The Diary of Ka2104-2

第6回マルクス「資本論」ー 石川勝敏

原著:Karl Marx(カール・マルクス)によるDas Kapital(資本論)

採用テキスト:NHKテキスト2021年12月号「カール・マルクス/資本論」斎藤幸平著

「」書きはテキストからの引用です。

マルクスの資本論は、そしてまた、ポピュリズムがはびこり、文化社会が低劣化するのも示唆しています。

「西洋音楽の歴史/東京書籍」は、そこのところをこう記しています。

産業革命、資本主義の始まりと同時に、ベートーヴェンという個の芸術家にみられたように、「理想化された芸術音楽が高い価値を認められる一方で、より大きな広がりを見せるようになって享受層の求めるものが多様化し始めたことも見逃せない。つまり音楽(芸術)の大衆化が始まったということである。第22節でも既に触れたが、音楽に対してさほど高い教養や準備を持たない聴衆が、耳に快くわかりやすい音楽や、目や耳を圧倒する効果や仕掛けのあるものに惹かれるのは当然だろう。たとえば一般にビーダーマイアー作曲家と呼ばれるフロトーやロルツィングなどのオペラやシュポーアの器楽曲などには、明らかにこうした傾向がうかがわれる。また19世紀半ば頃から隆盛を迎えるランナーやシュトラウス父子のワルツやポルカ、オペレッタなども、音楽の大衆化の一環と考えてもよいだろう。こうした音楽の二極化は、20世紀に至るまでどんどん進み、今や大衆音楽が、芸術音楽を遙かに圧倒していることは周知の通りである」いわんや、こんにちの日本の音楽界は。

一部の享受層を想定するより、だだっ広く一様な荒野に向けての方が、安上がりであるし収益率も高いのは一面認めざるを得ない事実である。一万人の第九は名声が先んじるがこれまたその好例である。『使用価値』よりも『価値』をおもんばかるばかりに売れそうなモノやヒトにターゲットを極端に絞ったり、周りを見るだけのマーケティングという名の私が呼称をつけるなら「自律性のない風見鶏」説をだけその標榜にしたりと、まるでなりふり構わない「働かぬ者食うべからず」の怠け者を地でいっている。このような者たちが金を手にしても、分配どころか多くの民衆が経済的位置を下げ留まりにさせられ、社会は回らなくなり、経済は疲弊してしまう。「空気を読む」がコミュニケーションの一端ではなく、それが社会経済において眼目を置くべき一大テーゼになってしまっています。

さて、前回は「日々の豊かな暮らしという『富』を守るには、自分たちの労働力を『商品』にしない、あるいは自分が持っている労働力のうち『商品』として売る領域を制限していかなければいけない」という文章で終わりましたね。

「今、世界では、労働日をめぐって相反する二つの動きが出ています」「一つは、これまで以上に労働時間が延長されるという傾向です。マルクスの時代と違って、労働の場は"職場"の外にどんどん広がっています。パソコンとネット環境があれば、どこでも仕事ができる。コロナ禍でテレワークが増え、リモート会議が行なわれ、お金に余裕があればリゾート地でのワーケーション(workとvacationを組み合わせた造語)も可能です」

「しかし、こうした働き方のせいで、仕事とプライベートな時間の境界が曖昧になり、実質的な労働時間が延長されているという現実もあります。仕事の電話がかかってくれば、家族と食事中でも仕事の話ができてしまう。夜中に目が覚めれば、枕元の携帯で海外からの業務メールにすぐ返信することもできます。在宅勤務になると、通勤時間がなくなるので、電車の始発や終電時間に関係なく、朝早くから夜遅くまで仕事ができてしまう。意識的に制限しなければ、本当に24時間働けてしまうのです」これは「資本論」の流れを汲む話です。時代により生活の変容が起きてもおかしくはなくそれは進歩とも取れるものであり、実際、通勤の必要がなく自分の好きなところでの勤務は都市集中を地方へと拡散させその問題をなくす元ともなり得ます。また、人により違うハイブリッドな生活様式は多様性を生み社会変革を促します。と同時に一人での在宅勤務は孤独という社会問題も内包しています。会社はその労働者にとって社会であり、会社から離れると直接会って話す人もいなくなる、そういうだだっ広い社会に一人ぽつねんと居るという現象が起こりかねません。

少し話が膨らんでしまいましたが、元の働きどおしになりかねない話に戻ります。「それだけではありません。私たちがグーグルやフェイスブックを使うと、そのデータは彼らに『価値』をもたらす『商品』となります。彼らは、集めたデータを企業に売ったり、広告を出稿してもらったりして儲けているのです」「私たちは、プライベートな時間に、プライベートな楽しみとしてフェイスブックを使っていると思っていますが、彼らが必要としているデータという『商品』を生産するために、せっせと働いているともいえます。しかも、タダで。スマホを手放せない現代人は、すでに1日24時間、寝ているとき以外はほとんど働いていることになります。今後、車の運転が自動化されれば、さらにスマホに触る時間が増えて、IT界の巨人たちはますます資産を蓄積していく。便利な世の中になったと喜んでいたら、実は、私たちの生活全体が『資本』によって『包摂』されていた」これは、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルのいうデジタル・プロレタリアートと呼ばれます。

「その一方で、世界には労働時間を短縮しようという動きも出てきています」「今、最も注目されているのが、フィンランドのサンナ・マリン首相が打ち出した、大胆な労働時短目標です。2019年、史上最年少で首相に就任したマリン氏は、以前から掲げていた週休三日、一日六時間勤務を、自身の任期中の目標とすることを表明しています。他にも、2020年8月にドイツ最大労働組合"HG(イーゲー)メタル"が週休三日を提案して話題になりました」「8時間労働日は、すでにマルクスの時代に、部分的に実現されていました。それから150年ほどが経ち、これほど生産力が向上したにもかかわらず、当時と同じか、それ以上の時間働いているのは、まったく合理的なことではないのです。なぜ週20時間労働ではダメなのでしょうか?『富』の観点からは十分可能だけれど、『商品』の観点からすると、それでは『資本』の『価値』増殖が止まってしまうからです」

「残念ながら、日本にはまだこうした資本主義に挑む大胆な労働時間短縮の動きはみられません。それどころか、生活保護バッシングにもみられるように、「働かざる者食うべからず」という勤労倫理は、ますます強化されています。そして、副業が推奨され、休みの日には自己啓発セミナーが賑わっています。本当にそれでいいのでしょうか」

「資本主義の発展に伴い、世界のGDPは急カーブを描いて上昇していきます。特に第二次世界大戦以降は、グラフが垂直方向に急伸。さらに、この30年でインターネットや携帯電話が普及し、ロボット開発やAI研究も進んで、私たちの暮らしは大きく変わりました」「生産力の高さだけを見れば、ケインズ(1883~1946/イギリスの経済学者)が予言したように、先進国ではさほど働かなくても暮らせそうなものですが、現実はそうはなりませんでした。それどころか、ロボットの脅威に怯えながら、私たちはますます労働に駆り立てられています」

次回は、『疎外』についてみていきましょう。


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