水曜どうでしょう - 原付ベトナム縦断 ハノイホチミン1800キロ 第1夜
水曜どうでしょうの企画 (海外)では、北海道テレビ放送制作のバラエティ深夜番組『水曜どうでしょう』で放送された企画の中から、「レギュラー放送」時(1996年10月から2002年9月)に海外ロケを中心にして放送された企画について述べる。企画名については番組内で多数の呼び方があるものもあるが、本記事においては正式タイトルはDVD版のものとし、未DVD化企画については暫定的に放送時のタイトルを用いるものとする。
原付ベトナム縦断1800キロ
2002年7月31日 - 9月25日放送、全7夜(最終回は1時間枠)(「リターンズ」「Classic」では最終回は2週に分けて放送されるので、規模的に全8夜)
DVD第1弾『原付ベトナム縦断1800キロ』に収録。
「Last Run」として放送された、水曜どうでしょうのレギュラー放送最終企画。どうでしょう海外企画の定番「縦断」と国内企画の華「カブ」をあわせた、水曜どうでしょう6年間の集大成企画である。なお、行程はハノイからホーチミンであるが、実際にはダーラットを経由したため、2,000km近い距離を走行した。
番組内ではすべてのバイクが「カブ」(ホンダ)と呼ばれている。これは東南アジアでは小型バイク全般をメーカーをとわず「カブ」と呼ばれているためである。カブは手動(足)で変速(自動遠心クラッチ)を要するのに対して鈴井・大泉が乗ったバイクの車種は手動で変速を必要としないホンダの『ドリームll』である。
また、鈴井が一部でヘルメットを着用していない嬉野Dを後ろに乗せて、二人乗りで走っているシーンが映っている。これはロケ当時のベトナムでは一部区間においてバイクのヘルメット無着用運転も合法だったからであり、まさにカブを自転車感覚で乗る文化の象徴であった(現在は着用義務化)。
ロケに参加したのは、鈴井・大泉・藤村D・嬉野Dの4人に加えて、ベトナムからはニャン(どうでしょう班の通訳)・タイン(政府公安)・フン(公安の通訳)・ホアン(現地ドライバー)の4人も参加して、計8人の「大所帯」となった。これはビザ申請の際に「ベトナム政府の公安をロケに同行させる事が絶対条件」とされたためである。[2]。また、終盤では鈴井が紛失したトランシーバーを届けるために鈴井夫人がロケに合流し、声のみで出演した。 ちなみにニャン氏が番組中「ベトナ~ム、ホ~チ~ミン」とうたっていた歌は「Như có Bác Hồ trong ngày vui đại thắng(日本語タイトル:ホーチミン師)」という歌の一部である。 なお、進行方向は逆であるがイギリスのテレビ番組「Top Gear」の激安チャレンジ企画の行程がほぼ同じである。
背中のメッセージ
映像には常にタレントの背中しか映らないため、途中からシャツの背中にメッセージを書いている。
2日目 鈴井「ヴィン→フエ 390km 1918時必着」、大泉「寝るなうれしー」
「寝るなうれしー」は、前日の藤村Dの「明日は(見どころもないので)嬉野君もある程度寝ますし」発言に起因する。
3日目 鈴井「孤独に負けない」、大泉「駄洒落禁止」
「孤独に負けない」は、鈴井がトランシーバーを落として交信不能になったため。
「駄洒落禁止」は、交信できない(マイクはついているので彼のしゃべりは聞こえる)鈴井がダジャレばかり言い始めたから。
4日目 鈴井「4日目 未知の世界へ」 、大泉「カブ天国」
「4日目 未知の世界へ」は、それまでのカブ企画では3日間が最長のロケ日程であったため。
5日目 鈴井「これ以上は無理です TEAM OVER 40」、大泉(現地で購入したTシャツを着用)
6日目 鈴井「激走ハノイ→ホーチミン1800km 妻よありがとう」、大泉「おかえりミスター」
「-妻よありがとう」は、鈴井夫人が日本からわざわざトランシーバーを届けてくれた感謝を込めて。
「おかえりミスター」は、再び大泉やディレクター陣と交信できることを祝って。
最終日 鈴井「Last Run 水曜どうでしょう Never Give Up」、大泉「最終回 つづく」(1枚目)「6年間ありがとう またね」(2枚目)
大泉は当初「最終回」とシャツに記したが、藤村Dから非難されたため、斜線を引き「つづく」と訂正した後、2枚目のシャツに着替えている。
水曜どうでしょうの企画 (海外)では、北海道テレビ放送制作のバラエティ深夜番組『水曜どうでしょう』で放送された企画の中から、「レギュラー放送」時(1996年10月から2002年9月)に海外ロケを中心にして放送された企画について述べる。企画名については番組内で多数の呼び方があるものもあるが、本記事においては正式タイトルはDVD版のものとし、未DVD化企画については暫定的に放送時のタイトルを用いるものとする。
原付ベトナム縦断1800キロ
2002年7月31日 - 9月25日放送、全7夜(最終回は1時間枠)(「リターンズ」「Classic」では最終回は2週に分けて放送されるので、規模的に全8夜)
DVD第1弾『原付ベトナム縦断1800キロ』に収録。
「Last Run」として放送された、水曜どうでしょうのレギュラー放送最終企画。どうでしょう海外企画の定番「縦断」と国内企画の華「カブ」をあわせた、水曜どうでしょう6年間の集大成企画である。なお、行程はハノイからホーチミンであるが、実際にはダーラットを経由したため、2,000km近い距離を走行した。
番組内ではすべてのバイクが「カブ」(ホンダ)と呼ばれている。これは東南アジアでは小型バイク全般をメーカーをとわず「カブ」と呼ばれているためである。カブは手動(足)で変速(自動遠心クラッチ)を要するのに対して鈴井・大泉が乗ったバイクの車種は手動で変速を必要としないホンダの『ドリームll』である。
また、鈴井が一部でヘルメットを着用していない嬉野Dを後ろに乗せて、二人乗りで走っているシーンが映っている。これはロケ当時のベトナムでは一部区間においてバイクのヘルメット無着用運転も合法だったからであり、まさにカブを自転車感覚で乗る文化の象徴であった(現在は着用義務化)。
ロケに参加したのは、鈴井・大泉・藤村D・嬉野Dの4人に加えて、ベトナムからはニャン(どうでしょう班の通訳)・タイン(政府公安)・フン(公安の通訳)・ホアン(現地ドライバー)の4人も参加して、計8人の「大所帯」となった。これはビザ申請の際に「ベトナム政府の公安をロケに同行させる事が絶対条件」とされたためである。[2]。また、終盤では鈴井が紛失したトランシーバーを届けるために鈴井夫人がロケに合流し、声のみで出演した。 ちなみにニャン氏が番組中「ベトナ~ム、ホ~チ~ミン」とうたっていた歌は「Như có Bác Hồ trong ngày vui đại thắng(日本語タイトル:ホーチミン師)」という歌の一部である。 なお、進行方向は逆であるがイギリスのテレビ番組「Top Gear」の激安チャレンジ企画の行程がほぼ同じである。
背中のメッセージ
映像には常にタレントの背中しか映らないため、途中からシャツの背中にメッセージを書いている。
2日目 鈴井「ヴィン→フエ 390km 1918時必着」、大泉「寝るなうれしー」
「寝るなうれしー」は、前日の藤村Dの「明日は(見どころもないので)嬉野君もある程度寝ますし」発言に起因する。
3日目 鈴井「孤独に負けない」、大泉「駄洒落禁止」
「孤独に負けない」は、鈴井がトランシーバーを落として交信不能になったため。
「駄洒落禁止」は、交信できない(マイクはついているので彼のしゃべりは聞こえる)鈴井がダジャレばかり言い始めたから。
4日目 鈴井「4日目 未知の世界へ」 、大泉「カブ天国」
「4日目 未知の世界へ」は、それまでのカブ企画では3日間が最長のロケ日程であったため。
5日目 鈴井「これ以上は無理です TEAM OVER 40」、大泉(現地で購入したTシャツを着用)
6日目 鈴井「激走ハノイ→ホーチミン1800km 妻よありがとう」、大泉「おかえりミスター」
「-妻よありがとう」は、鈴井夫人が日本からわざわざトランシーバーを届けてくれた感謝を込めて。
「おかえりミスター」は、再び大泉やディレクター陣と交信できることを祝って。
最終日 鈴井「Last Run 水曜どうでしょう Never Give Up」、大泉「最終回 つづく」(1枚目)「6年間ありがとう またね」(2枚目)
大泉は当初「最終回」とシャツに記したが、藤村Dから非難されたため、斜線を引き「つづく」と訂正した後、2枚目のシャツに着替えている。
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