「悪魔の正体と見破り方」ポイント
(以前より、詳細)
ご法話
救世運動を強く押し出すと、必ず悪魔の妨害が出る。だから悪魔対策を
考えておくことが必要。
仏伝では、釈尊の降魔成道後もずっと悪魔が出てくる。これが仏教学者には
よく分からないのだが、私にはよく分かる。教団の伝道活動の折々に、
難所、急所に当たるところがあり、悪魔は"このタイミングで
攻撃をかけると崩せるかもしれない"、という時に狙ってくる。しかし
それはある意味で"鯉の滝登り"。滝を登るのは大変だが、その難所を乗り
越えると見晴らしがきく場所に出られる。考え方、組織、行動の仕方など、
何かを変える必要があるときに悪魔はよく出てきて、組織に揺さぶりがかかる。
悪魔が、人の持っているどんな嫌な性質を体現しているかというと、まずは
欲望。企業を大きくしたいというのも、本当に世の中のためにというのもあれば、
権力として地位欲名誉欲など自我我欲を肥大させる形の拡大もある。
これは自分では分からなくても、他の人から見ると感じる場合がある。悪魔も
狡猪さを含めた頭の良さがある。頭の良い人は出世したり権力を持ちやすく、
(悪魔にすれば)その人に入ると大きな力が持てるので、邪な心があると入られる。
悪魔のもう一つの嫌なところは、その人の一番大事なものを担保にとってきて、
信仰心に揺さぶりをかけてくるところ。活躍するポテンシャル(潜在的な力)の
強い人のところによく惑わしで入る。近場にいる人、その人に直接影響を与え
られる人に入って揺さぶりをかける。
自殺者には、悪魔に魅入られた人は相当いる。小悪魔から大悪魔までレベルは
いろいろだが、向こうの霊力のほうが強いと、たいてい「殺してやる」「死ね」
という声が聞こえてくることがあまりにも多い。
凶悪犯罪の場合は、かなり凶悪なものに取り憑かれているケースが多い。
心の中に何らかの引き寄せるものがあることは事実だが、それだけでなく、
何らかの間接的な目的があることが多い。
そういう人が出ることで、周りの人たちが正当な活動ができなくなることを狙う
場合がある。これが怖いところ。
脳学者で、すべてを脳の機能に戻してしまう人や、脳学者でありながら伝統
宗教の僧侶の資格をとり、「霊はない。あの世はない。そういうことを言う人は
インチキだ、詐欺だ」と言って回っている人もいる。このタイプは悪魔が入り放題。
宗教を破壊するために活動する走狗になっている。唯物論でも、医者や工学
部系で役に立つところも随分あるので全否定するつもりはないが、自分の分からない
領域について、それを全部否定するような考え方は傲慢。悪魔のもう一つの入り口は、
傲慢さ、うぬぼれ、謙虚さのなさ。一番難しいのは、うぬぼれの強いタイプから悪魔
を剥がすこと。反省の習慣を持っている謙虚な人なら悪魔は取れる。反省が出来ない
タイプは自我が強い。強欲な人にも悪魔が入りやすい。
怠け者にも入りやすい。世間から批判を受けて、言い訳や愚痴、自己保存の心が強く
なる傾向性がある。
エル・カンターレ信仰がきちっと立ち、儀式に則って悪魔祓い、悪霊払い、病気治し
等をやれば、相当な効き目がある。イエスも病人を治す時に、「汝、我を信じるや」と、
(相手が)信仰心を持っているかどうかをいつも確認している。「信じるものは救われる」
それが条件。
信じると、信じるものと一体になる。この世の常識や理性の中には、悪魔に繋がるものも
数多くあり、それに基づいて判断すると迷わしが入る。
信仰心が立っていれば、『正心法語』、『エル・カンターレへの祈り』で悪魔祓いも十分可能。
教学をやって、悟りのレベルが上がれば上がるほど、効き目は大きくなる。
悪魔祓いの最後は、この世的な執着との戦い。正しい信仰心だけを持ってあの世に還る覚悟
を固めれば、いかなるものも支配できない。植福も、この世の価値観を持っていては出来ない。
一種の「捨てる」行為の中に、尊い修行が潜んでいる。
信仰心を立てて伝道することが救世の行。その途中で、悪魔が現れてくることがあると思
うが、信仰心さえ,持っていれば、未来は開けていく。
教団として、全体の力を増してゆくことも大事。信仰団体として強くなっていくことで、
全体の力が働き始め、個人に対しての救いの力としても働く。魔との戦いを通して、
自分自身も高めていってほしい。
・信仰心に基づいて調和の心を作り、淡々とやるべき聖務をしていけば、いつの間にか
追い風が吹く。
・悪魔は、この世に執着させて人々を閉じこめ、自分の活動領域を増やそうとしているだけ。
その活動の本質は破壊。人々や社会を破壊することに喜びを感じている、人間として最低の
心境。
・うちの修行をちゃんとしている人なら、コーヒー一杯飲んでいるだけで見破れる。
(悪魔が)来ていると見たら、信仰心で戦うこと。自分一人で戦わず、教団の中心部から霊流を
引いて、「主よ、我と共に戦いたまえ」と心の中で念じながら、法語を語り相手を導くこと。
時間をかけるしかない場合もあるが、その時は、相手が穏やかな時に、思いやりを込めて真理を
入れることが大事。
・皆さんが強くなれば、私も力が強くなる。今年は、魔との戦いも激しくなってくるだろうが、
心を引き締めて、もう一段の前進を勝ち取りたい。
[質疑応答]
Q1.書籍を読んでいれば幸福の科学に入らなくてもいいのではないか、という声を
聞くことがあります。 幸福の科学の会員になり、支部や僧団に集うことの意味について
教えて下さい。
・当会は、基本経典から奥義まで公開しているので、組織に属さなくてもやっていけると
思う人が出てくる ことは承知しているが、マイナス面よりも、多くの人にきっかけを
与える方を選んでいる。
・公開するということは相当自信がないといけないし、公開されてない部分にも厚みが
ないといけない。
・支部網の展開等が少し遅れた。また、うちの本をずっと読んでいる人も、どうしたら
会員になれるのか分からなかったという人もいる。支部や拠点、様々な布教所を、
もう一段上手に活用しないといけない。
・各種の調査から見れば、実質、信者になる可能1生のある人は数多くいる。(支部)精舎を
いろんな地区に出 し、一般の方が入りやすい入り口をもっと作ってあげること。
・中に入って修行したら魂的に境地が上がるという、喜びをお伝えしないといけない。
・組織型になると悪になる、と言う人に打ち勝つこと。良い仕事なら、大きい組織のほう
がもっと良いものが作れる。組織型宗教の良さ、個別に支部、当会の魅力を打ち出すことが
大事。説得力とPRの問題。
・後は、拠点展開。ある意味"心の救急病院"だと思えば、一定の距離にある程度の数が必要。
・今は、周辺のファン層を増やす方に力を入れている。(その人達が)信者として活動する
ようになればいい。
・インターネット社会だからこそ、逆に人との接触が大事。ハイテクも充分使った方がいい
が、ハイタッチの部分を忘れたら、宗教としては終わり。人生相談を聴いてくれる人がいたら、
しゃべっているだけで自分で答えが出てくる。ハイタッチな部分が、支部の機能として大事。
・組織に属する意味は、人生相談(の場があるということ)と、人と触れ会うことで自分が
啓発されたり、救われたりするところがあるということ。これは一人で本を読んでいるだけ
ではできない。
Q2.慈悲の具体的な念いと行動についてわかりやすく教えて下さい。
・「大乗仏教の本質」とほとんど同じ質問。人々を救済することに主たる関心が移って
いくと、出家者だけでは足りなくなるので、必ず在家運動に転化していく。
在家の信者が自分の周りにいる人を助けるのが大乗運動で、その核心にあるのが慈悲。
信仰の宗教とも言われるが、慈悲の宗教とも言われるのが大乗。
・慈悲とは、生きとし生けるもの、人間だけでなく動物も、宇宙人も愛する心。
・悪魔の認識の間違いは、自分という個体を護ることが善の全てで、これに敵する
ものは全部潰そうなど、動物的な自己防衛本能のように自分を護ろうとしているところ。
それが人間社会で強く出ると悪になる。
・慈悲とは、実は世界観の転換。この世に生きている全てが、自分の生命を躍動させるあり
がたい世界として創られているということ。あらゆるものに命が宿っていて、全てのものが
光輝いているように見えたら、それは実は慈悲の世界を見たということ。慈悲の世界を見た
ということは、あなたがこの世に生きていることの意味を発見したということであり、悟った
ということ。
・ここまで来たら、弘法大師空海と同じ境地。これが大目経の悟り。積極的に生きることの意味を
肯定して いく。自分を生かしめるために、全ての環境が与えられている、という喜びを感じ
取れば、慈悲に生きる 心が湧いてくる。
・全てが自分を生かしめている環境。その中で自分も他のものを生かす生き方を考えようとする
ことが慈悲。
(´;ω;`)ありがたいです、
(以前より、詳細)
ご法話
救世運動を強く押し出すと、必ず悪魔の妨害が出る。だから悪魔対策を
考えておくことが必要。
仏伝では、釈尊の降魔成道後もずっと悪魔が出てくる。これが仏教学者には
よく分からないのだが、私にはよく分かる。教団の伝道活動の折々に、
難所、急所に当たるところがあり、悪魔は"このタイミングで
攻撃をかけると崩せるかもしれない"、という時に狙ってくる。しかし
それはある意味で"鯉の滝登り"。滝を登るのは大変だが、その難所を乗り
越えると見晴らしがきく場所に出られる。考え方、組織、行動の仕方など、
何かを変える必要があるときに悪魔はよく出てきて、組織に揺さぶりがかかる。
悪魔が、人の持っているどんな嫌な性質を体現しているかというと、まずは
欲望。企業を大きくしたいというのも、本当に世の中のためにというのもあれば、
権力として地位欲名誉欲など自我我欲を肥大させる形の拡大もある。
これは自分では分からなくても、他の人から見ると感じる場合がある。悪魔も
狡猪さを含めた頭の良さがある。頭の良い人は出世したり権力を持ちやすく、
(悪魔にすれば)その人に入ると大きな力が持てるので、邪な心があると入られる。
悪魔のもう一つの嫌なところは、その人の一番大事なものを担保にとってきて、
信仰心に揺さぶりをかけてくるところ。活躍するポテンシャル(潜在的な力)の
強い人のところによく惑わしで入る。近場にいる人、その人に直接影響を与え
られる人に入って揺さぶりをかける。
自殺者には、悪魔に魅入られた人は相当いる。小悪魔から大悪魔までレベルは
いろいろだが、向こうの霊力のほうが強いと、たいてい「殺してやる」「死ね」
という声が聞こえてくることがあまりにも多い。
凶悪犯罪の場合は、かなり凶悪なものに取り憑かれているケースが多い。
心の中に何らかの引き寄せるものがあることは事実だが、それだけでなく、
何らかの間接的な目的があることが多い。
そういう人が出ることで、周りの人たちが正当な活動ができなくなることを狙う
場合がある。これが怖いところ。
脳学者で、すべてを脳の機能に戻してしまう人や、脳学者でありながら伝統
宗教の僧侶の資格をとり、「霊はない。あの世はない。そういうことを言う人は
インチキだ、詐欺だ」と言って回っている人もいる。このタイプは悪魔が入り放題。
宗教を破壊するために活動する走狗になっている。唯物論でも、医者や工学
部系で役に立つところも随分あるので全否定するつもりはないが、自分の分からない
領域について、それを全部否定するような考え方は傲慢。悪魔のもう一つの入り口は、
傲慢さ、うぬぼれ、謙虚さのなさ。一番難しいのは、うぬぼれの強いタイプから悪魔
を剥がすこと。反省の習慣を持っている謙虚な人なら悪魔は取れる。反省が出来ない
タイプは自我が強い。強欲な人にも悪魔が入りやすい。
怠け者にも入りやすい。世間から批判を受けて、言い訳や愚痴、自己保存の心が強く
なる傾向性がある。
エル・カンターレ信仰がきちっと立ち、儀式に則って悪魔祓い、悪霊払い、病気治し
等をやれば、相当な効き目がある。イエスも病人を治す時に、「汝、我を信じるや」と、
(相手が)信仰心を持っているかどうかをいつも確認している。「信じるものは救われる」
それが条件。
信じると、信じるものと一体になる。この世の常識や理性の中には、悪魔に繋がるものも
数多くあり、それに基づいて判断すると迷わしが入る。
信仰心が立っていれば、『正心法語』、『エル・カンターレへの祈り』で悪魔祓いも十分可能。
教学をやって、悟りのレベルが上がれば上がるほど、効き目は大きくなる。
悪魔祓いの最後は、この世的な執着との戦い。正しい信仰心だけを持ってあの世に還る覚悟
を固めれば、いかなるものも支配できない。植福も、この世の価値観を持っていては出来ない。
一種の「捨てる」行為の中に、尊い修行が潜んでいる。
信仰心を立てて伝道することが救世の行。その途中で、悪魔が現れてくることがあると思
うが、信仰心さえ,持っていれば、未来は開けていく。
教団として、全体の力を増してゆくことも大事。信仰団体として強くなっていくことで、
全体の力が働き始め、個人に対しての救いの力としても働く。魔との戦いを通して、
自分自身も高めていってほしい。
・信仰心に基づいて調和の心を作り、淡々とやるべき聖務をしていけば、いつの間にか
追い風が吹く。
・悪魔は、この世に執着させて人々を閉じこめ、自分の活動領域を増やそうとしているだけ。
その活動の本質は破壊。人々や社会を破壊することに喜びを感じている、人間として最低の
心境。
・うちの修行をちゃんとしている人なら、コーヒー一杯飲んでいるだけで見破れる。
(悪魔が)来ていると見たら、信仰心で戦うこと。自分一人で戦わず、教団の中心部から霊流を
引いて、「主よ、我と共に戦いたまえ」と心の中で念じながら、法語を語り相手を導くこと。
時間をかけるしかない場合もあるが、その時は、相手が穏やかな時に、思いやりを込めて真理を
入れることが大事。
・皆さんが強くなれば、私も力が強くなる。今年は、魔との戦いも激しくなってくるだろうが、
心を引き締めて、もう一段の前進を勝ち取りたい。
[質疑応答]
Q1.書籍を読んでいれば幸福の科学に入らなくてもいいのではないか、という声を
聞くことがあります。 幸福の科学の会員になり、支部や僧団に集うことの意味について
教えて下さい。
・当会は、基本経典から奥義まで公開しているので、組織に属さなくてもやっていけると
思う人が出てくる ことは承知しているが、マイナス面よりも、多くの人にきっかけを
与える方を選んでいる。
・公開するということは相当自信がないといけないし、公開されてない部分にも厚みが
ないといけない。
・支部網の展開等が少し遅れた。また、うちの本をずっと読んでいる人も、どうしたら
会員になれるのか分からなかったという人もいる。支部や拠点、様々な布教所を、
もう一段上手に活用しないといけない。
・各種の調査から見れば、実質、信者になる可能1生のある人は数多くいる。(支部)精舎を
いろんな地区に出 し、一般の方が入りやすい入り口をもっと作ってあげること。
・中に入って修行したら魂的に境地が上がるという、喜びをお伝えしないといけない。
・組織型になると悪になる、と言う人に打ち勝つこと。良い仕事なら、大きい組織のほう
がもっと良いものが作れる。組織型宗教の良さ、個別に支部、当会の魅力を打ち出すことが
大事。説得力とPRの問題。
・後は、拠点展開。ある意味"心の救急病院"だと思えば、一定の距離にある程度の数が必要。
・今は、周辺のファン層を増やす方に力を入れている。(その人達が)信者として活動する
ようになればいい。
・インターネット社会だからこそ、逆に人との接触が大事。ハイテクも充分使った方がいい
が、ハイタッチの部分を忘れたら、宗教としては終わり。人生相談を聴いてくれる人がいたら、
しゃべっているだけで自分で答えが出てくる。ハイタッチな部分が、支部の機能として大事。
・組織に属する意味は、人生相談(の場があるということ)と、人と触れ会うことで自分が
啓発されたり、救われたりするところがあるということ。これは一人で本を読んでいるだけ
ではできない。
Q2.慈悲の具体的な念いと行動についてわかりやすく教えて下さい。
・「大乗仏教の本質」とほとんど同じ質問。人々を救済することに主たる関心が移って
いくと、出家者だけでは足りなくなるので、必ず在家運動に転化していく。
在家の信者が自分の周りにいる人を助けるのが大乗運動で、その核心にあるのが慈悲。
信仰の宗教とも言われるが、慈悲の宗教とも言われるのが大乗。
・慈悲とは、生きとし生けるもの、人間だけでなく動物も、宇宙人も愛する心。
・悪魔の認識の間違いは、自分という個体を護ることが善の全てで、これに敵する
ものは全部潰そうなど、動物的な自己防衛本能のように自分を護ろうとしているところ。
それが人間社会で強く出ると悪になる。
・慈悲とは、実は世界観の転換。この世に生きている全てが、自分の生命を躍動させるあり
がたい世界として創られているということ。あらゆるものに命が宿っていて、全てのものが
光輝いているように見えたら、それは実は慈悲の世界を見たということ。慈悲の世界を見た
ということは、あなたがこの世に生きていることの意味を発見したということであり、悟った
ということ。
・ここまで来たら、弘法大師空海と同じ境地。これが大目経の悟り。積極的に生きることの意味を
肯定して いく。自分を生かしめるために、全ての環境が与えられている、という喜びを感じ
取れば、慈悲に生きる 心が湧いてくる。
・全てが自分を生かしめている環境。その中で自分も他のものを生かす生き方を考えようとする
ことが慈悲。
(´;ω;`)ありがたいです