2015.8.3 http://www.sankei.com/politics/news/150803/plt1508030017-n1.html より
【阿比留瑠比の視線】 自民党は率先して河野洋平氏の国会招致を実現せよ
自民党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」(中曽根弘文委員長)が7月28日、河野洋平元衆院議長が宮沢喜一内閣の官房長官当時に慰安婦問題に関して行った発言を、「重大な問題」だと指摘する提言を安倍晋三首相に提出した。提言は、河野氏が平成5年8月、軍や官憲による慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」を発表した際の記者会見での次のやりとりを特に問題視している。
記者「強制連行があったという認識なのか」
河野氏「そういう事実があったと。けっこうです」
この自民党の指摘は重い意味を持つ。なぜなら、河野談話発表時の河野氏は、官房長官であると同時に現職の自民党総裁でもあったからだ。自民党は、自党の過去のトップによる「大失敗」(政府高官)が現在に至るまで大きな禍根を残していることを、公的に認めて表明したことになる。 そうであるならば、けじめを付けるために、自民党が率先して河野氏を国会に呼んで事実関係を証言させるべきだろう。何かの意図があって強制連行を認めたのか、あるいは単に口がすべったのか-。安倍首相も提言を受け取り、中曽根氏らにこう述べている。
「提言をしっかり受け止める。誤った点は直さなければならない」
もちろん、参考人招致を受けるかどうかは河野氏の自由だが、まさか逃げることはあるまい。河野氏は7月22、23両日付の朝日新聞朝刊ではロングインタビューに答えて健在ぶりを誇示しており、国会に出てこられない理由はないはずである。
河野氏は、23日付朝日では、現在の自民党における安全保障論議のあり方や、安保関連法案を批判していた。
「私の現役時代、怖い先輩が多くいました。大平正芳、宮沢喜一、伊東正義、後藤田正晴--。彼らは、戦争でギリギリの場面を見たり体験したりした世代です。彼らには譲れぬ一線がありました。(中略)当時と比べると、現在の議論はいかにも軽く感じます」
現在78歳の河野氏は、終戦時にはまだ8歳だった。そこで、さらに年配のハト派政治家らの名前を持ちだして自己正当化を図ったのかもしれない。自民党の中堅・若手議員の現実的な安保論議について、「戦争を知る世代として言うが」という反論しにくい一言で封じ込めてきた現在89歳の野中広務元官房長官の手法と、どこか似ている。そんなことを考えていたらその数日後、安保関連法案に賛成する95歳の女性読者からはがきが届いた。そこにはこうしたためられていた。 「私は戦前、戦中、戦後とずっと身にしみて国家のあり方を経験してまいりました。『国の守り』は必要です。『戦争』と『防備』(の違い)をはっきり認識してほしい。戦争を知らない頭でっかちの偉いさんには困ったものですね。まったく」
必ずしも河野氏らを指して書いたものではないのだろうが、河野氏に読ませたいものだと思った。(論説委員兼政治部編集委員・阿比留瑠比)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E6%B4%8B%E5%B9%B3
若干、気になるところ、
新自由クラブ=挫折解散
外国人教員任用法の成立に尽力(秘書)
戦没者追悼式における発言
安倍総理大臣が靖国神社に参拝したことについて「まったく評価しない。今やるべきでないことをやっている」と批判している
「自民党がこれ以上『右』に行かないようにしてほしい。今は保守政治と言うより右翼政治のような気がする」との懸念を示した
1994年6月 - 外務大臣・副総理(村山内閣)
1995年8月 - 外務大臣(村山内閣改造内閣)
2000年(平成12年)、外務大臣として北朝鮮への50万トンのコメ支援を決定した。
李登輝訪日への反対
2001年(平成13年)の台湾の李登輝訪日問題での対応。中華人民共和国からの強い抗議をうけて、自らの外務大臣辞任をほのめかしてまで入国ビザ発行に反対した。
妻・武子(1995年7月没。実業家伊藤恭一娘)
いとこ・田川誠一(新自由クラブ)元朝日新聞記者
中国大使を任命された元民間人実業家ともつながりがあるようだ。
立場を利用してバーターでかなり無理をとおしてきたのではないか。
中国から接近されるのも無理はない。
グレーである。