★登場人物の紹介★淳子編★
夏目淳子も多摩川小学校に通う、徹たちのクラスメートです。淳子の父の夏目航平は、小さな町の印刷工場を経営する。昔は大手の印刷工場で印刷機のオペレータをしていた。印刷の世界は昔は今と違い職人の色彩感覚と経験の世界でした。印刷のインクは色の三原色、マゼンダ、シアン、イエローを何パーセント混ぜるかによって、印刷の色調は決まってきます。以前は、印刷職人のヘラの先で分量を調合していた。今はコンピュータによって色彩とインクを自動的に調合できるようになった。だから航平も、どんな難しい色彩の印刷も調合できる自信があった。冗談で、「俺は、紙と透かしさえなければ、本物の紙幣をそっくりに印刷することができるぞ…」と、富田工場長と話していたことがある。富田は淳子の叔父で、淳子が生まれる前からこの工場で働いていた。この工場で働く前に、どこで何をしていたのかは、航平以外町の誰も知らなかんった。ただ、幽玄寺の玄遊和尚だけは、既知の人間であるようです。時々、和尚と戦争中の満州の昔話をする時もあった。果たして二人が満州で、、満州の何処で何をしていたのかー、二人の懐かしい中國時代の談話の中に入れるのは、トキ婆さんと多摩川小学校の校長の三宅平八郎だけかもしれません。
10年後の彼女は、大手出版者の編集者になっていた。その後、小さな出版者を独立させ、文化革命の時、みんしゅ地下組織を作って中国の運動家の亡命を援助した。東南アジアの文化を紹介する出版物を主に発行。富田工場長の紹介で、妙に中国のアンダーグラウンドな人脈を持っている。
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ひまわり先生の子どもたち…、君子、悟、美佳、太一、徹たちの6年2組の新聞班は、誘拐された勇樹を捜すために、10年後にもう一度、小学校の桜の古木の下に帰ってきた。5人は固く手をつなぎ、桜の満開の下で、今この時の再会に、それぞれの顔を見合いながら感涙した。時の経過と共にお互いか失ったものに哀しみ、世界を彷徨い探し続けた末に見つけた心の糧がここにあったことを頷いた。多摩川小学校には、町に住む茜や龍や緑や源太たちの仲間がいた。
小さな街は、宇宙にリンクしていた、そして、広い世界の先は、生まれた街の臍の緒に繋がっていた。生きることは、いつも時空を翔る冒険だ。知識は、地球を駆巡る魔法の杖だ。見つけたものは、地球を闊歩した巨大恐竜の足跡とグーテンベルクと戯れる蝶だった…
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二人の無惨な姿が発見されたのは、辺り一面が黄色で染められた広大なひまわり畑の耕地の畦道であった。徹は唇を大きく切って血を流していた。顔のいたるところに青黒い痣を残していた。洋服は泥だらけで、太一のほうは鼻から二筋の血を垂らし、上着のボタンが挽き千切られていた。大きくはだけたシャッツの胸を激しく上下させて、口からは、息をぜいぜい言わせ、空の一点を呆然とを見つめ、ひっくり返っていた。二人の姿は、畦道の傍らに大の字になって倒れていたところを見つけられた。
のんびりと散歩をしていたひまわり先生と遊雅が、二人の姿を偶然に見つけた。いや、厳密に言うとひまわり先生と仲睦まじくデートをしていた遊雅が、熱い抱擁の後に口づけをしようと畑の茂みの中へ誘ったとき、二人を偶然に発見した。妙な物体に驚いて駆け寄り、抱き起こして介抱した。
その時、二人は、自分たちが今、何処に居るのかさえ分らなかった様だ。黄色い壁に囲まれた畑の中で、茫然自失の状態で周囲を見回してた。徹は今どうして、遊雅の腕の中にいるのかさえ分からなかった。太一は、ひまわり先生が、どうして頬を叩いるのかさえ理解できなかった。二人から経緯を聞くと、黄色いひまわり畑の中でふざけ合っていたが、それ以後のことは説明が出来ないようだ。ひまわりの黄色が視界を支配して、意識が黄色に染まった、そして、我を失ったようである。幼稚園の頃より仲の良い二人だけに、頭を撫ぜたり叩いたり、大相撲の取組を真似たり、柔道の金メダリストと、グレース一族の柔術の格闘ショーのように、技を真似てかけ合って、じゃれあいをしていたのである。太一が体重をかけて徹を地面に倒した瞬間に、柔道の巴投げを真似て、徹が太一を後方に投げ飛ばした。徹のふざけた格闘技の技が見事に決まって、太一の体が空中にふーと浮いて、ドスーンと地面に投げ飛ばされた。太一は笑いながら徹に駆け寄り、釣り舟と戦艦ほどの違いのある大柄の自分の巨体を、徹に衝突させて押しつぶした。徹も息苦しいので、無我夢中で身体をもがきながら、手足をバタバタさせて、太一の顔を叩いたり、引っ掻いたり抓ねったりした。ひまわり畑を、ごろごろ二転三転と転げ周り、気がついた時には、泣きながら殴り合いをしていたそうである。
太陽の光に向かって花びらを開花させる、ひまわりの黄色の狂気がとり憑いたとしか言いようがない。泥だらけの胸にも顔にもズボンにも、いたるところに極彩色の黄色い花びらが、プリント柄のようにくっ付いていた。地面に寝転んでいた二人を抱き起こした時に、お互いの間に何があったのか、まだ何がなんだか、ぼんやりと目は空ろ、お互いを探る目で見ていた。ひまわり先生は、「さあさあ、いつも仲のよい二人なのに?…」と、二人の顔を不思議そうに覗いて、尋ねた。二人は笑うにも笑えず、泣くにも泣けず、ひまわり先生の質問にただ、当惑するだけだった。10分前に自分たちの間に起こった事件に納得のゆく説明さえ出来なかった。遊雅は二人を、宇宙の未確認物体のように見ながら、「人間の心は、いまだ宇宙の果てのように広大無辺で、神秘に満ちているものだな。理性の裏に、いまだ荒々しい自然が隠れていて、その荒野に黄色い花が狂い咲きしたかな?」と、謎めいたことを呟いた。
数日後、遊雅が謝るように、「この前はとんだデートになってしまったね、ひとみ先生を畑の中に誘った時だったよね。二人の時間があそこで止まったままだな…」と、もじもじと申し訳なさそうに、所在なげに言った。2人の間にはまだほのぼのした、古典的な恋愛が進んでいるようだ。徹が遊雅のキューピットとなり、2人の間に何通かのラブレターがと往復したようだ。その後で、ひまわり先生とは、幽玄寺の万葉植物園で初デートをしたようだ。でも遊雅とひまわり先生の思いでのファーストキッスは、太一と徹によって邪魔をされてしまった。そんな事よりも、さっきから太一と徹の間に起こった喧嘩騒ぎが、二人の間で話題になっているようだ。「遊雅さんは、きっと学校教育が悪いと思うかもしれませんね。子供は大人に成る未熟な段階ではなく、子どもには子供の精神世界があるの。ただ単に大人の型をはめても駄目なのよ…」と、ひとみが教師らしい児童心理から理解としようとする。遊雅は、「僕はそんなことはいってないよ」と、素っ気なく否定する。すると、ひとみが拗ねたように遊雅を見る。遊雅が仕方がなさそうに、機嫌をとりなそうとする。「つまりはね・・・」と、ちょっと本気になって話し始めた。「・・・人間は所詮、神にはなれないのんだ。人間の脳みその中で、理性などほんの数パーセントの表皮だけで、残りは、人類の進化を遡り、類人猿や恐竜やシーラカンスの脳と同じ、原子的な脳を持っているんだ。子供心には、恐竜の残酷さと猿人類の生存の知恵とヒトの凶暴さが共存しているんだ。黄色いひまわり畑が心のバランスを狂わせたのさと、言っておく…・」と、遊雅らしい理屈を一気に吐いた。ひまわり先生もただ、男の言い分を大人しく聞いているだけのしおらしさの、可憐な乙女ではない。「弟の徹君のことをそん
なに冷静に分析できるもんなの、鼻血を出している弟よ…。ちょっとは心配ではないのかしら…」と、憤慨したように言い返した。
ひとみ先生は、遊雅に教育論で対抗した。「些細だことだけれど、生徒たちに狂気の振る舞いが現れているの…」と語り始めた。生徒が教師を殴るなどの校内暴力は過去にあった。クラスの弱いものを隠れて、いたぶる虐めもあった。教師への鬱憤や積もり積もった恨みを晴らすために窓ガラスを粉々に砕くような、破壊行為もあった。その程度では狂気とは言えない筈である。「…学級崩壊とはちょっと違う異質なもの、不気味な心の崩壊が、始まっている…」と、遊雅に助けを求める教育下現場を語り始めた。けれど、今、言った事が、ひまわり先生のめの前で起こっている気がかりな事なのである。激情の末に教師をナイフで刺し殺してしまう衝動的な反抗は、昔みもあった。しかし゜、突発的に教室内で奇声を発して駆け回る崩壊は、もはや異常さを通り越している。遊雅に答えを求めたかった。すると、遊雅がボソッと言った、「ダ・イ・オ・キ・シ・ンかも…・人類滅亡の序曲かな…」と。ひまわり先生は、その意味がすぐにわからずに、「えー、それは何なの?…」と、真意を聞き返した果たして先生がどれだけ理解できるのか疑わしいが、遊雅は、ダイオキシンが人間に与えた最悪のシナリオ、「メス化する自然」のダイオキシン禍を、何とか易しく解説しようとした。
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