That's the Way I Am

私の好きなものについて

緻密さ

2014年09月03日 13時51分42秒 | diary
先日
アメリカに住んでいた時通っていた
コミュニティ・カレッジの
英作文の原稿が出て来たので
読んでみた



今の自分が驚くほどの緻密さで
書かれていた



当時の自分は
とても仕事が細かくて
小さい所が気になって
一つの仕事を終わらせるのに
恐ろしいほどの時間をかけてた

適当にやる…と言うことが出来なかった
こういう作文を提出する時は
辞書を何度も何度も調べて調べて
何度も何度も書き直して
徹夜したこともあった

例えば、一つの単語を使ってみて
その単語では自分の思いを端的に表していないと思って
別の単語を調べて
「いや、やっぱり違う
と、また書き換えて
また別を探して
また書き換えて…ともがき苦しんで

結局、最初に選んだ単語に戻ったり

なんてやり方で書いてた



他のクラスメイトは
仕事の傍ら通っていたり
子どもがいたり
通うだけで精一杯だった

提出物を出さないと単位が取れないと分かっていても
「取り敢えず書いて提出する」ことさえ
難しい様子



私はそりゃいい成績とれたけど
当然よね
かけた時間が違う

「純然たる能力」はジャッジされていない
フェアじゃない

私がいかに時間と労力と情熱をかけて
その課題に取り組んだかまで汲み取って
先生は高く評価してくれたのだろう

でも、他のクラスメイトに
情熱が無かった訳じゃない
単に時間が無かっただけ…

フェアじゃないよね



まあ、それは余談



本題に戻って



私は当時
時間がたっぷりあったから
納得するまで時間をかけて
課題を出せたけど



今、仕事をしているけど

仕事で要求される課題に
アメリカに住んでた時みたいに
じっくり時間をかけて
緻密に取り組めるわけがない



「使い物にならん」と言われてしまいますよ

それで仕方なく
少ない時間で何とか〆切に間に合わせるように
頑張るわけだけど



納得出来ないまま
エイヤッと 提出したり

なるべく細かいことには目をつぶって
全体的にまとめることに専心したり

そんなことを繰り返して



アメリカに住んでいた頃に比べると
今はあの緻密さなんてなくなってる

随分いい加減になってる



それでも、同僚には
私よりももっと少ない時間でパパッと
私よりももっとクオリティーの高い仕事をする人が
たくさんいる

目指すのはそこよね

短い時間で高いクオリティー
省エネモードだけど完成度は高い仕事



要求されるのは
素早く回転する思考回路
集中力、決断力



これが足らないんだな…
私は底力がないのを
労力をかけることで補ってる

でも、たくさんの仕事をこなしていくためには
省エネモードで
労力は省いて
完成度を上げていかないといけない
細かいことに囚われていてはダメ



こんなことをダラダラと書いて
何が言いたいかと言うと

あの頃持っていた緻密さとか
粘り強さとか
今はなくしてしまったが

それは
いいことなんだろうか
悪いことなんだろうか



細かいことまで気を配って
緻密な仕事をする性格

パッと見ると
評価されることのように聞こえるけど



実際には
あまり評価されないと思う



細かいことにこだわるのも
行きすぎると病的な印象を感じるなーと

18年前の自分の英作文読んで思った

英作文自体は読み応えがあって
面白いのだけど

こういう緻密な文章を書く人には
魅力を感じないかな、と、思った

執着とか粘着質とかいう言葉が浮かんでくる
当時の私を形容するのにぴったりの言葉



というか
ひくわ!

理屈っぽくて肩こる
なんだか、ゲンナリ…

「そんなに肩に力入れなくても」
と言いたくなる

出来たら関わり合いになりたくないかな



そして緻密な傾向が少なくなったとは言え
今もまだ私は
本質的にその素養は持っているので



なんつうか、自己嫌悪した



まあいいや



それでもいいと言ってくれたゴーンさんの存在は
ホント唯一の救いよ

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