That's the Way I Am

私の好きなものについて

英語レッスン 2014春 #6

2014年06月01日 01時09分21秒 | 英語
代講の先生は今日で最後だったみたい
結構好きな先生だったので
残念



今日の話題はTiger Momに関連して
Eagle Dad の話



3歳くらいの男の子を
裸で雪の中走らせたり
5歳くらいで独りでセイリングさせたり
飛行機操縦の免許取らせて操縦させたり
そんな、スパルタ・パパの話



レッスンで見たのとは違うレポートだけど
同じようなのがありました↓

EXTREME PARENTING: China's 'Eagle Dad' trains five-year-old son to fly solo




Tiger Mom に関する文章の中に
「アジア系の家族は
早期教育に熱心」というのがあったが
そうなのかな?



Tiger Mom も Eagle Dad も
西洋の価値観から見ると
「虐待」と言われるくらい厳しく鍛えようとする



子どもを意のままにコントロールしようとする
親の身勝手さが見えて
自分の意思や選択の自由が認められないまま
このように育てられることは
子どものためなのかという疑問が湧く



しかしまあ
Tiger Mom も、Eagle Dad も
厳しい教育が上手く運んだ幸運な例のような気がする
厳しさを受け止めて
逃げ出さない器が子ども達にあったのだと思う

親の希望を叶えることが出来ない自分を責めたり
「期待に応えられない自分は無価値だ」と
精神が歪んでしまわなくて良かったね

ラッキーなケースだと思う



彼らの子ども達が
「自由にのびのびと」という主義の家庭に育っていたら
ハーバード大にも行けなかったかも知れないし
ヨットや飛行機の操縦も出来ないまま
大人になったかも知れない



と、思うと
「環境か、遺伝子か?」という私の永遠のテーマに
一つの答えをくれる

環境が与える役割は大きい

いかに努力したかで
成功への距離は変わってくる



何もしなくて天才的な人もたまにいるけど
天才的な人って
努力しているってことよね

こう考えると
今の自分にも
努力の大切さ、努力することの価値を
再認識させてもらえて
勇気づけられる



しかし、私は
Tiger Mom や Eagle Dad を賞賛はしない
子どもに対して暴君になっていると思う



多かれ少なかれ
子どもというものは
親の敷いたレールを歩くものだけど

所々に、子ども本人が選べる分岐点はあるべき

子どもが生きる人生は
子ども本人のものであるべき

幼児期の教育はとても大切だけど
それは、子どもが「この道に進みたい」と思った時
大いに力になるくらいでいい

「子どもの頃、その教育を受けていて良かった」と
感謝するくらいが良い



もしも、子どもが
「今までサッカー頑張って
このまま続ければプロにだってなれる資質を得たけれど

実は自分は物理に興味があって
大学でそれを学びたい」と、言ったら
それだってアリ

パン屋さんになりたければ
そっちに進めばいい



最初から最後まで
全て親のコントロール下にあって
自分の意思が入り込む余地がないのは疑問だ

「自分が成し遂げられなかった夢を
自分の代わりに叶えさせたいのでは?」
とも思う



従順な戦士達が
大人になった時に
「これは本当に自分で決めた
自分の人生なのだろうか?
親の人生を代わりに生きているのではないか?」
と、疑問を抱かないよう願う




話変わって
「中国人の両親は躾が厳しい」という文章を見て
驚いた

世界中の国々で
中国人観光客(中国人の中でも裕福層)は
並んで待たない、割り込む
静かにするべき場所で大騒ぎする
写真撮ってはいけない表示が出ているところで
平気で写真撮る...とか

マナーが最悪なことで悪名高いから

「中国人」と「躾に厳しい」という言葉が
全然結びつかなくて困ってしまった



3歳の子、雪の中裸で走らせる前に
どこへ行っても恥ずかしくないように
行列に並ぶように躾けて
自らがお手本になるようにしたほうが...

最新の画像もっと見る