともに八坂神社の祇園踊りを見物に行ったことが記されている。誇張されて伝わったのかもしれない。
事件の発端となった江戸城「松の廊下」の刃傷事件も「典型的なパワーハラスメント行為」とみる考えも出てきている。事件後、幕閣の取り調べに浅野内匠頭は「ここしばらくの間、遺恨があった」と答え、吉良上野介は「身に覚えがない、相手は乱心したのではないか」としている。両者はどこまでも話がかみ合わない。上野介は殿中の儀礼指南役で家格も高い。大名相手に指示・指導することになれていた。この程度なら大丈夫、といった上野介の言葉に内匠頭が傷ついた可能性は高い。現代社会ならば企業・組織にパワハラ相談室があるが、江戸城にはなかった。内匠頭が自分で決着をつけるほかなかった。
■「元禄時代」見直しの必要も
赤穂事件が起きた「元禄時代」のイメージ見直しを説くのが野口武彦・神戸大名誉教授だ。「昭和元禄」という流行語があったように、商品経済が活発化した華やかな時代という印象の一方、寒冷・多雨・火事・地震などが相次いだ時代でもあった。元禄14年と15年は全国的な不作・飢饉(ききん)だったという。四十七士が切腹した16年には江戸などを中心に大規模な「元禄地震」が、さらに4年後には富士山が大噴火した「宝永地震」が起きた。野口名誉教授は「忠臣蔵まで」(講談社)の中で「たんなる異常気象や頻発地震ならばいつの時代にもある。しかしそれらの自然現象が特別な啓示性を帯びて人間の心へ食い込んでくる時期はそう多くない」と述べている。地震・噴火の前夜にあたる赤穂事件と「世の中がなんとなくピリピリしていた抑鬱状態」との関連の可能性を指摘している。
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新たな御法話の開示「国際政治学の現在」日本が直面する危機への警鐘 このままだと日本の文明が崩壊する危険性がある? 危機に立つ日本さんより http://blog.goo.ne.jp/eternal-h/e/23c48b03b61832b845942d8338fc1f09
大川隆法総裁先生と大川裕太常務理事でしか、語れない内容ですね。
日本が直面する危機への警鐘
・終戦記念日の翌日に、大川隆法総裁先生と大川裕太常務理事より対談を賜りました。
・イスラム問題、中国の覇権主義、アメリカの正義、安倍政権などの最近のトピックや、日本の差し迫った危機への警鐘など、多岐にわたって新しい国際政治の視点からお話を頂きます。今、日本人にとって必要な論点がたくさん頂ける対談です。
・信者をはじめ、幸福実現党支持者及び親和性のある方、政治関係者、マスコミ関係者、政治学に興味のある方などにお勧めです。
◇今、従うべき秩序と理念――神の正義とは
【Point】
◆国際政治学の二大潮流である「リベラリズム」と「リアリズム」を斬る!
・価値判断のできない国際政治学の限界。
・戦争には、良い戦争と悪い戦争がある?
◆「文明の挑戦と応戦」――このままだと日本の文明が崩壊する危険性がある?
◆安倍政権を国際政治学で分析すると?
◆軍事なくして国際政治は語れない。
・国際政治学が答えを出すべき二大論点。
・イスラム問題と中国の帝国主義の本質とは。
◆私たちに問われる、今後の課題「どのような未来をつくりたいのか」。
☆-☆-☆-☆-☆
【拝聴者の声】
・幸福の科学の教えこそ、今起きている世界の様々な問題に答えられると実感しました。(40代男性)
・最先端を行く国際政治学者にも分からない、世界の先が見えるような内容でした。(40代男性)
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日本人は再考察しなければなるまい
今回とうとう主より最後通告が出て臨んだ参院選でも、この国の国論を変える事が出来ず、議席獲得もできなかった。
さらにあろう事か、時の政権が弾圧を加えて来てもいる。
「日本はもうダメ」なのかもしれません。しかし、主を信仰する者として、どこまでも、主にへばり付いて、しがみついて、ついていきたいです。