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失敗続きで諦めかけた人生を逆転させる私の方程式

過去の私 その1

2022-12-02 21:08:30 | 日記
私の小学生、中学生時代は本当に最悪な   「出来ない子」
でした。
走らせればビリ
給食もビリ
勉強は全然わからない
言いたい事も言えなくてすぐに泣き、
言われてる意味がわからなくて返事も出来ない。
何をやっても鈍でのろま
多分、今の時代だったら真っ先にイジメの標的になっただろうと思う。
私が好きだった事
アニメの「アタックナンバー1」が大好きで主人公の鮎原こずえになる事だった。
だからバレーボールが大好きで猫のようにボールにまとわりついていた。
だけど、お昼休みにクラスの子とバレーをしても勝てた事がなかった
中学になってバレー部に入った。
それなりに上手な方だったけど、試合になると
「ミスするんじゃないか」
と思い、それが気になって日頃の成果を出せず、とうとう補欠にされてしまった。
「悔しい」
そう思って眠れない日もあったけど、木の小ささは、どうしても拭えない情けない子供だった。
中学3年になって受験を迎えたけど、相変わらず勉強が出来なくて、
名前さえ書ければ合格出来るような高校にしか行けず、相変わらず目立たない存在だった。
高校三年生の新学期
ここで私の人生が変わる出来事が起こります。
大学出たてで赴任してきた地理の川村先生に一目惚れ。
つまらなかった授業が一転。教室はバラ色に輝き光り輝くオーラの中で私は川村先生と目が合う希望を持ってみつめていました。
中間考査の時、地理のテストは100問100点
90点以上を取ると川村先生が名前を呼んでくれるという事がわかった。
その時の私の地理の点数は38点
私は先生に私を覚えて欲しくて期末テストの時、名前を呼んで欲しいという思いだけで、生まれて初めて寝ずに暗記をしテストに向かった。テストが帰ってきた。私はそれこそ生まれて初めて98点という奇跡をお越し、川村先生から名前を呼ばれた。
本当に嬉しかった!
天にも上る思いというのは、こういう事なのか!と思った事を覚えている。
その時、
「私でも、やれば出来るんだ」
と思えるようになり、そこから私は、やれば出来るんだ!という自信がつき、その後のテストでは80点を下回る事がなくなった。
卒業の時、担任から
「もう少し早く気付いていれば、、、」
と笑われましたけど、、、(笑)

私は18歳、高校を卒業するまで全く目立たないノロマでバカな女子でした。
まぁ遅手と言えばそうなのかも知れないけど、高校を卒業し就職をした時から40歳まで華やかな人生を送る事になります(この後が悲惨ですが、、、)
次回、華やかな人生版をお話します。