チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」:彼にとって最後の交響曲となったもの;この初演のわずか9日後に、コレラ及び肺水腫が原因で急死している。
楽譜の出版をしていたピョートル・ユルゲンソンとチャイコフスキーとの間での手紙のやりとりから、この「悲愴」という副題はチャイコフスキー自身が付けたものと知られている。
悲愴という訳題の世界標準表記はチャイコフスキー自身手紙などで綴ったフランス語のpathétiqueで、英語で云うとpatheticに当たる。
往時ロシア帝国であったロシアのロシア人であるチャイコフスキーはロシア語で、先程の手紙のやりとりの中で、彼の書簡において、自ら、「私自身はこれまでのどの作品よりもこれ(交響曲第6番)を誇りに思っています」と語っており、初演後は周りの人々に「この曲は私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」とふれまわる程、彼の中でこの曲への自信の占める度は高かったらしい。実際、19世紀後半の代表的交響曲のひとつとして今尚音楽界では高く評価されている。
(標語)
第1楽章 Adagio-Allegro non troppo-Andante-Moderato mosso-Andante-Moderato assai-Allegro vivo-Andante come prima-Andante mosso
第2楽章 Allegro con grazia
第3楽章 Allegro molto vivace
第4最終楽章 Adagio lamentoso-Andante-Andante non tanto
先日の夜のこと、YouTubeの私がログイン後のトップページにこのチャイコフスキーの曲がカラヤン指揮で挙がっていたので、何気にクリックしてそのまま視聴していた。短いもので最後まで聴けた。そこで思った。なんで悲愴?
チャイコフスキー交響曲第6番を改めて聴いてみると、まず導入部がのどかで牧歌的なのに面食らい、次におそらくは対位法をとっているのだろうと思うのだが、なかなかどうしていくら進行しても悲愴を感じさせる曲調に出くわさない。第3楽章になって、あっ、このフレーズに違いないと悲愴を予感させるフレーズが一度だけ挿入されているのに気付いては残るところそれが第4楽章で展開されるのかと私は楽しみに待っていた。
チャイコフスキーをうつ病持ちとみなす向きもあり実際26歳から享年前年の52歳までの間に12回のうつ病期があったとの記録が残っているが、その人生は華やかでこの曲が書かれた当時は精神の絶頂であったのである。
第4最終楽章だけがタイトルに当たるのだなと、確かに悲愴にあたいはするとすぐ分かるのだけれど、普段から孤独、不安、恐怖を表に出しこそしないまでも内面抱えている私に言わせれば、こんなのメロディアスで耳に心地良い部類に入りはしても悲愴とは言わないと、タイムトリップが出来たなら往事のチャイコフスキーに言って差し上げたいとの思いに至る。
チャイコフスキーの往事を振り返ってみると、口伝では、従姉妹のアンナ・ベトローヴナ・メルクリングに対して、チャイコフスキーがある人への書簡で語った「魂のすべてを注ぎ込んだ」この第6番「悲愴」について「第1楽章は幼年時代と音楽への漠然とした欲求、第2楽章は青春時代と上流社会の楽しい生活、第3楽章は生活との闘いと名声の獲得、最終楽章は深淵より(De profundis)さ」と語ったというが、一方で、「人はこれで全てを終える。でも僕にとってはこれはまだ先のことだ。僕は身のうちに多くのエネルギー、多くの創造力を感じている。(中略)僕にはもっと良いものを創造できるのがわかる」とも話したそうで、チャイコフスキーの興奮と既に名士となり多忙だった生活の中でもとりわけ自身の履歴のピークを華やがせているのが分かる。
と同時に皮肉なことに急ぐようにこのあと亡くなってしまった悲劇を浮き彫りにもしている。
私はもう一度、同じ動画でこのチャイコフスキー(シェアアップしています)を聴いてみた。以下の如くのメモ。
第1楽章 冒頭の管から始まりある所まで(Adagio-Allegro non troppo)を除いて、以降、明朗快活で時にはのどかで牧歌的だったりする。
第2楽章 嬉々とした後、内省的になり、また嬉々としたあと、内向きと外向きの交互が最後にある。
第3楽章 派手なアップテンポ、先行して潜まされていた第4楽章のメインフレーズが今度は一度も聞こえない。
第4楽章 お馴染みのフレーズが繰り返し使われる。
という訳で、この6番は多くの人にとってとりわけ私にとって全然悲愴でも暗いわけでもない。
レストランで曲のオーダーを求められたなら、「チャイコフスキー交響曲第6番、第4楽章抜きで、プログラミングして回転させてみせて」とは言うだろうけど。
交響曲第6番《悲愴》(チャイコフスキー)/カラヤン指揮